316 神剣ククロセアトロ
「聴衆の諸君! 朗報だ!」
王城ノーサンブリア前の広場を埋め尽くす人々に向かい、ゼイムスは弾むように声を張り上げた。
「我らの平和を脅かす、エスメラルダの翡翠の星騎士団が過日、私に恭順の意を示した蒼き獣の戦士たちにより、壊滅した!」
おお、というどよめきが起こる。
「これにより我がハイランドの安寧は取り戻されたのだ! みなも安心してほしい」
聴衆から安堵の吐息が漏れ聞こえる。
同時にゼイムス皇子への称賛の声も。
それを面白くなく思っているのは言わずもがな、第一皇子トーンである。
「我が、ハイランドとはな。もう王になったつもりでおる」
トーンの悪態を耳にするまでもなく、ゼイムスは先刻承知の上だった。
だが現状、民衆の支持は明らかにゼイムスに向いている。
「この場には、各地からの難民も数多くいることだろう! だが安心してほしい! 諸君らの生活も、必ず私が、立て直してみせる」
その言葉に拍手と歓声が巻き起こる。
「さあ、今日もみなの元に物資を届けさせた! 遠慮なく受け取ってほしい!」
馬車の連なる長い列が広場に並び、人々は我先にと配給される物資をいただきに駆け寄っていく。
その様を冷たい目線で眺めるゼイムスに気付ける者は少なかった。
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「見ろよクーン、あの配給品に並ぶ列。食料よりも医薬品の列の方が遥かに長いぜ」
ゼイムスの演説を聞きに出張っていたのはシャマンとメインクーンの二人だった。
殺到する人々を遠目にシャマンが呆気に取られている。
「あのヤバい薬……バニッシュだっけ? あれを求めてるのかニャ」
「ヤクだと気付いてる奴はいるだろうな」
「だとしたらだいぶ蔓延しちゃってるのかもしれない」
「ヤクが混入されてるとは知らず、調子が悪いと思えばますます薬に頼るだろうしな」
少し離れた場所で小競り合いが起きていた。
どうやら薬箱を受け取った者が暴行され奪われたらしい。
長い列に並ぶのを嫌がり、先に配給を受け取った者から奪い取ろうとしたようだ。
それがきっかけになったのか、馬車に向かい整然としていた行列は崩壊し、我先にと雪崩を打ったように殺到し始めた。
「荒れてきたな。こりゃあ手がつけられないぜ」
見ると携行した武器を振り回す者まで現れる始末。
「おい、クーン。巻き込まれるのは勘弁だ。衛兵が鎮圧にかかる前にずらかるぞ」
「うん」
やがてシャマンの心配通り、小競り合いは暴動へと発展した。
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「カレドニアへお戻りになるのですか?」
すっかり心を許してしまった赤い鳥の騎士に対し、エスメラルダの女王サトゥエは心細そ気にそう尋ねた。
「ええ。ここでの任務は達成したので、また戦場へ戻ろうと思います」
先ほど、翡翠の星騎士団に撤退指示を伝えるために送ったた使者が、這う這うの体でカムルート砦へと戻ってきた。
夜中に突然バル・カーンの群れによる襲撃を受け、騎士団は壊滅状態に陥ったという。
「逃げた大司教の報復か、はたまた……原因はわかりませんが、ハイランドへの和議申請は今少し待った方がよろしいでしょう」
「どうしてです? お互い早く復興への道を模索した方がよろしいのではなくて?」
「和平は相手方が劣勢だと思えばこそ乗って来るでしょうが、翡翠の星騎士団が壊滅したと知れば、必ずしも応じるとは限りません」
「そんな……」
「逆に一気呵成となって反撃に打って出ることも考えられます。今はかの聖賢王の時代ではありません。油断なきよう」
立ち去ろうとするタイランを女王は今一度呼び止めた。
「どうぞ、タイランさま。この剣をお持ちになって」
「これは、素晴らしい……」
それは奇しくもタイランが失った愛刀と同じレイピアだった。
「神剣〈ククロセアトロ〉です。我がエスメラルダ建国から伝わる国宝です」
「まさかそんな大切なもの」
「よいのです。その剣は慈愛の女神サキュラが振るった、神代の剣だと伝えられています。伝説ではありますが、あなたさまのような騎士にこそふさわしい」
薄い赤みがかった煌びやかな刀身。
柄ごしらえは精霊が輝くかのような銀でできている。
重さも長さも申し分なかった。
「これは、なんとも、心奪われる……」
さすがのタイランも言葉に詰まってしまう。
「どうぞ、お持ちくださいませ」
「有難う御座います」
深々と一礼するとタイランは堂々とした足取りで女王の前から下がった。
そのまま砦を後にしようとするタイランに声をかける者がもう一組あった。
白い鳥と黒い鳥、ナキとコクマルだった。
「ケッ! なんでテメェがそんな大層なプレゼントをもらえるんだか」
コクマルの妬みをタイランは苦笑で受け流す。
「お前たちには感謝しているさ。この場は見逃してもらえるのだろう?」
「たしかに、騎士団を除籍処分されたとはいえ、お前に対し追討の指示はいまだにない」
ナキの答えにタイランは「そうか」とだけ、小さく応えた。
「それから……マスター・ハヤブサからの伝言がある」
「師からの?」
「ああ。『捕らわれるな』だそうだ」
「捕らわれるな……」
どういう意味なのか、考えあぐねる。
「オメェにはそのうち、絶対に追手が差し向けられる。せいぜい捕まんねえこったな! てことだよ」
コクマルの言う通りなのだろうか。
「おらとっとと行けよ。この場は女王に免じて見逃すけどよ、次に遭った時は覚悟しとけよ」
「気を付けるんだぞ、タイラン」
二人に対し背中越しに手を振りつつ、タイランは砦を後にした。
「捕らわれるな、か」
今にも降り出しそうな曇天の空を見上げながら、タイランはその言葉の意味を考えていた。




