385 墜落
「シオリは? シオリはどうしたんだ!」
突然に空から崩れかかった宮殿が落ちてきた。
まごうことなき獣神ガトゥリンの居城だった。
アップランド平原に墜落した宮殿の衝撃は凄まじかったが、そこから怒りに燃える獣神が飛び出してきた。
その目がすぐさまこちらを向くと、カレドニアの街全体を覆う鋼鉄の檻と化したナナを目指して、背中に生えた巨大な蛇の胴体を疾駆させ、獣神ガトゥリンが向かってくる。
「くッ」
問答はない。
容赦なく強烈な蛇の尾による攻撃が檻に叩きつけられた。
よもやの宮殿墜落時よりも大きな衝撃が走り、打たれた檻の上部はべっこりとひしゃげていた。
「なんて打撃だ。私の最大防御陣を……これ以上喰らうのは不味い」
「喰らう? そうだ! 喰らってくれる! そのエサを寄越せィ」
「エサだって?」
ガトゥリンの腕がナナの檻に掴まれたままのバルカーン・ロードに伸びる。
「こいつを喰う気か!」
その時空中に光る一閃が生じた。
「ガマ流刀殺法! 風林火斬ッ」
獣神の伸ばした指先が突然ズバッと斬り飛ばされた。
さすがの獣神も思わず腕を引っ込め急停止する。
「やったぞ! 奴の中指の先っぽを斬ってやった!」
そう言いながらナナの顔のそばに着地したのはウシツノだった。
見上げれば空中にはさらにアカメを抱えたタイランがいる。
「お前たち、シオリはどうした?」
「あそこだ」
「何?」
ウシツノが指し示したのはガトゥリンの腹だった。
「まさか! 喰われたのか?」
「違う! 喰わせたんだ」
「はあ?」
「つまり……」
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意に反し、シオリは防御一辺倒に見舞われていた。
とはいえガトゥリンの猛攻を凌げているのは、ひとえに鎧化したパンドゥラの箱のおかげだった。
「フハハハハッ! どうした白姫! 攻撃してこぬか? その鎧を纏えどなにも変わりなどしないなあ」
「くっ」
鎧が無意味なのではない。
むしろ鎧があってこそ、まだ身を守れている。
そのことをガトゥリンも重々承知している。
承知の上で煽っているのだ。
「どうした! 終いか! ならばもう遊びは終わりだ」
全体重を乗せたガトゥリンの突進攻撃を正面から受けたシオリが吹き飛ばされる。
苔の生い茂った石壁に激突し瓦礫と共に床に落ちる。
「シオリさん」
そばにいたアカメがシオリを助け起こした。
呼吸が荒いのは疲労よりも焦りからだろうか。
背中にこびりついた冷たい苔を払ってやりながら声をかける。
「大丈夫ですか?」
「うん……まだ。でもどうしたら。もっと私にも攻撃力の高い技があれば…………」
「いいえ、シオリさん。あなたの能力は癒す力なのです。これ以上に価値のある力はありませんよ」
「そうかもしれないけど。でも今は……」
「私たちがここへ来た目的を忘れてはいけませんよ」
「目的? それは」
「あの怪物を倒すことではないでしょう?」
「え?」
シオリの呼吸が落ち着きだした。
背中から温かい体温が戻るのを確認したアカメがスッとガトゥリンを指差す。
その指先は獣神の顔ではなく背後を指している。
「あっ」
「まずはマユミさんです。あの人を助けることを考えてください」
「助ける……」
「それができるのは癒しの力を持つシオリさん、貴女だけですよ」
シオリに目に決意じみた何かが宿る。
「ありがとう、アカメ。なんとかしてみる」
「……作戦会議は済んだか。それとも別れの挨拶だったか?」
「激励、だよ」
シオリは腰を落とし、両手を地面につけると、まっすぐガトゥリンを見つめてから腰だけを上げた。
その姿勢は陸上のクラウチングスタートなのだが、はたして獣神はその意図に気付けているか。
「ヨーイ、ドン!」
自らの掛け声で勢いよくスタートをきった。
真っ直ぐガトゥリンに向かい走る。
シオリもガトゥリンも知る由もないが、その駆け足はおよそ人類が到達できる短距離での最速を上回っている。
それも苔むした石の床の上で、運動靴ではなく、鎧をまとった少女の足で。
「突貫か。我の性質を忘れたか」
動じることなく両手を広げシオリを迎え撃つ。
もはや急停止しても減速が間に合わない間合いに入ったとき、ガトゥリンの腹が大きく開口した。
全身に大口が開くガトゥリンがシオリを飲み込みにかかる。
「貴様も喰って、その力を我が物としてくれる」
「シオリッ」
「シオリ殿ォ!」
タイランとウシツノの声が聞こえたが、すぐにシオリの周りは暗い闇におおわれた。
ガトゥリンの体内に飲み込まれたのだ。
アカメの隣にウシツノが駆け寄る。
「馬鹿アカメ! なんで止めないんだよ」
「シオリさんが決めたことです。黙って見守りましょう」
「だって飲まれたんだぞあの怪物に」
慌てふためくウシツノとは対照的に、獣神は静かに息を吐き出した。
「フゥゥ、決着はついた。白姫は我が糧となったのだ」
途端、ガトゥリンの顔が引きつり歪んだ。
身をよじり、腹を抱えてうずくまる。
「がはっ! な、にをしている? 白姫……」
「シオリ殿! 無事なのか」
「がぁぁぁッッッ!」
叫びながら激しくのたうち始めたガトゥリンの巨体が周囲を破壊し始める。
床や壁や柱や天井が次々瓦礫と化していく。
するとその異変にまずはタイランが気がついた。
「……降下している」
「え!」
「なんですって?」
上手く聞き取れなかった気がしたが、その頃には二人にも異常が感じ取れていた。
心許ない浮遊感が足元から伝わってくるのである。
「この宮殿、落ちてるんじゃないか?」
「落ちてますね。なにがしか装置のようなものでも壊したのでしょうか。あれだけ暴れては」
「冷静だな、おいアカメ」
言いながら床に手がついた。
もはや立っている事すらままならない。
「脱出するぞ二人とも! 掴まれ」
赤い羽根を広げたタイランに遅れじと必死にしがみつく。
三人は急いで雲の上を飛ぶ宮殿の外へと飛び出した。
「やはり落ちている! 大丈夫か?」
「かろうじて、この軌道なら街への落下は逸れそうですかね」
「追うぞ。墜落したところであの獣神がくたばるとも思えん」
「なんて化物だ……」
赤い航跡が噴煙と雲を裂いて地上へと滑降した。




