384 メルクリウス
「くらえッ! クリスタル・フリーズ!」
ナナの神器、ザ・シルバースターから勢いよく水流がほとばしる。
その水をかぶったバル・カーンどもが次々と全身を結晶化していく。
「水でもかぶって反省しなさい」
セリフが終わるや否やスパァァッン、と音が鳴り、結晶が一斉に砕け散った。
キラキラと光を反射する粉々の結晶の向こう側に、獣の大群を束ねるひときわ大きな二足歩行の獣、バルカーン・ロードの姿があった。
「ロード種、ね」
ナナが不敵に笑う。
いつものピッチりとしたスーツではない。
同じようにメタリック調ではあるが、絢爛豪華なシルバードレスである。
「私も目覚めたのだ。〈旧きモノ〉生きている銀として」
そこに絶大な自信が芽生えていた。
「ナナ様! 全軍撤退完了です!」
タイミングよく外壁上からメアの報告が聞こえた。
「住民は?」
「余さず取り押さえております!」
「よし」
カレドニアにいた街の住人はことごとく獣化してしまった。
だがまだ助けられる希望はある。
そのためにもなるべく殺さずに押さえ付けておく必要がある。
最低でもこの街から出さないようにする。
それに関してならナナにも打てる手があった。
それにしてもである。
対象者が数万に上るだろうこの作業をよくもなんとかやり切れたものだ。
「シオリか……」
こうも粛々と手際よく進められたのは図らずもシオリの成果だった。
シオリの閃光撃による攻撃は、獣人たちを昏倒させる一撃であったが、思いのほか長時間その効果を持続させていた。
自分より若いが経験値を積み重ねているらしいシオリに対し、ナナは内心で舌を巻きつつも自分の役目に徹することに集中することにした。
「見せてやろう。銀姫最高レベルの防御結界、メタルマックス!」
両手を広げたナナのドレスの袖が急激に伸びだした。
長い長い帯状の銀が左右からカレドニアの街の周囲を覆い始める。
腕だけではない。
背中からも幾本もの帯が生じて伸びはじめる。
ドレスのスカートまでもが左右に向かって帯状に伸びはじめた。
銀姫の纏うドレスがいくつもの帯状に放たれる。
留まることなく伸び続ける銀色の帯たちは、縦横無尽にカレドニアの街全体を覆い尽くしはじめる。
やがてその帯にナナも身体ごと引っ張られるように上昇する。
硬い帯が幾重にも折り重なり、まるで鳥籠のように街全体を覆い尽くす。
その檻の上部外側に四肢を伸ばしたナナが張り付いていた。
一見すると纏った銀色のドレスが引き延ばされて檻と化し、ナナの露出した顔だけが人としての外見を保っていた。
「ふう」
完成だ。
全身を真空パックされたような圧迫感を感じる。
その感覚に心地よさと力強さを感じた。
この鋼鉄の檻は最高の防御機能を備える自負があった。
「おおう! 何ということだ! 銀姫が自ら街を覆う檻となるとは!」
檻の中、街の広場で上空を見上げながらレーム皇子が息を飲む。
「ナナ様がおっしゃるには、これが〈守護〉の道標たる自分の最大防御技だとか」
「むむう。守護を司るとな?」
隣に立つスガーラの解説はありがたい。
ところどころ隙間から陽の光が差し込んでいる。
レームは檻と言うよりひっくり返した藤のカゴの中にいる気分だった。
「しかし見たところ、銀姫は完全にこの檻に同化していないか? あれでは」
「問題ありません。ナナ様なら」
一斉に獣どもが檻へと飛び付いた。
爪で引っ掻き、牙で噛みつく。
しかし当然のことながらキズひとつつくことはない。
「よってたかって私の身体に群がりおって。汚らわしい獣どもめ! 斬り払ってくれる! 回転刃ッ!」
ギュイイイン! と金属の回転音がしたかと思うと飛び付いたバル・カーンどもが次々と切断されていった。
檻の表面、至るところにノコギリのような刃をした円盤が回転をしていた。
「近付けばバラバラになるぞ」
ズシン、という足音が響いた。
「む」
不敵な笑みをこぼすナナの顔にスッと影が差す。
眼前に巨獣バルカーン・ロードが立ちふさがった。
剛腕を振りかぶり、手が傷付くのも構わず殴り付けてくる。
檻全体がミシミシと軋んだ。
立て続けに殴り付ける。
「愚かな」
ロードの殴ろうとした位置が突然液体のように溶けると、その腕を包み込むようにして再び硬い金属の檻へと変化した。
「千変万化の銀姫だ。固くなるばかりではないのだぞ」
ナナは躊躇しない。
腕を捕まれ身動きが出来ないでいるバルカーン・ロードにすぐに止めを刺そうとした。
「ん!」
そこへ突如、上空から戦慄を覚えさせるほどの轟音が降り注いできた。
「なにィ!」
思わず見上げたナナの顔に驚きが張り付く。
晴れはじめていた空、雲の切れ端からパラパラと瓦礫が落ちてきた。
それは最初は細かな石だった。
やがて光る苔むした瓦礫が落ちてきて、ほどなくして埃と轟音と共に巨大な宮殿が落ちてきた。
「ガトゥリンの宮殿か!」
それは上空に浮遊していると言われた光の宮殿だった。
制御機能を失っているようで、屋根部分を下にして急速に落下していた。
「どこへ落ちる!」
かろうじて街への直撃は避けられそうだが、推定される落下地点は南東方向。
「東アップランド平原です!」
「衝撃に備えろ! 大丈夫だ。ナナ様が我々を守ってくださる!」
「しかしこれほどの質量が落下すれば半径数十キロ圏内は無事では……」
「いいから伏せろ!」
スガーラがレームの頭を押さえつけながら身体ごと引き倒す。
直後、爆風と衝撃が荒れ狂った。
人々が見たことのないほどの噴煙が立ち上る。
ナナの周囲を衝撃が駆け抜けていく。
たまらず目を閉じ顔を背ける。
手足を目一杯広げた姿勢で街を護っていた。
全身を突風が吹き抜けていく感覚がかなり長い時間感じられた。
実際は数瞬でしかなかったかもしれない。
目を開くと平原は草木の生えない荒れ地と化していた。
土煙がたなびくなか、ナナは街を護り通した。
静寂が流れる。
周辺に群がっていたバルカーンどもの姿もない。
腕を捕まれたままのロードだけがそのままの姿勢でノビていた。
「街は、無事だな」
ナナがほっと一息ついた時、堕ちた宮殿跡から異常な気配を感じた。
地鳴りと共に崩れた瓦礫をはねのけ巨大な蛇が這いずり出た。
それがこの距離からでも見えるほどの巨体だった。
蛇体を伸ばし、立ち上がる。
「ガトゥリン!」
獣神ガトゥリンは怒りに満ちた眼で周囲を睥睨すると、ナナの方へと振り向いた。
「そこにいるな。我のエサども」
デカい蛇の胴体を背中から生やしたガトゥリンがゆっくりとやって来る。
奇妙なことだが、ガトゥリンは腕を組み、胡坐までかいている。
まるで巨大な蛇の頭部がガトゥリンの全身であるかのようだ。
およそ生物学的に見たことがない。
しかもサイズは街の外壁よりも高くある。
今のナナがさらに見上げるほどのサイズだ。
「くっ……シオリはどうしたんだ? まさか、やられたのか?」
にじり寄る蛇を前に、ようやくナナの表情にも焦りが見えはじめていた。




