364 七色の絶望
ゼイムスが片腕を振るっただけで、衝撃波がのたうつ蛇のごとく床石を破壊していく。
その射線に巻き込まれまいとシオリとタイランは逃げ惑う。
そんな二人に気を良くしたのか、ゼイムスは衝撃波を休みなく繰り出し、謁見の間の床や壁に破壊の痕跡を記録し続けていく。
「フハハハッ! みじめだな! 逃げ回るだけか!」
破壊衝動に浸るゼイムスにタイランも反撃を試みる。
素早く神剣ククロセアトロを閃かせ斬撃を浴びせてみた。
しかしその一撃はゼイムスの片手で防御される。
甲高い激突音が物悲しく鳴り響く。
「ひ弱な攻撃だ」
ゼイムスは嘲るがタイランの狙いは別にあった。
暫時、攻撃の止んだ後方で、シオリがゼェゼェと息を整えている。
止まない攻撃を止めるのがまずは狙いであった。
「あの魔女の細胞が埋め込まれた人造人間とはな。貴様を造ったのは誰だ、ゼイムス」
「知れた事ッ! 我が長に決まっている!」
「長? エルフの女王ト=モのことか」
噂では現存するエルフの中では最古参、齡二千年を生きると言われている。
センリブ森林のエルフを率いる女王だとは知られていたが、盗賊都市の盗賊ギルドをも治める長であることが周知されたのはごく最近であった。
「なるほど。我らより姫神を知っていて当然か」
タイランの物言いにシオリはかぶりを振る。
「でも、人為的に姫神を作り出すなんて、そんなこと……」
ようやく人心地着いたシオリだったが、しかし途中で言葉を飲んでしまう。
倫理観など今ここで説いても無意味だ。
まして相手は二千年を生きるエルフが仕組んだこと。
たかだか十数年の人生でしかない自分には計り知れない思慮がそこにはあるのかもしれない。
「いや、シオリ。お前の言う通りだ。なんであれ、これは生命の尊厳を踏みにじる」
「それをオレの前で言うか!」
侮蔑と受け取ったゼイムスはタイランに攻撃を集中する。
当然、隙をついて反撃を試みるも、パンドゥラの箱の鎧は硬く、斬撃は弾かれるばかりだ。
しかも死を厭わないゼイムスの特攻は半端な対応では御しきれず、自然タイランは防戦一方、攻撃の手は減少していく。
「フハハハ! 技術や体力など、最期の最後には毛ほどの役にもたたん! もっとも強さを発揮するもの、それは諦観だ」
「ちがう。人は希望があるからこそ強くなれる」
「オレはヒトではないと言ったろう!」
強い衝撃にタイランは吹き飛ばされた。
「理解できないのなら味あわせてくれる! 希望などと悠長なことを言ってられぬ、深い、絶望の世界をなァァァ」
その言葉と同時に雨が強くなる。
「噛み締めるがいい! 己が無力をッ」
滝のような豪雨が王宮を打ち付ける。
その雨にも負けない張り裂けるような声でゼイムスはあるモノを喚んだ。
「降りてこいッッッエインガナァァッ」
空の遠くで咆哮が聞こえた。
心が軋むような、錆びついた鳴き声だった。
「……なに?」
シオリには雨の轟音が聞こえなくなり、静かで長い時間に感じられた。
実際には音も刻も何も変わりない。
すぐに何かが目の前に出てくるわけではなかった。
しかしその場の全員が、何か得体の知れない存在を感じていた。
とても重たい、重量感のある威圧。
「見てッ」
最初に気付いたのはやはりシオリだった。
彼女が指し示すテラスの向こうに全員が視線を飛ばす。
黒い雨のカーテンの向こう側、いつのまにかそこに大きな壁が出来ていた。
太陽を忘れた、暗い雨の世界だが、壁はほのかに虹色に見える。
「壁が」
「いや、動いている!」
その通り、巨大な壁は動いていた。
蠢いていたと言える。
右から左へゆっくりと、そちらが前だとすればだが、前進しているように見える。
「フンフンフフン」
ただひとり正体を知るゼイムスだけが、愉しそうに鼻唄を口ずさむ。
「こっちだ!」
ウシツノが反対側のテラスを指差す。
ここは王城でも三番目に高い第三の塔頂上付近の謁見の間である。
その高さを周回するナニカがいる。
「蛇だ……」
呟いたのはエユペイだった。
彼ですら呆然と立ち尽くしている。
いまや最初と反対側のテラスから、大きな蛇の横顔が見えていた。
十個の尖塔を天に衝く王城ノーサンブリア。
この巨大で壮麗な美しい城を、七色のくすんだ鱗におおわれた、さらに巨大な虹蛇がとぐろを巻いて周遊していた。




