339 食材と贖罪
「意識はある。こちらに反応もする。だが関心は示さない。お嬢ちゃんが見たというプシュケーとやらが原因なのだろうが、それ以上はなにもわからん」
それがドクターダンテのゼイムスに対する所見だった。
「私は肉体の治療はできても精神の治癒は専門外だ。まして精霊術技など門外漢も甚だしい」
ベッドに眠るゼイムスを前に、ダンテはお手上げだと肩をすくめた。
「じゃあどうしたら?」
シオリとマユミの二人がダンテの説明を受けているところだった。
「お嬢ちゃんの処置で身体的に命の別状はない。保護者がいるなら退院してもらっても構わん」
「いないでしょそんなの? 父親はとっくに死んじゃった前の王様なんだし、チェルシーを襲ったのも従兄弟であるトーン皇子だったんでしょ? 保護者こそが加害者じゃない」
マユミの言う通りだろう。
「診察代の請求ぐらいは出来そうだがな」
「そんな……」
「ま、当面は寝かせておくことだな。自意識が虚ろだ。ひとりではなにも出来んだろう。それと……」
コト、と目の前にダンテは何かを置いた。
「患者が懐に忍ばせていたものだ」
「あ! パンドゥラの箱! だよね?」
実はシオリはあまりこの箱をしげしげと見たことはなかったのである。
「おそらくな」
「そっかあ。ハクニーに報告しなくっちゃ」
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「じゃあぁぁぁっん! お夕飯の用意が出来ましたァ」
シオリがマユミとダンテと共に食堂にしている部屋に入ると、ハクニーが満面の笑みを浮かべてテーブルに並んだ料理の数々を見せびらかした。
そこには色とりどりに調理された種々の料理が所狭しと置かれていた。
ほんわりと焼けた肉料理は特製のソースの香りと相まって空腹を呼び起こし、大皿に盛りつけられたサラダは体から濁りを洗い流してくれそうなほどにみずみずしい。
焼きたてのパンはハムやチーズ、バターと共に口元で蕩けるように美味しく、熱々のコーンスープを一口すすったシオリはようやくの事で人心地がついたようだった。
「おいしいよお。ハクニー美味しい! 料理上手なんだね」
「えへへ。シオリずっと怖い目に遭ってたんだろうなあって思って、今日はそう言うの忘れてもらおうと頑張っちゃった」
「ありがとうハクニー」
「なんの! しかもパンドゥラの箱まで取り戻してくれたんだもん! こっちこそ感謝だよ」
案の定あの小箱がパンドゥラの箱で間違いなかった。
箱を見たとたん頬擦りして涙を浮かべたハクニーの顔が忘れられない。
「しかし、食材も随分と手に入るようになったのだな」
いつものようにコーヒーを嗜みながらダンテも旨そうに料理をつついている。
「お店に行けばどこもだいぶ並んでいたよ。まだ少し高いけどウシツノたちがケモノ狩りで稼いでくれてたからね。奮発しちゃった」
「流通が戻ってきているのか。戦はとりあえず終わったという事だろうな」
「そのウシツノはどうしたの?」
シオリがキョロキョロと辺りを見回す。
この場にウシツノがいないのだ。
「もうすぐできると思うんだけどね」
「できる?」
「お待たせしたッ」
そのとき颯爽と部屋に入って来たウシツノは、なんと頭にコック帽をかぶり、エプロンをして、両手に嵌めたミトンに何やら熱そうな料理を持って現れた。
「さあシオリ殿、食べてみてくれ」
ウシツノはシオリの前にその皿を置くと蓋を開ける。
ぶわっと焼けたチーズの香ばしいにおいと湯気が立ちのぼった。
「え? これって?」
「カエル族のカザロ村名物、ブドウグラタンだ」
「ブドウ? グラタン?」
チーズの海にブドウの粒が見える。
「ブドウはカザロ村の名産なんだ。村の近くに葡萄古道という場所があってな、ワインなんかも作ってたんだぞ」
「へぇ、なんか意外」
「まあカザロのブドウは手に入らなかったが、充分イケてるはずだ」
これがまたシオリの予想以上に美味しいものだった。
「うそ……ウシツノも料理、うまいんだね」
「まあ嫌いじゃないな」
「気にすることないよ。シオリには私がついてるんだから。料理なんてできなくってもいいんだよ」
「そうかなあ。それよりも、ありがとう。なんだかいっぱい気を使ってもらっちゃって」
「いいさ。これぐらいしないと申し訳ないし……ッテ」
言いかけたウシツノの尻をハクニーがギュウッとつねった。
「え? どうしたの?」
「ううん、なんでも。ね? ウシツノ」
「あ、ああ。うん。そうだな」
「おかしい。なにか隠してない?」
「隠すも何も……」
どうにも二人の様子がおかしく感じられたが、シオリはあまり追求しないことにした。
「まあいいや。二人ともありがとう。ごちそうさま」
「うん」
「ああ」
「ところでさ、私の白い剣、どこかな?」
「エッ!」
「ッ!」
ハクニーとウシツノが硬直し、目を見合わせる。
「どうしたの? 二人とも」
「ウシツノ……」
「……仕方ない」
差し出された剣を見てシオリが目を見開いた。
驚きで声も出ない。
白姫の神器シャイニング・フォースは長い刀身を真ん中からポッキリと二つに折れてしまっていたからだ。
「折れてるよ?」
「いや、その……持ち運びしやすいようにと、折れたというか、折ったというか」
「折ったの?」
「オ、オレではないぞッ! 折ったのはそこの……」
それまでその席で食事をしていたはずのマユミの姿はとうになかった。
「な、直せるよね? シオリならさ」
「直す? そっか治せばいいのか」
ジッと剣を見つめるシオリ。
「あのさ?」
「うん」
「治したいから変身したいんだけど、折れた神器でも変身できるかな……」
「あ……」
「ああ……」
三人はジッと剣を見つめて黙り込んでしまった。
ダンテは無関心にコーヒーを啜るのみだ。
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眠るゼイムスを一匹の白い小動物が見つめていた。
元白姫、四百年この亜人世界に生きる大谷チホ。
今は身に宿す〈旧きモノ〉バンダースナッチにあやかって、バンと名乗っている。
そのバンが目の前で眠るゼイムスを見て動揺していた。
「ど、どういうことデシ? 確かに感じるデシ」
それはとても懐かしい雰囲気。
「まるで、ユウがそこにいるみたいデシ」
ユウとは妹の名前だった。
四百年前、共にこの世界にやって来て、共に姫神に覚醒した妹の事が頭をよぎる。
「どういうことデシ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「起きてください。チェルシー」
時刻は真夜中。
ダンテの屋敷は寝静まっている。
今この屋敷には主であるダンテとシオリ、ハクニー、マユミ、バン、ウシツノ、そして眠るゼイムスしかいない。
そのゼイムスの眠る部屋に忍び込んだ者がいた。
一応の警戒を買って出ていたのはウシツノだった。
まだどんな敵対者がいるかもわからない。
油断はできなかった。
しかし、この侵入者は侵入するという点においてウシツノよりも優れていたのだ。
「……だ、れ?」
「お目覚めですか? 私のことをお忘れですか? そんなはずはないでしょう?」
「……ウサンバラ」
姿を見せたのはカメレオン族のウサンバラだった。
「いけませんねえ。あなたの使命をお忘れですか?」
「使命?」
「長があなたに与えた使命です。あなたはそのために生きてきたのですよ」
「長……ト=モさま……」
だんだんとゼイムスの瞳に正気が戻ってくる。
「さあ、時間がありません。これを持って。決行は、明朝ですよ」
起き上がるゼイムスの手に、ウサンバラは小箱を握らせた。
その箱は青く、鈍く輝くパンドゥラの箱。
「行きますよ。そしてすべてを思い出しなさい」
二つの影は闇夜に紛れるように消えてしまった。




