375 老兵は死なず
「おや?」
アカメはふと、馬上から曇天を見上げた。
「どうしました?」
馬を巧みに操りながら背後に乗せたアカメを振り返ったのは、エスメラルダの女騎士スガーラだ。
ハイランドの首都、カレドニアから東に位置する城塞都市ネアンに緒勢力が集結しつつあった。
なかでも獣神ガトゥリンを信奉するランダメリア教団の夜襲により、一度は瓦解した翡翠の星騎士団がネアンに合流してくれたことは幸運だった。
領主の不在の間、街に立てこもり人々を守りながら、獣の侵入を阻んでくれたのだ。
やがて教団を壊滅させ、生け贄として連れ去られた領主の娘ミゾレを伴ったスガーラと星屑隊が合流、そこに調査隊として派遣されたアカメとレーム皇子がやって来た。
その後、意外な組み合わせだが、衰弱したレッキスを抱えクネート皇子までがネアンに現れたのだった。
アカメは二人に休息を与えるよう依頼すると、事態の危急を察し、すぐにカレドニアへ戻ることを提案した。
そのための戦備を整えてくれたのはうら若きネアンの新領主ミゾレであった。
ミゾレのはからいで星屑隊と翡翠の星騎士団の半数、第一隊と第三隊が同行してくれることになった。
残念ながらネアンにはすでに兵力はなく、ただし特例として総指揮をレーム皇子が執ることで合意を得られた。
他国の騎士団がカレドニアへ近付けば侵略ととられかねない。
その為の処遇であり、エスメラルダ側も了解してくれた。
エスメラルダ側にも思う所はあったのである。
そして出発直前、ネアンに思いがけない、さらなる援軍がアカメの前に現れたのだ。
「雨が止んだな」
「ええ、その通りです。ベルジャン」
すぐ横を随走するケンタウロスが頷く。
ハイランドと〈槍の誓い〉を交わした部族であり、かつてハイランド最強の騎兵隊ケイローンの騎馬であった部族。
東へと疎開した彼らであったが、ベルジャンは若者で構成された戦士団を率いハイランドへと戻ってきたのだ。
その数およそ百騎。
「しばらくこの国を離れている間にとんでもない事態に陥ってしまったようだな」
「ええ。カレドニアはすでに落ちたと見る以外ありません」
「兄上は無事だろうか……」
レームが国王を継いだ兄皇子トーンのことを憂えるが、状況は芳しくない。
「急ぎましょう。クネート皇子の話では、我らがナナ様もただならぬ様子。姫神の暴走などという話、信じたくはありませんが」
スガーラからも焦燥が伝わってくる。
この一報が彼女たちを揺り動かした要因であるのは明らかだ。
「アカメさん。馬を飛ばします。しっかり私にしがみついてください」
「ゲ、ゲコォ」
乗馬の経験がないアカメはスガーラの腰に手を回し力をこめる。
「全騎、全速前進! 雨が止んだ以上、これよりカレドニアへとひた走る!」
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「ぐぅはッ」
全身から血を流しつつも、刀を地に突き立て、ケイマンは倒れまいと踏ん張った。
そのケイマンの前に二匹の獣人が立ちはだかる。
ウシツノとタイランだ。
二人とも、獣化しても己の得物をしっかりと使いこなしている。
「この二人を同時に相手するのは、カカッ! 流石に無謀じゃったな」
「おじいさん」
水精がケイマンの背中に触れると痛みが幾分和らいだ。
ウンディーネがひとり残り、ケイマンをサポートしていた。
体内の水分を浄化することで治癒力を増大させているのだが、ケイマンにはその仕組みを理解する気はなかった。
「おじいさん、お酒の飲み過ぎで体内の水がくたびれてる。回復術の効果が弱いわ」
「当たり前じゃ! わしゃ酒で出来とるんじゃ。余計なことせんとヌシも早う行けィ」
「きゃっ」
ドン、とウンディーネを突き飛ばす。
その位置をタイランの赤い斬撃がかすめ、頭上からはウシツノの一撃が振り下ろされた。
突き飛ばした腕をタイランに斬られながらもウシツノの剣を転がって避ける。
追撃を警戒してすぐに飛び起きると相手も不用意に踏み込まず剣を構え直していた。
「お前ら、理性がのうなって見境がなくなったのう。昨日までの己を思い出すわ」
ペッ、と唾棄する。
「ふむ。しかし数十年ぶりになんだか身体が軽いわい」
体内の酒が浄化されているからだと理解しても口には出さない。
酒を邪魔だと思いたくなかった。
「唯一の友ゆえな」
口の端がニヤリとしている。
しかし同時にゾワッとした寒気を斬られた腕から感じた。
見るとケイマンの腕から獣化が始まっていた。
「傷口に雨が染み込んだか」
腕は黒い剛毛に覆われ、口内にも存在し得ない犬歯が伸びているのを感じる。
「どうやら死合時間はもう残りわずかのようじゃな」
ブン、と剣をひと振り、水滴を払う。
「あと何発打ち込めるかの」
ガンッ!
鋭い横薙ぎがタイランから打たれる。
妖刀で弾くとまたしても頭上からウシツノが重たい一撃を見舞う。
刀の峰を手の甲で押さえつつ受け止めると、その隙に乗じ容赦なくタイランの突きが襲ってくる。
歯を食い縛りウシツノを押し返すと慌てて首を捻って突きをかわす。
慣れない犬歯で口の中を切ったようだが意に介す暇はない。
反撃に転じようと振るった攻撃が思いの外素晴らしい衝撃を伝え、防御したはずのウシツノが大きくよろめいていた。
「ほっ」
一足跳びに間合いを詰め、トドメを刺そうとしたところ、己の尻尾に痛烈な痛みを感じ深く踏み込むことが出来なかった。
タイランによって尾の先を斬られていたのだ。
「痛ぅ……はしゃぎすぎて尻尾を置き去りにしてもうたか」
ケイマンの軽口など聞く気もないようで、今度は二人が同時に左右から斬りかかってきた。
一本の刀で防げるのは片方のみ。
後方へ避ければ追撃を受ける。
ケイマンの選んだのは右からのウシツノを止めることだった。
だが同時に左のタイランの攻撃も受け止める。
ガキィン!
ケイマンの左肘から仕込み刀が飛び出しタイランの一撃を止めていた。
だが反対側、ウシツノの一撃は重く、片手で踏ん張ることは困難だった。
「と、思うじゃろう?」
ところが二人の攻撃を止めるだけでなく、なんとケイマンの方が二人を押し返し始めた。
「がぁッ」
裂ぱくの気合いと共に両腕を振り抜くと二人が逆に吹き飛ばされていた。
「はぁはぁ、じ、獣化も悪くないのう。数倍の力が出せたぞ」
そう。
今やケイマンの姿も獣人のそれに近くなっていた。
街の誰もが獣化により凶暴性と運動性を増したのだ。
ケイマンとて例外ではない。
「じゃが、お前らは弱くなってるのう」
再び剣を構えるウシツノとタイランに向かって言い放つ。
「お前らの強さは心にあった。ワシになかったものじゃ。心技体、お互い技と体だけの勝負なら、まだまだまだまだ、負ける気はせんぞ」
構わず二人が斬りかかってきた。
「来るがええ。ワシの目的はお前らの足止めじゃ。あの嬢ちゃんの手前、殺すわけにもいかんしのう」
だが迎え撃つケイマンの目前で二人が唐突に止まってしまった。
「ん」
「おじいさん!」
「わかっとる」
ウンディーネの声に振り返らずともケイマンも気が付いていた。
「とうとう、雨が止んだか」




