354 オズの魔法使い
シオリとウシツノは二人だけで平原を歩いていた。
雨は降っていないので二人とも外套を外している。
空は相変わらずどんよりとしているが、周囲はどこまでも拓けた平原が広がっていた。
ところどころに露出した大きな石灰岩以外、遮るものもない。
その合間を縫うように、取り繕う程度に舗装された細い街道が伸びるのみだった。
その道を特に何を話すでもなく、黙々と歩く。
「オズの魔法使いを思い出しちゃう。昔読んだんだ」
ウシツノの背中にシオリが話しかける。
「竜巻に飲まれて知らない土地へ来ちゃった主人公のドロシーって女の子がね、お家へ帰るために黄色いレンガ道を歩いてエメラルドの都にいる大魔法使いオズに会いに行くんだよ。この道、なんとなくその本の景色がダブって見えちゃうんだ」
当然ウシツノに日本で読んだ物語など知りようはずもない。
シオリだって得意げに話しているが内容はうろ覚えだ。
長い旅路はその先に目指すゴールがあればこそ、踏みしめる一歩に前へと進む活力が生まれる。
ドロシーは道の先にオズに会えると信じていたからたどり着けた。
しかし二人は今、目指すゴールが見えないでいる。
この先にネアンの街があるのは知っている。
しかしそれでどうなるというのか。
何をすればいいのかもわからず、ただ歩いているに過ぎない。
それでは地平線の向こうまで広がるこの平原を歩き続けることなど出来ない。
「ウシツノ?」
前を歩くウシツノの足が止まってしまった。
「どうしたの? 早く行かないと」
「ネアンに行っても、何もないんじゃないか?」
「え」
ウシツノが空を見上げる。
「ここら辺は降ってないじゃないか。街から離れれば雨を避けられるんだ。みんなここまで来ればいい」
「ウシツノ……」
それは難しいとシオリは思う。
街を離れることが出来ない人は大勢いる。
怪我人や病人、その家族、医者。
犯罪を犯す不届き者もいるだろう。
それを取り締まる衛兵は残ることになる。
出るも出ないも各人それぞれの意見があるだろう。
財産を諦めて身ひとつで街を出る者もどれだけいるか。
何よりすでに獣化が進んでいる者がどれほどの数いるのかもわからない。
「命が掛かっているんだ。四の五の言ってられる状況じゃないじゃないか」
「そうだけど……」
誰もが命さえあればと思うわけでもない。
命があってもこれじゃあ意味がない、と思う者も当然いる。
シオリの困った顔を見てウシツノも言葉を飲んだ。
背を向けてまたしばらく歩を進めながら、ボソッとウシツノは呟く。
「実際のところさ、少し甘く見てたよ」
「……何を?」
「箱の封印が解けたって、せいぜい獣神とかってデカい魔物が出てくるぐらいだろう、てさ」
「……」
「だけど実際は、不気味な雨が降り始めて人々が獣になってしまう呪いみたいなもんだった。予想外だよ。剣で斬れば解決できるような、そんな単純なものじゃなかったなんて」
「こんなことを予想できた人なんていないよ」
「そうだよな……」
アカメですら一言もこんな事態になるとは言わなかった。
「これじゃあオレが役に立てることなんてないよ」
「ウシツノ」
振り向いたウシツノがシオリをじっと見つめる。
「でも、シオリ殿は違うな」
「ちがわないよ」
「いや、違うさ。シオリ殿にはなんでも癒せる力がある」
「ちがうよ! 私がその力を使えるのは、ウシツノやみんなが私を助けてくれるからだよ!」
「……」
「もし私にこの災いを癒す力があったとしても、ウシツノがいてくれなかったら、きっとその力を発揮することなんてできない」
「オレが?」
シオリを見て、剣を見て、もう一度シオリを見た。
「そうだよ。だから役に立てないなんてこと全然ないんだよ」
シオリの言葉が心に染み渡るようだった。
そうか、と口の中で小さく呟く。
「オレに出来ることは、あったのか」
この数日、失われていた自信がウシツノに戻ってきたようだった。
その様子がありありと見て取れる。
「シオリ殿を守る。それがオレの戦いなんだな」
難しく考えすぎていた。
アカメがいない分、アカメのように考えなければいけないと思い込んでいた。
だがそうではなかった。
パン! と自らの両頬を両手で叩く。
目が覚めた。
「ありがとうシオリ殿」
それでゴールが見えたわけではない。
だが自分が出来ること、すべきことが明確になって気が晴れた。
「どうやらオレは自分を見失っていたらしい。まさかシオリ殿に諭されるとはな」
「なにそれ、ヒッドイ」
「わははは」
無力感に打ちひしがれるのはもうよそう。
まだまだ修行中の身。
いっちょまえに落ち込んでる暇などないのだから。
「ところで先ほどのオズと言うのは……」
「ねぇ、ウシツノ! あれッ」
突然シオリが空を指し示した。
いくつもの黒い影が南の空からカレドニアに向けて飛んでくる。
「なんだ?」
「か、隠れた方がよくない?」
「隠れるっても……」
見渡す限りの平原だ。
「こっちに」
シオリの手を引き比較的大きな石灰岩の裏に身をひそめる。
「見て! すごい数」
それは羽根つきの獣フリューゲルだった。
何百という数の獣が群れをなして飛んでいる。
その一匹一匹が別の獣を掴み、ぶら下げて運んでいるようだった。
「見たことない奴だ」
獣というが形はかなりヒトに近い。
どことなく獣になったレッキスやメインクーンに似ている。
背格好も様々だ。
「まさか、あれみんな黒い雨で獣になった人間か?」
だとすればバル・カーンとどういう関係なのか。
「ウシツノッ」
シオリがウシツノの肩を叩く。
群れの中にひとりだけ、ヒトのなりを留めた者がいた。
「あれは、ゼイムス!」
見間違いなどではない。
最後に見たあのやつれたゼイムスではない。
若々しく、活力にみなぎった、あのゼイムスである。
「ッ!」
チラリとゼイムスがこちらを見たような気がした。
ニヤリと笑ったような気さえした。
その影はどんどんと遠のいていく。
「行っちゃった?」
「いや、待て! 危ない」
ウシツノがシオリをかばい石灰岩の影から転がり出た。
身を潜めていた岩が崩れ去る。
そこに三匹の獣人がいた。




