374 獣神ガトゥリン降り立つ
ゼイムスの呼びかけに応じ、巨大な蛇が降りてきた。
気のせいかもしれないが、以前よりひとまわり大きくなった気がする。
「もはやパンドゥラの箱など不要。古ぼけたカビ臭い神器より、オレの意のままのマユミの方が制御は優る」
「うぅ」
マユミが苦悶の表情を浮かべた。
シオリは虹蛇から目が離せずにいる。
獲物を狙う不気味な双眸と目が合った。
蛇に睨まれたカエルの気持ちが大いに理解できる。
虹蛇は家ごと咥えこめそうなほどの大きな顎をグパァと広げると、シオリにめがけて真っ直ぐ突き進んできた。
「くっ」
怯んでいる暇はない。
ここで虹蛇を鎮められなければ、仲間もこの国も全てが終わってしまうのだ。
「パ、パンツァードラグーン!」
「無駄だ!」
シオリが箱を掲げ蓋を開ける。
ゼイムスがあざ笑う。
まばゆい光がほとばしる。
虹蛇がシオリに覆いかぶさる。
バクゥ!
光ごと、シオリは虹蛇に飲み込まれた。
光が闇にかき消されるように、辺りに静寂が戻ってくる。
「フ、フハハッ」
ゆっくりと、虹蛇は身を起こし、くねらせ、巨体を揺すりながら玉座に座るゼイムスへと向き直った。
蛇の瞳を間近で迎える。
「ククク、さしもの白姫もこれで決着であろう。マユミを手に入れたオレに歯向かったりするからだ」
「クスクス、誰を手に入れたって?」
「ん!」
予期せぬ反論にゼイムスは抱えた女を凝視した。
忘我の額環は確かにマユミの意思を奪っているはずである。
怪しく光る黒メノウが嵌め込まれたこの額環は希少価値の高い魔道具であり、マユミが以前呪われていた、あの黒いマスクと比べても遜色ない代物である。
そのマユミがこちらの意に反した。
驚くゼイムスの目前で、さらに彼の事態は転げ落ちる。
突如大きく開口した虹蛇の舌の上で、五体無事なシオリが剣を構え立っていたのだ。
「な、なぜッ」
「私が操ってるからよ」
軽くウインクして見せるマユミを揶揄する余裕はゼイムスにはなかった。
「覚悟ッ」
シオリの発したその言葉はゼイムスに向けて放ったのか、はたまた己に言い聞かせるためだったのか。
今度こそ、躊躇なく光の剣をゼイムスの額に突き立てた。
「そんな……まさ、か」
驚きと無念の表情のまま、ゼイムスの生命活動は終わりを迎えた。
光は彼の頭部を貫通し、脱力した彼の身体は玉座からズルリと崩れ落ちる。
その様を見て、シオリは何とも言えない顔で立ち尽くしていた。
「よっ、と」
その逆に、マユミが何事もないという風に、ゼイムスの膝の上から降りる。
場の空気を和らげようとしたのか、いささか大げさで芝居がかったようにも見えた。
「勝ったね」
「マユミさん……」
「まあ、確かに可哀想な奴だったかもしれないけどさ、こいつはやり方を間違ったんだよ」
「……」
「自分が不幸だからって、みんなからも奪おうとするんじゃなくてさ、逆に与える努力をするとかね。そうすれば必ず自分にも幸せは返ってくるはずだから」
「そうなんですか?」
「……さあね? これは私が至った私なりの答えだから」
マユミがシオリの肩に手を置いてほほ笑む。
「そのおかげで覚醒できたのよ。旧きモノにね」
マユミがほほ笑みからさらにニッと笑った。
「でもよく私が正気だって気付いたね。大人しく虹蛇に飲まれてまでして」
「確信はなかったですけど、なんとなくマユミさんはもう誰かに操られたりしないんじゃないかって」
「そっか」
マユミ自身は姫神の覚醒を経たことで意識を失わずに済んだと解釈していた。
そもそもそう何度も他人にいいように操られてたまるか、とも思っていたのだが。
「マユミさん、黒い雨を止められますか?」
「そうだったね。やってみる」
シオリが数歩後ろへ退き、マユミが大人しくなった虹蛇の前に立つ。
そっと片手を突き出し虹蛇の額に触れた時だった。
「その必要はない」
「え?」
何処か後もなく低いしゃがれた声が聞こえた。
「マユミさん! 上です!」
いち早く異変に気付いたのはシオリだった。
上空を指差している。
マユミを上を見上げると、彼女の見覚えのあるものがそこにあった。
「光の……宮殿」
虹蛇がとぐろを巻いて護るように鎮座していた、空中の光る宮殿がそこにあった。
光の宮殿から何かが飛び降りてきた。
シオリとマユミの目の前に降り立つ。
少し大柄の人間程度の大きさ。
全身は剛毛に覆われ、顔はイヌ科の肉食獣のようである。
「だ、だれ……」
「知れておろう? 我こそがガトゥリンなり」
「ガトゥリン!」
獣神ガトゥリンが、千年の封印から解き放たれていた。




