360 せめて最期に
「どうしてこうなった」
高価な調度品や美術品、希少な魔道具の散らかった部屋で、老人は酒をあおる。
この地下の隠し部屋に籠ってからいったい何日が過ぎた事か。
「どこで見誤っちまった」
目の前の机に置かれた木箱を開ける。
木箱の側面には<V>と刻印があり、中には数本の紙巻きが残っていた。
――社会が壊れては旨味もない。
「おめぇの言うとおりだったよ、ネズミよぉ」
老人、ハイランドの盗賊ギルドマスターであるオーシャンはただひとり、取り残されたこの部屋で最期の時を待っていた。
「マラガの手を借り、バニッシュで金を儲け、トーンに付いて、権力にあやかった」
先程より、閉めた扉を外からガンガンと叩く音がする。
同時に聞こえる獣の唸り声はその数が増える一方だ。
「その結果がこのザマか」
――オレに都合のいい、新しい社会を作るさ。そのための姫神だろうが。
聞き分けのないネズミに対し、吐いた自分のセリフが滑稽に思えた。
「年取ると未来が見えなくなるもんだな」
――ちがう! それだけじゃねえ! 姫神は癒すことも……。
「……姫神ね」
この年になるまでそんな世迷言に振り回されたりはしなかったもんだ。
人は理想を語るとき、つい自分に都合のいいように物事を捻じ曲げちまう。
バキッ! という音と共についに扉が破壊された。
腹を減らした獣人どもが次々と入ってくる。
みんな元々はオーシャンの部下だった者たちだ。
「先に獣になった奴らの方が、幸せなのかもしれねえなぁ」
せめて最期にもう一杯と、伸ばした手は酒にまで届かなかった。
ほらな、都合よくは行かねえ。
ネズミの仕返しだろうなぁ、恨んでるだろうし……よ。
獣人に喰い千切られながら、盗賊ギルドのマスターは最期まで悔恨の念に苛まれていた。
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「冗談じゃありませんよ」
シトシトと降りしきる雨の中、物陰を伝いながらひとりで駆けていた。
「ほんとにもう、ですよ。政治で解決できない問題は私の領分ではないのですから」
街の外壁にまでたどり着き、身を潜め、周囲を警戒しているのは小役人のエッセルだった。
慌てて出てきたのか、申し訳程度の雨具に鞄がひとつ。
「話の通じない獣や怨霊など相手できますかって。どうぞご勝手に、てなもんです」
主のいない馬屋を見つけると、スルリと中に入り込む。
飼い葉の補充もされてなく、繋がれたままの馬を勝手に見繕う。
「どうにか街の外へ出るにしても、馬がなくては遠くまで行けませんからね。しかし私は乗馬が苦手なのに、まったくなんだって……ブツブツ……」
一番体力のありそうな黒毛の馬を、素人目の判断で選び手綱をとる。
馬に不馴れで、それこそ不格好な乗馬であったが、構わず誰もいない通りを駆け抜け外界を目指しひた走った。
馬上の人となると雨風の飛沫をかわしきれない。
目を開けているのがやっとの状態で、それでも止まることは許されない。
獣人に捕まっては元も子もないのだ。
幸い通りにも獣もおらず、廃墟のような街の東門、誰がつけたか酔狂な名のゼイムス広場から脱出できた。
「あははは。やりました。さてどこへ向かいましょう? 南? 北?」
南はエスメラルダで具合が悪い。
北の宿場町アルネスを抜けて北方へ行くのがいい。
「まさか黒い雪など降ってはいないでしょうからね」
ケタケタと笑っていると、突然馬が急停止してエッセルは前方に投げ出されてしまった。
痛みを感じつつ全身の骨を確認する。
どこも折れてはいない。
致命傷もない。
「テテ……まだ幸運には見放されてませんね。まったくこの駄馬め! なんだって急停止なんか……」
エッセルの罵りが途絶えた。
馬がこちらを見る目が普通じゃないと気付いたからだ。
「なんですか、その目は? まるで……」
グワァッ!
馬とは思えない唸り声が響いた。
「まるで私を、食べようとしている目じゃないですかァ」
噛みつこうとする獰猛な馬から背を向けて逃げ出す。
「ヒィ! 馬が、獣人に! いや、馬だから、獣馬か」
事務方の足で馬の脚力から逃げ切れるものではない。
「ハァハァ、水? あの馬、黒い水飲んでたか!」
黒毛の馬を選んだのが失敗だった。
黒い斑点ができていたのを見落としてしまったのだ。
襟首に噛みつかれ思い切り宙に振り回される。
「ひぃやあぁぁぁぁ」
ズンッ!
獣化した馬の胴体がまっぷたつになり、エッセルは草の上に投げ出された。
獣化し、筋力の増大した馬を切り裂くほどの剛剣。
「思わず助けてしまったが、よかったのかな?」
「待て。こいつ、見覚えがあるな」
エッセルの前に奇妙な三人組が立っていた。
先に素性に思い当たったのはエッセルの方だった。
「お、お前たち! 白姫と、クァックジャード! それに……ケイマンさまと戦ったカエル!」
シオリとタイランと、そしてウシツノだった。




