366 アルテマドール
バシャッ、バシャ、と足下の水が跳ねる。
エユペイの拳が、ウシツノの踏み込みが、容赦なく濡れ伝う黒い水を跳ね散らかす。
完全に天井が崩落した王宮の謁見の間は、雨を遮ることもなく、二人の死闘を無慈悲にも突き放す。
その上空を巨大すぎる虹色の蛇と、暴走し、ヒトとしての外見をなにひとつ見出だせない銀姫が激突している。
「フハハハハッ!」
その様子に雨に濡れるのも構わず高笑いするゼイムス。
彼自身、恐れるものも、敗北さえも気にするものではなかった。
反面、シオリとタイランは辛うじて雨をしのげる瓦礫の下へと引き下がっている。
打開策など何も見つからず、状況は悪化するばかりだ。
「ダメだよウシツノッ!これ以上濡れたら」
シオリが雨中のウシツノを呼び戻そうとする。
いかにシオリの力を分け与えられたといえど、耐性が完全である保証はない。
姫神であるシオリならともかく、ウシツノがどこまで獣化をしのげるのか。
「無理だ。二人とも闘いに集中している。気をそらした方が致命的な一撃を受けるとわかっている」
「でも」
タイランの忠告はもっともだ。
見たところ二人の力量は拮抗している。
雨への焦りと頭上の怪物を意識しつつも、目の前の攻撃を掻い潜ることに神経を研ぎ澄ませている。
「どうにかしないと」
「ああ……」
判断に迷う。
しかし時間はないに等しい。
すると戦局に一石を投じる変化が現れた。
ウシツノとエユペイ同様、互角の攻防を繰り広げていた頭上の二体の怪物だ。
虹蛇の動きが鈍り、銀姫の攻撃による被弾が明らかに増していた。
「どうしたのだ、エインガナ?」
ゼイムスが信じられないといった顔で見上げる。
そうこうするうちに虹蛇はついに完全に動きを止めてしまった。
「聞こえる? シオリ」
「その声!」
どこからか聞こえてきた女の声は、明らかに虹蛇の中から聞こえていた。
聞き覚えのある声。
「まさか! マユミさん?」
「マユミだと!」
シオリの呼び掛けにゼイムスが顔をしかめる。
「何処へ行ったかと思えば……今さら」
虹蛇の巨体がシオリとタイランの直上に移動してくる。
「そう、私! この子に呑み込まれちゃったんだけど、ようやく制御できたのよ!」
「せ、制御!」
「なんとまあ」
シオリとタイラン、二人とも信じられないといった顔になる。
「聞いて! この雨を降らす原因はこの子なの。この子は虹の化身。空にかかる虹から生まれた蛇なの」
「に、虹の化身?」
シオリにすれば途方もない、ひどく概念的な話だが、説明しているマユミだって同じ気持ちだった。
日本にいた頃の常識をもうだいぶ逸脱してきた二人だが、それにしても虹から生まれるとは理解しがたい。
「でもそうなの! それはもうそうなの!」
「う、うん……」
シオリもこの期に及んで疑問を差し挟むつもりもない。
「どこから来たのか知らないけれど、でもこの子を大人しくさせればきっと、きっとこの雨は止むわ!」
「雨が、止む!」
「止む!」
そう信じたマユミはその為か体内から虹蛇を操作し、銀姫の攻撃を受けるに任せているようだ。
「小賢しい。マユミよ、このオレの邪魔をするなッ」
怒りに顔を赤くするゼイムスが、両手を掲げて吠える。
「虹からの使い、エインガナよ! 今一度このオレに従うのだッッッ」
ゼイムスの纏う鎧から一条の光が両手を伝い発すると虹蛇に照射される。
暫時大人しかった虹蛇が苦しそうに蠢き出す。
「マユミよ! 貴様のような半端な姫神に屈するほど、この箱のチカラはやわではないぞ」
「私は半端なんかじゃない、チェルシー!」
「な、なにッ」
光を浴びて力を取り戻しかけていた虹蛇が再び大人しくなる。
「そんな古くさい神器より、旧きモノに覚醒した真の姫神である私の方が上よ!」
咆哮をあげる虹蛇の口からまばゆいドレス姿のマユミが飛び出てきた。
その姿は正に美の女神アフロディーテを名乗るに相応しい。
「操ることに特化した桃姫様を舐めないでよね!」
箱の光を押し返すほどの波動が感じられた。
マユミの姿が淡い薄桃色に輝く。
「言う事を聞きなさい! 最大秘奥義! 究極人形!」
マユミから桃色の光が降り注ぐ。
光を浴びる虹蛇エインガナがゆっくりと動きを止め、そしてすべての防御行動を中止した。
「さあ、やりなさい! 銀姫!」
マユミが暴走している銀姫に声をかけた。
その時すでに銀姫は攻撃のモーションに入っていた。
振り下ろした渾身の太い一撃が虹蛇に降りかかる。
「莫迦め」
ほくそ笑んだのはゼイムスだった。
銀姫の太い一撃は突然無数の触手のように枝分かれマユミに襲い掛かった。
「えっ」
それはあたかもマユミの神器、無数の鞭が暴れまわる様を想起させた。
金属のように固く、鞭のようにしなる触手がマユミを打ち据え、絡みつき、行動を封じ込めた。
「なん、で……」
「ククク」
ゼイムスが銀姫に向かい光を照射している。
「オレの狙いは初めから銀姫よ。暴走した銀姫という、新たな手駒を手に入れることが出来た」
虹蛇から桃色の輝きが失せる。
「エインガナも戻ったな」
ゼイムスの目の前にマユミが落ちる。
銀色の触手がほどかれ墜落したのだ。
そしてゼイムスの頭上には彼を庇護するように、虹蛇と銀姫が滞空し始めた。




