343 黒点
「雨、止まないね」
窓辺でザーザーと降りしきる黒い雨を眺めながら、ハクニーは何度目かの同じ台詞を呟いた。
「そうだな」
ウシツノも同じ回答を繰り返す。
素っ気ない回答に機嫌を損ねたハクニーは、カエル相手に意地悪を思いつく。
「カエルなんだからさ、雨はテンション上がるでしょ? お外行っといでよ」
「いやだよ。濡れるならまだしも黒く汚れそうじゃないか」
国中に降り出したこの黒い雨はすでに三日間振り続けていた。
王宮前広場で起きた、公開処刑とゼイムスと噂されるみすぼらしい男の消失。
そのとき大勢が目撃したという小箱の開封。
あれはいったい何だったのか、いまだにその答えはわからず、人々は黒いとはいえただの雨に臆する必要もないと、少しずつ日常を取り戻し始めていた。
「ひゃあ、また結構強くなってきたんよぉ、雨」
レッキスが濡れた髪をかき揚げながらダンテの屋敷に帰ってきた。
その後にメインクーンとシャマンも続いている。
顔や体を黒い雫が伝い落ちていく。
「ちゃんと身体を拭いてから入ってくれ」
ドクターダンテは顔をしかめる。
「どうだった? 街の様子は」
ウシツノの問いにレッキスは肩をすくめる。
「どうもこうも、汚れた雨程度で特段なにも変わらないんよ」
「やっぱり気にしすぎかな……」
この黒い長雨を最も気に病んでいるのはハクニーであった。
「伝説の黒い雨だって言うんだろ? んで、この後は魔神将とかいうのが出てくるって?」
「光の大魔宮だよ」
ハクニーが言うのはこの国の建国伝説を著した〈白き巫女と奇跡の箱〉の事である。
はじまりの黒い雨、巫女の奇跡、光の大魔宮、魔神将討伐、そして約束の楽園という章仕立てのおとぎ話で、復活した魔神将を巫女が倒したことでハイランドは興ったと伝説に語り継がれている。
「巫女とは千年も前の白姫のことだった。その白姫ヒカリは自らの神器であるパンドゥラの箱に獣神ガトゥリンを封じ込めたというのが真相だった。でしょ? シオリ」
ハクニーが片隅に座るシオリに確認する。
「うん。そういう夢を何度か見たよ」
「夢かよ」
「シオリは白姫デシ。この地に来てから何かを感じ取ってもおかしくないデシ」
シャマンの悪態に対しバンはシオリを擁護する。
「お前だって元白姫なんだろう? そういう夢を見ねえのか?」
「バンはもう白姫じゃないデシ。だから見ないデシ」
「けどあれだな……黒い長雨ってのは確かに不吉だよな」
ウシツノの発言にメインクーンが同調する。
「街では別の噂も立ってたにゃ。あのパッと消えたみすぼらしい男は死んだゼイムスの亡霊で、怨霊となって現れこの雨を降らしてるんにゃって」
「この雨はゼイムスの涙雨なんだとよ。黒いのは悲しすぎて血の涙が混じってるからなんだと。あいつがそんなタマかよ」
くだらねえ、とシャマンは吐き捨てた。
「シャマンは怨霊とか幽霊とかの話が苦手だからキレてるんにゃ」
「ち、ちがうわ! オレはだな、現実ってやつを……」
「はいはい。それまで。城からギワラが来ておるぞ」
地下洞への抜け道を警戒して、地下室に待機していたウィペットとクルペオが、黒装束に口許を黒マスクで覆った女盗賊ギワラを伴って戸口に立っていた。
「皆さんお久しぶりです。アカメさんの伝言を伝えに来ました」
「アカメの?」
「各地の衛兵詰め所や医療機関からの報告によると、長引くこの黒い雨で体調不良を訴え出る者が増えてます。単なる鬱なのかこの雨との因果関係はハッキリしませんが、なるべく雨に当たらないように気を付けてくださいとのことです」
「ええっ! 今さら言う!」
あわてたレッキスが濡れた身体と髪を気にして着替えのために自室へ向かった。
シャマンとメインクーンも続いて部屋を出る。
「それだけを伝えにわざわざ来たのか?」
「いいえ。しばらく私はこの街を出ます」
「出るって? どうして?」
「その件で、実はタイランさんを頼りにしたいのですが今どこに?」
ギワラの疑問は当然だろう。
この場にあの赤い鳥の姿が見えないのだ。
「タイランさんはエスメラルダに向かったっきり戻ってない。今もどこでどうしているのか」
「じゃがエスメラルダの大司教ライシカが単身で処刑されたという事は、タイラン殿の交渉は上手く行ったとみるべきじゃろう」
「そうだ。だからこそライシカはゼイムスに助力を求めてこの街へ現れたのだろうしな」
「じゃあなんですぐに戻ってきてくれないんだ?」
ウシツノの疑問にクルペオもウィペットも答えが出なかった。
「帰れない理由があるんだろう。もしくは寄り道でもしているのか」
コーヒーを啜るダンテの答えはもっともだが、不安が払拭されるわけでもない。
「タイランさんに何を頼みたかったの?」
「アカメさんの考えもタイランさんが交渉に成功したというものでした。それを見込んでライシカの処刑をエスメラルダの女王に不問にしてもらえるよう交渉をお任せしたかったのです」
アカメはタイランが今も調停者クァックジャードだと思えばこその委任だった。
「なるほど。それは難しそうな交渉だな」
ダンテの感想にギワラは頷いた。
「しかしいないのであれば仕方がありません。私が単身、女王に謁見を頼み、アカメさんの意向を伝えるのみです」
「うわぁッッッ!」
突然レッキスの大きな声が聞こえた。
次いでドカドカとシャマンの足音が迫る。
「闇先生! 来てくれ」
「ドクターダンテと呼べ」
シャマンに連れられダンテが二階へと上がる。
レッキスとメインクーン、クルペオの三人で共用していた空き部屋に入ると、上着を脱いで下着姿のレッキスが震えていた。
「闇先生……」
レッキスがすがるような目で見る。
上半身の素肌に黒い斑点模様がいくつも広がっていた。
肩や二の腕、背中、腹部まで、うっすらとしたものまで含めれば数えきれないほどである。
「……これは、なんだ」
ダンテにもすぐに思い当たらない。
「私にも……」
メインクーンが腕をまくると確かに同じようなものがあった。
レッキス個人に起きた病巣ではないようだ。
「猿人族、お前はどうだ?」
「オレか?」
全身がうっすらと剛毛で覆われた猿人族だと判別しずらい。しかし……。
「あぁ、オレにもできてるな。なんとなく黒いのが見えるぜ」
「私にはない。おそらくこの一週間外出などしていないからだろう」
「てことは」
「この黒い雨に当たった者に影響が出ている。そう考えて差し支えない。もちろん個人差はあるがな。問題は……」
「問題は?」
ふぅ~、とダンテはひとつ息を吐く。
「これがどのような結果をもたらすことになるのか、だ」




