312 故郷に死す
そこはウシツノにとっては見慣れたはずの、とてもとても懐かしい景色だった。
産まれた時から住んでいた家。
友と駆け回った道。
剣の修行に明け暮れた庭。
家屋、田園、せせらぎ、そして遠くの山並み。
沼地が多く、湿気のはらんだ、まとわりつくようなこの空気感まで。
何から何まで故郷の村を思い出させる。
「ここは、カザロか……」
ウシツノはポツンとひとり、村の真ん中にたたずんでいた。
「オレはハイランドの地底湖にいたはず。いやそれより」
周囲に誰かいないものかと駆け回った。
もう一度、記憶の彼方のこの景色が見れるとは思っていなかった。
そのことが彼から様々な疑問を奪い去ってしまった。
「誰か! 誰かいないのか」
答える声はない。
「アカメ! アマン! ヌマーカ! 親父!」
声を張り上げながら懐かしい村の中を放浪する。
ひとつ角を曲がるたび期待に胸を躍らせて。
ひとつ建物が目に入るたび、その家の住人の顔が思い出される。
やがて村の中央に位置する広場に到達すると、ようやくそこに集まった人だかりに遭遇した。
「みんな! ここにいたのか」
喜ぶウシツノの声に反応し、人だかりは一斉にこちらを振り向いた。
「なっ……お前は……モ、モロク王」
振り向いたのは緋色の甲冑に身を包んだ大柄のトカゲ族だった。
カエル族の平和を破壊した張本人。
それは見知った仲間などではなく、逆に憎悪をぶつけるべき相手だった。
よく見れば周囲はどいつもこいつも悪辣な面をしたトカゲ族ばかりだ。
「キサマら、村のみんなは何処だッ!」
ウシツノの問いにモロク王はゆっくりと足元を指差す。
「なにッ!」
突然、ボコっと地面から伸びた腕がウシツノの足首を強く掴む。
這い出てきたその腕の主を見て、ウシツノは息を飲んだ。
「親父」
それはカエル族の大英雄、大クラン・ウェル将軍であった。
しかしその姿はあまりに痛々しい。
全身が腐りかけ、生気の感じられない大柄の老ガエルは、無抵抗のウシツノの首を強く締めた。
続くように地面から次々と動く死体となったカエル族が這い出てくる。
それはみな、幼き日のウシツノが、未来永劫守り続けようと信じて疑わなかった者たちに他ならない。
その者たちが亡者となり、生きるウシツノの体にしがみつく。すがりつく。
失われた仲間たちの存在が強く感じられる。
ウシツノはただ、されるがままだった。
たとえ自分の首を絞めるためだとしても、せっかく感じ取れるその腕の感触を、振りほどきたいとは露とも思わなかった。
もう二度と手放したくはない。
異様な幸福感に包まれながら、ウシツノの意識は薄れていった。
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「私の幻魔術ドグラ・マグラはその者の恐怖や悲しみを呼び起こす。本人にとってそこは現実と変わらない。刺されれば血が出るし、首を絞められれば息も絶える」
マユミの目の前で動かなくなったウシツノは、まるで首を絞められたように脱力し、そして泡を吹き始めた。
周囲に彼を窒息させるものはなく、彼も抵抗する様子はない。
「心がそうさせるの。現実とは所詮、心の鏡。痛いと思えば痛いし、死にたいと思えばいつでも死ねる」
それは一瞬の出来事だったのだ。
ウシツノの突き出した剣先がマユミのマスクにヒビを入れた。
凄まじい衝撃波が起き、湖の水が弾けとんだ。
湖底が剥き出しになり、弾かれた水が周囲に渦巻く壁となった。
その水の壁が再び二人を飲み込もうと怒涛の勢いで流れ込むまでのほんの数秒間。
その数秒でウシツノはマユミの尾に腹を貫かれ、幻術で心を侵食されてしまった。
「この術技に抗うことはできないわ」
ピクリとも動かないウシツノを湖の水が飲み込んでいく。
渦を巻く水面の上空から、マユミはその様を見届けていた。
ウシツノは間違いなく、絶命していた――。




