321 美女が二人、牢屋にて
シオリは目を覚ますと、身体中がギシギシと軋む痛みを自覚した。
どうやら硬く冷たい床の上でいつの間にか眠ってしまったようだ。
「おはよう。よく寝てらしたわね」
そのシオリに声をかけたのは、隣に座る若い女だった。
ぼんやりとした頭でシオリは相手の素性を思い出そうとする。
「あ、おはようございます。……えと」
「ミゾレです。ミゾレ・カナン。昨夜ご挨拶したでしょう、シオリさん」
ランダメリア教団の本部に連れてこられたシオリは、その後、家具のひとつもない牢屋に投獄されていた。
三方の壁は堅牢な岩壁で、どうやらこの牢は岩をくりぬいて造られたようだ。
そうなるとどこまで壁を破壊しても外へは通じていないかもしれない。
元々教団のアジトと言えるこの神殿は、堅牢な岩山をくり抜き、削り上げ、あつらえられた神殿なのだ。
おそらく巨大な洞窟と言った方がしっくりくるだろう。
明かりは床から天井まで嵌められた鉄格子の向こう側から、焚かれたかがり火のか細い炎に頼る以外なかった。
家具ひとつないと言ったが、片隅に異臭を放つ壺がひとつだけ置かれていた。
それがなんのためにあるのか、見当はつくがシオリは確認したいとは思わなかった。
時折鉄格子越しに見張りらしき教団の人間が通過していく。
若い女が気になるのか、ジロジロと不躾な視線をあてながら歩き去っていく。
プライバシーなど訴えるだけ無駄なのはわかりきっていた。
「大丈夫でして?」
「は、はい」
大丈夫ではなかった。
目の前の彼女を見て気持ちが沈む。
ミゾレ・カナンはおそらく破格の美人であろう。
育ちもよいようで、気品や風格といったものも感じられる。
それが着ている白いドレスはボロボロ、長い髪も乱れ、もう何日も櫛を入れていないのがわかる。
ストレスか栄養失調か。肌の色つやもよろしくない。というより荒れている。
「この環境ね。じきに慣れるわよ。わたくしは慣れたわ」
ミゾレはあっけらかんと笑ってみせた。
「ところでわたくし、あなたのこと思い出しましたのよ」
「え?」
何のことやら。
シオリは完全にミゾレとは初対面である。
「いいえ。あなた、あの赤い鳥の騎士様がお連れになっていた娘でしょう? ネアンの街で面倒を見てあげたのだけれど、覚えていないかしら?」
あの時寝込んでいたシオリは何も覚えていなかった。
「そう。それは仕方ないわね。でも、ということは、シオリはあのウシツノ様のお仲間であるのよね?」
「ウシツノ! え、どうしてそれを?」
「あなたの前にウシツノ様も我が館で歓待しましたの。ほっぺたとかプクプクしてて、可愛かったぁ」
その時の感触を思い出しているのか、ミゾレは目を瞑りキュンキュンとした感情を体を揺すって表現していた。
シオリにとっては思わぬ告白だったのだが。
「そんなこと、一言も聞いてなかった」
「ふふ、そうですの? でも、そんなあなたが同室になってくれてラッキーですわね」
牢屋でも同室と表現するのだろうか。
「シオリは強くて正しいお仲間に恵まれているようね。きっと助けに来てくれるのでしょう?」
それはたぶんそうだとシオリも思う。
「教団が私たちを拉致した理由はおそらく身代金だと思うの。僻地に潜む小さな邪教集団です。力の誇示と、わずかに贅沢できる金銭さえあれば満足するでしょう。それが相応というものですし」
ミゾレはうんうん、と自分の思考結果に満足している。
資本主義に則って考えればそれ以外にあり得ない。
「大丈夫です。わたくしの父、オロシはハイランドでも有力中の有力貴族。もしかすればもうすでに身代金は払われ、迎えがこちらに向かっている頃かもしれませんね」
「オロシ伯爵?」
シオリには聞き覚えがあるような気がしたが、この世界の世事に疎いためはっきりと思い出せない。
アカメやダンテが話していた気もするけれど、確か最初の戦で……。
「ですからもうしばらくの辛抱です! あまり心配せず、共に励まし合ってこの難局を乗りきりましょう」
「は、はい」
さすがに城塞都市ネアンの領主オロシ・カナンのひとり娘である。
気落ちするシオリを元気付けようと気丈にふるまっている。
もっとも、世間を知らず箱入りお嬢様として教育を受けてきたため、時に理論が先走り、理屈と損得だけで状況を批評してしまうきらいもあった。
それでもシオリは、ここへひとりで放り込まれたのではなく、ミゾレのような女性と出会えて心強くもあった。
「それにしても、残念です」
「何がですか?」
「ウシツノ様です。すでにあなたのような可愛らしい姫がいらしたなんて」
「ひ、姫! そ、そんなんじゃないです! 私たち」
「そうなんですの?」
「だ、だって、ウシツノはカエルだし……」
「あら? 人間と亜人だから何だって言うのかしら」
「え、ええっ?」
そういう価値観なのか、この世界では?
「確かに二人の間に子を授かるのは困難です。およそヒト型に近い兎耳族や猫耳族でも、異種族間での交配はほぼ成功しません」
「こ、交配ッ!」
変な絵がシオリの脳裏に浮かんでは消えた。
「でもそれだけじゃないでしょう? 愛というものは」
「はあ……」
今のシオリにはまだ理解できない価値観だった。
「ふふ。それじゃあ待ちましょう。騎士様がわたくしたちを助けに来てくださるのを。案外もうすぐそこまで来ているかもしれないわ」
その言葉に合わせるように、牢屋の前にズカズカと邪教徒どもがやって来た。
「出るんだ。今から儀式を開始する」
そのうちのひとりが牢の二人に向かいそう告げた。
「儀式? なんのですの?」
「生け贄の儀式だ。我らが獣神ガトゥリンにお前を捧げるためのな」
そいつはミゾレをまっすぐ指差した。
「ちょ、ちょっとお待ちになって! わたくしは身代金目的で誘拐したのでしょう? 生贄って」
「お前はガトゥリン様に捧げられる供物でしかない。喜んでその命を差し出すがいい」
牢に入ってきた数人の男たちにより、シオリとミゾレは引きずり出される。
「わたくしはミゾレ・ネアン・カナン! ネアンの領主オロシの娘だと承知で……」
「お前の素性に興味はない。若くて見た目がいい女であること。それだけだ」
ミゾレは男どもの手を振りほどくと、シオリをギュッと抱きしめ庇うように身を挺した。
「シオリ大丈夫? こ、この娘には乱暴は許しませんよ。生贄なら……」
「生贄はお前だけだ。その異世界人は我等にとって大事な賓客であると言われた。失礼のないようにもてなすこととなったのだ」
「ッ……」
ミゾレは絶句した。
シオリも事態が飲み込めず狼狽している。
「急げよ。儀式はすぐに始まるぞ」
邪教徒たちはミゾレとシオリを引きはがす。
力なくうなだれるミゾレをシオリの前からどこかへと連れて行ってしまった。




