322 生贄の花嫁
古来より人類史のほぼ始まりと同時に、様々な形で生贄の儀式は行われてきた。
文化、風習、気候、風土、倫理、貧富、規模、知識。
そしてそれはまた生贄を捧げるべき対象によって、目的も内容も大きく異なる。
ランダメリア教団の行う生贄の儀式は、崇拝する獣神ガトゥリンが対象だ。
目的は現世への獣神復活祈願であり、それこそが教団の悲願である。
悲願成就の贄となる生贄は、教団の信徒からすれば栄誉なことであり、その身を捧げることは信仰心を示す最上の手段なのである。
乙女の血を好むと言われるガトゥリンのため、捧げられる生贄は純潔を保った若い女と決められている。
城塞都市ネアンを落とした際、教団がさらった女たちの中で、最も生贄に相応しかったのがミゾレ・カナンなのであった。
「や、やめなさい! イヤッ! 放してッ」
ミゾレは教団員によってまず身を清められ、全身に甘い香りを放つ香油を塗られ、髪をすき、化粧を施された。
その後、用意された純白のドレスを身に着けさせられる。
さながら花嫁衣装のようなそのドレスは、ミゾレには死に装束にしか見えなかった。
手首や足首、首回りに色とりどりの宝石をあしらった装身具を付けられると、両手首を後ろ手に拘束され、祭壇に立つ神官長ギノ・ミュウキの前に引っ立てられた。
抵抗するだけしてみたが、どうにもならず、ついに観念したようだ。
あきらめの表情の向こう側からチラリ、チラリと恐怖が顔を覗き始める。
「うつく、しい……」
目の前に立つ生贄の美しい姿にギノ・ミュウキは嫉妬した。
こんなにも生贄に相応しい女は初めてだ。
それが自分ではないことが悔しくて仕方がない。
だというのに、この生贄は自身の栄誉にまるで気が付いていない。
血の気の失せた顔で、今にも卒倒しそうなほどの不安に必死に抵抗しているようだ。
何を嘆き悲しむことがある。
代われるものなら代わって欲しいぐらいだ。
ギノはボサボサと伸びた自身の黒い髪を掻きむしりながらミゾレを見つめた。
その目を、その口を、その髪を、その肌を。
「こ、今宵、最上の生贄を用意したのだ! 同志たちよ、歌え! ガトゥリン様を称えよ」
エレエレ・ガトゥリン・イアイア・ンーマ♪
エレエレ・ガトゥリン・イアイア・ンーマ♪
バルバルバルバル♪
バルバルバルバル♪
獣神を象った巨大な像が祭壇の背後にそびえたつ。
高さは優に十メートルはある。
猿のようで狼のような、鬼のようで悪魔のような。
その像に向かい集まった大勢の信徒が朗々とガトゥリンを称える聖歌を歌う。
壁に天井におどろおどろしい合唱が響き渡る。
同時に全員が足を踏み鳴らし地響きがこだまする。
広場中に無数に灯された蠟燭の灯りが揺れる。
そこかしこに転がるしゃれこうべがカタカタと顎を鳴らす。
ミゾレは四肢を広げた形で磔にされた。
そのミゾレの頭に白い花であしらった花輪が冠される。
磔台が天井に括られた滑車を使い少しずつ引き上げられていく。
やがて磔にされたミゾレは広場の至る場所からでもよく見える位置で固定された。
純白の花嫁衣装を身にまとったミゾレを背後から獣神の像の瞳が見つめる。
ちょうど像の顔の高さで吊るされていることになる。
エレエレ・ガトゥリン・イアイア・ンーマ♪
エレエレ・ガトゥリン・イアイア・ンーマ♪
バルバルバルバル♪
バルバルバルバル♪
バルバルバルバル♪
バルバルバルバル♪
磔台のミゾレは異様な空間と熱気に意識を保つことが難しい。
「さ、さあ血の滴りを! 生贄の乙女から聖血を降らせるのだぁ」
儀式に酔いしれたギノの号令で長大な槍を捧げ持った男が登壇する。
身長二メートルはあろうかと言う巨漢が半裸に全頭式のマスク姿で現れる。
「聖槍で貫け!」
貫けッ! 貫けッ!
広場中から歓声が上がる。
その歓声に後押しされ、巨漢が長い槍の先端を開脚して固定されたミゾレの股間に差し向ける。
「イヤァッ! おねがいヤメテ」
ゆっくりと伸びる槍の先端がミゾレの股に微かに触れる。
「ひい」
直下に立つ巨漢の頭に雫が垂れる。
恐怖からもよおしたミゾレの脳裏には、串刺しにされる自身の姿が浮かび上がっている。
あまりに長い槍の重みでフラフラと揺れる先端。
それに合わせて生贄の恐怖も増す。
会場のボルテージも上がり今か今かと合図を待つ。
ギノの目がらんらんと輝く。
「貫けェ」
号令が下った。
「イヤァァァァァッッッ」
ミゾレの悲鳴が轟くのと、信じられない動きがあったのが同時だった。
会場を睥睨する巨大なガトゥリンの像が動いたのだ。
岩で造られたにすぎないはずの巨大な石像が動いた。
砂ぼこりを巻き上げながら、大きな地響きを立てて、重そうな両腕を振り上げたのだ。
「ガ、ガトゥリン様ァ!」
驚く教団員たちを尻目に、目の前に磔にされたミゾレを掴むと、架ごと開いた大きな口の中に放り込んでしまった。
生贄が動き出した像に食われた。
これは奇跡か天変地異か。
驚愕する教団員たちとは裏腹に、食われた当のミゾレは口の中で思わぬ再会を果たしていた。
「やれやれ。シオリ殿を助けに来てみれば、まさかアンタがこんな目に遭っていたとはな」
そこに一匹のカエルがいた。
ミゾレ自身、期待はしていたが、まさかこんなタイミングで本当に目の前に現れてくれるとは。
「ウシツノさん!」
「久しぶりだなお嬢様。安心しろ。もう大丈夫だからな」




