346 肥大する金属
「こっちの方はそんなに降ってないんだなぁ」
カレドニアの街を離れて唯一、クネート皇子が喜んだのは、首都から離れれば離れるほどに、件の黒い雨が弱雨になっていくことだけだった。
東部のネアンと南部のローズマーキーを結ぶ細い街道沿いにあるのがウラプールの街だ。
肥沃な土地を生かし農業で財をたてている。
ハイランドで消費する穀物の大部分をこの地で生産していると言って差し支えない。
ただし街道の拠点となるネアンやローズマーキーに比べ、街自体の防衛力はそれほど高くない。
常駐の兵ですら普段は野良仕事に精を出すほどに平常時には平和な町だったのだ。
結果、電撃的にローズマーキーが落とされてからほどなくこの街も陥落している。
「んー怖いなぁ。怖いなぁ」
カレドニアを出発して以来、クネートはこの台詞を何度発したことか。
第三皇子クネートが指揮する調査隊はウラプールの街に到着していた。
総勢十騎の騎士と数人の従士で編成されたこの部隊は、到着後すぐに警戒しつつも街の門を潜り抜けた。
しかし街の中には敵も獣も、まして住民の気配すらも何ひとつ感じられない。
予想通り無人のようだった。
「ホッ」
クネートだけではなく、お付きの従者たちも安堵の吐息を漏らす。
これといった驚異にも遭遇せずここまで来た。
そのためクネート側にも若干の緩みがあったことは否めない。
しかし、それを差し引いてもこの後の惨劇は、到底回避することは不可能であったろう。
ゴォン、ゴォン
何か重たい音が響いているのを誰もが感付いていた。
「何の音だ?」
クネートの疑問は全員の疑問であった。
音は街の奥から聞こえてくる。
ゴォォン、ゴォォン
想像するのも難しいが、表現するならば鉄の管が拍動するかのような、重厚な金属が液体となって流れるような。
そんな印象を持った。
「お、皇子……」
「い、行くしかないだろう! ちゃんと調べて帰らないと兄上にお叱りを受ける」
行くも行かぬも怖いのは一緒だとクネートは前進を命じる。
ただしこっそりと自分は列の最後尾に下がっていた。
音はこの街で一番大きな建物から聞こえていた。
平屋のようだが床面積が広い。
扉は大きく頑丈そうで、通気口らしき穴が壁に空いている以外窓らしきものはない。
「あの建物はなんだ?」
「市場です。収穫した農作物を集め仲買人が競りを行うための場所です」
「ほう、ずいぶんと広いんだなぁ」
「それはもう、この国の台所事情を担っている場所ですから」
「あの二本の大きな煙突は何のためにあるんだ?」
「は? 煙突、ですか?」
解説を務めていた騎士は目を丸くした。
あの建物に煙突などあったためしがない。
しかし確かに煙突らしきものがあった。
天井を貫いて巨大な銀色に輝く円筒状の大きな筒が二本、天に向かって高く高く伸びている。
太さは大人二人が抱え込んでギリギリ手が届くかどうかといったところ。
煙突の先は高すぎて見えないほどだった。
「あ、あのようなもの、知りません」
「なに? しかしあんな巨大な煙突、一朝一夕でこしらえられるものではないだろう」
「し、しかし」
そこで異変が起きた。
信じられないことにその巨大な煙突が動いたのだ。
ゴゴゴ、という地鳴りのような音を軋ませながら、煙突が二本、見上げるクネート達に向かい倒れかかってきた。
「のわぁぁぁぁあぁぁ」
慌てて全員後方に退避する。
煙突の下部が突き出た建物の屋根を破壊しながら倒れてくる。
屋根をあらかた破壊すると煙突は蛇のように激しくのたうち回りはじめた。
「ふぁっ」
どうやら自在に蠢く二本の煙突は、真っすぐ倒れてくることはなく、そのためにクネート達は一命をとり留めた。
「なんだこいつ! まるで生きているかのようだ」
「皇子! 何者かが!」
「むむっ」
のたうつ巨大な円筒も気になるところだが、全員が見つめる中、なんと市場の扉を開けて中からひとりの女が歩いて出てきたのだ。
「な、なんだお前は?」
「貴様たち、は、なんだ」
クネートと女は同時に同じ質問を繰り出していた。
「皇子……あの女……」
「うむ。妖しさバツグンだが美人であるな」
「そ、そうでなくって」
この期に及んで何を言うのかと部下が非難めいた眼でクネートを見る。
「あの女、銀姫ですよ! エスメラルダの、あの大量虐殺の」
「銀姫だって」
クネートが改めて女を観察してみる。
銀姫と呼ばれた女は全身を鏡のように光沢を放つピッチりとしたスーツをまとっている。
そしてはぁはぁと肩で息をしている。
苦しんでいるのは一目瞭然である。
「皇子、あの女の背中……もしやこののたうつ煙突は」
あきらかに銀姫の背中から生えていた。
「こ、この煙突、お前なのか! 危ないからひっこめてくれ」
「無理……だ……制御できな、い」
言うや銀姫の腕から無数の槍が伸びると驚くクネートの脇にいた騎士を串刺しにしてしまった。
「うわぁっ」
のたうっていた煙突の先端が一行を睨みつけていた。
それは巨大で恐ろしい怪物の頭部を現していた。
「私には抑えることが出来ない……済まないが、自力で逃げ延びてくれ」
突然銀姫の体が巨大に膨れ上がった。
市場を粉々に粉砕しつつ銀色の体がどんどんと巨大化していく。
それは丸いゼリーのようであり、固い金属のようであり、そして不気味に蠢いていた。
あまりの規格外のバケモノに剣で渡り合える気がしない。
クネートは一目散に逃げだした。
部下もそれに倣う。
「ヒィヒィヒィヒィヒィヒィッ」
泣きながらも人生でこれ以上ないぐらいのスピードと体力を発揮してクネートは走った。
後方でついてくる部下の悲鳴のような声が聞こえる。
怖くて振り向くことなどできない。
「皇子」
肩を掴まれた気がした。
思わず振り向いた。
誰もついてくる生き残りはいなかった。
代わりに無数の口が迫っていた。
銀色の本体から伸びてくる長い腕のようなもの、その先端に鋭利な牙をガチャガチャと鳴らす口だけがあった。
「ッッッ!」
喰われる。
涙と鼻水と小便が止まらなかった。
こんな生物なのか金属なのかわからないたくさんの口に食われるのだ。
まさか自分の最期がこのような形になるなんて、クネートはほんの五分前まで考えもしていなかった。
「……メインクーンちゃん」




