376 身体いっぱいの口
「腹の減り具合からして、千年といったところか。少し寝足りないな」
上空に瞬く光の宮殿から降り立った一匹の獣ガトゥリン。
「これが、獣神」
マユミのつぶやきに獣が異を唱える。
「獣神か。人間はいつも我をそう呼ぶな」
「違うの?」
「お前は自ら神を名乗る者を、おこがましいとは思わぬのか?」
「ええっ?」
「だがお前らが我をそう呼び、我にすがろうとするのであれば、それもまた捨て置くこともない。それが力持つ我の、余興ではあるが、責務であるとも思う故に」
マユミがポカンと口を開けたまま、隣のシオリに目配せする。
「ちょっと、ガトゥリンて、もっと傲岸不遜なケダモノを想像してたんだけど」
「う、うん」
「なんだか言ってることが小難しくてさ、なんていうか、私なるべく付き合いたくない」
マユミの感想はシオリもおおむね同意見だった。
ただ、シオリが見た千年前の夢では、ガトゥリンは荒れ狂う凶獣そのものだった。
同時に涙にくれる千年前の白姫ヒカリのことも胸を打つ。
「ふむ」
ガトゥリンは空いた玉座に座ろうとして、邪魔なゼイムスの遺体を持ち上げた。
「とりあえずこれで腹を満たすか」
唐突にゼイムスの首筋を噛みちぎり何度か咀嚼すると、ベッと吐き出してしまった。
「なんだこいつ? 人形か」
そう吐き捨て遠くへと投げ棄ててしまう。
チラリ、と、そのガトゥリンと目が合った瞬間、シオリに緊張が走る。
「そう構えなくていい。お前たちは姫神だろう? そこに倒れている娘も」
ナナを指差す。
「姫神は食さない。だから安心しろ」
そしてガトゥリンの目に止まったのは、これまた意識を失っていた獣人。
元はゼイムスの護衛をしていた殺し屋エユペイである。
異様な気配に目を覚ましたエユペイが近寄る獣神に気が付き立ち上がった。
逃げるのかと思えば、その獣神を主と認めたのか、エユペイは畏まり片膝をつく。
「よい。エサがそう畏まるな」
「ッ!」
バクンッ!
一瞬でエユペイの上半身は失くなっていた。
大きく口を開いた獣神に一口で噛み千切られたのだ。
その瞬間、ひときわ身体が大きくなったように見えた。
そして足だけになったエユペイが倒れていた。
シオリもマユミも驚いて声もでない。
修羅場は潜ってきたつもりであったが、いま目の前で起こったことは、それらを凌駕するほどの圧倒的な暴力だった。
CGで作られたホラー映画とは違うリアリティがそこにはあり、現実だからこその虚構染みた滑稽さまで感じられた。
それほどに脳は麻痺し、恐怖を感じる感情も薄らいでいた。
「しかし、目覚めてみれば目の前に三人も姫神がいるとは。寝起きには少々堪えるな」
「ど、どういうこと?」
「決まっておる。我と戦うためだ」
ハッキリと言われ思わず戦闘体制をとってしまう。
その二人をみたガトゥリンが感心する。
「ほう。お前たちすでに覚醒レベルにあるじゃないか。こちらの姫神はまだのようだが。ふむ、銀姫か」
「わかるの?」
「当然である」
「当然って」
「マユミさん。どちらにしても戦うしかないです。あれはとても、危険な感じがします」
シオリは少し変わったかも。
マユミはそう思った。
よく言えば、覚悟が決まった。
悪く言えば、少し好戦的になった。
とはいえ今のシオリは隣にいると心強い。
「了解。シオリがやる気になってるなら問題ない。先制攻撃でいくよ」
「はい」
ガトゥリンは自然体で両手を広げ待ち構えている。
「究極人形」
マユミが使える最大級の魅了系操作術技である。
この術技で虹蛇エインガナを操る。
「それいけ、エインガナ!」
ドドドドドッッッ!
大質量を伴った巨大な虹蛇がガトゥリンへと突進する。
「ふむ。所詮は他人の威を借りるしかない桃姫のこれが限界だな」
身体の真正面から虹蛇の衝突を受け止めた。
驚かされたのはその後だった。
虹蛇の頭部から順々にガトゥリンの身体に飲み込まれていったのだ。
「違う! 食べてるんだ」
シオリの言うとおりだった。
ガトゥリンの胴体いっぱいに大きな空洞と鋭利な歯列が見える。
「どうせ腹を満たすなら、腹で喰えばよいではないか」
出鱈目な構造を非難しても仕方がない。
現に腹で喰っているし、喰うほどに身体もでかくなっているようだ。
「シオリッ」
「電刃ッ」
黙って見ていても勝機はない。
光の剣にさらに雷光を重ねて斬りかかる。
グギャギャギャギャギャッッッ!
激しくブレる衝撃がシオリの手に伝わる。
光の剣をガトゥリンは手のひらで受け止めていた。
その手にまで強靭な牙と顎がある。
「なかなかの光熱だ。腹の中でエインガナが美味しく焼けているぞ」
「くっ」
手のひらに開いた口で雷撃まで喰らっていた。
シオリは力を吸いとられている感覚を覚え剣を退き、間合いをとった。
「こっちもダメ」
マユミも同時に後退する。
虹蛇エインガナは余すところなくガトゥリンの腹に収まっていた。
「なんなのコイツ」
「そう落ち込むことはない。なかなかの攻撃であった。返礼として我の力を披露してやろう」
ガトゥリンの背中から太い尾が生えた。
その尾はみるみる伸びだし、同時に太さも増していく。
「マユミさん、あれは尻尾じゃない」
「虹蛇だ! 背中からさっきの虹蛇が生えてる!」
ガトゥリンの身体が持ち上がる。
巨大な蛇の身体の先に獣神がいるのだ。
「これは大きな胃袋を手に入れたものだ。いくらでもエサを喰えそうだぞ」
「まさか……」
その瞬間シオリの脳裏に閃いたのは獣人。
シオリの想像は的を射ていた。
獣化した者たちはガトゥリンの配下になるのではない。
食糧だったのだ。




