311 髪の話
「ゾクッと来るな」
姫神へと転身したマユミを目の前にして、ウシツノは素直にそう言った。
今から一対一で戦おうというのだ。姫神を相手に、使い慣れないシオリの長剣を使って。
「今さら後悔しても遅いのよ」
冷たい声でそう言うマユミの目もまた、冷たく突き刺すようである。
「変身すると雰囲気がガラリと変わるよな。それもそのマスクのせいか?」
「私は洗脳などされていないと言った」
マユミの鞭が飛んできた。
いつものように十数条に分かれた鞭がウシツノに向かい襲い掛かる。
「先っちょで当たるよりかは」
構わず前へと駆けだすウシツノの体にその鞭がヒットする。
十分なしなりを得られず、より根元で受けた攻撃は、想定よりも我慢で耐えられた。
「根性で押し切るのは嫌いじゃないけど、ハイドライドを常識の範囲で捉えないでよね」
分かたれた鞭の一条だけがウシツノの足元からスルスルと迫っていた。
その一条が足に絡みつくと思いきりウシツノを中空へと放り上げる。
「爆風弾岩」
マユミの足元に散らばる無数の石が、コトコトと揺れると一斉にウシツノめがけて射出された。
「うおおおおおッッッ」
硬い石の弾丸を身体中で受け地上に落ちる。
「痛ゥ……今の石もパペットか、何でもありだな」
「ええ、そうよ」
「参考までに、どれだけの数を操れるんだ?」
「知ったところで対処なんてできないわ。私の髪の毛の本数と同等よ」
「か、髪の毛……」
言わずもがな、カエル族には一本も毛が無い。
「そのピンクの髪を全部引き抜けばもう操れないのか」
「女の髪をどうするって? あなたひどいこと言うのね」
「そ、そうなのか?」
ウシツノがバンを顧みるとウン、ウン、とバンも頷いていた。
「そんなに大事なものだったとはな。以後気を付けよう」
改めて剣を構えるウシツノ。
湖を背後に仁王立ちするマユミの正面で、やや前傾姿勢をとる。
「まだやるの? あなたに勝ち目はないんだから、もう諦めたら?」
「知っているか? あの彫像のこと」
ウシツノが遠くの壁際に居並ぶ彫像を指差す。
「知らないわ。どこにでもありそうな悪魔でしょ」
「あれはガーゴイルというんだ。水を司る豊穣の神であり、冥界の住人でもあるそうだ」
「ふうん」
マユミが興味を示す素振りはない。
「ハイランドは水を大切にする国らしい。特にこの地底湖は国の生命線でもあるそうで、それでいたる所にあの彫像を設置しているそうだ」
それでもウシツノは語るのを止めない。
「何故水に係わる場所にガーゴイル像が多くあるのか、それは太古の昔に人々に害をなしていた怪物をある司祭が火刑にて退治した際、その灰を川に流したことが由来らしい」
「どうでもいいわ。私にとってはおあつらえ向きの悪魔像でしかないもの」
ガゴ、と石が動く音がした。
ウシツノが示したガーゴイル像がぎこちなく動き出したのだ。
「さあ、おしゃべりのこのカエルを倒して頂戴」
動き出したガーゴイルがウシツノに向かい飛び出した。
「やれやれ。友達が欲しければまず相手を理解することだ。操ってるだけじゃ一方的過ぎて、いつまでもお前は孤独だぞ」
「なっ! 違う! 私にはいっぱい仲間が……」
「それがお前の望みか」
迫るガーゴイルを無視してウシツノはマユミに向かい突進した。
ウシツノの言葉に狼狽したマユミは、咄嗟にかわすことも出来ず体当たりを受けて一緒に湖に飛び込んでしまう。
水中に入ったウシツノはマユミの尻尾を掴むと引っ張りながらグングンと湖底へと潜る。
そのスピードがマユミの予想を上回るので、対応が遅れてしまった。
だがマユミはガーゴイルに空中から先廻りを命じ、頃合いを計って水中へと跳び込ませた。
ザブン、と盛大な水飛沫を上げて入水してきたガーゴイルがウシツノの面前に現れる。
同時に尻尾を強く振り、マユミはウシツノの掴んだ手から逃れ出た。
あとはガーゴイルにウシツノを攻撃させればいい。
攻撃指示を飛ばしたマユミだが、そこで自分の思惑が外れたことに気が付いた。
ゆっくりとウシツノがマユミの方を向く。
その後ろでガーゴイルは物言わぬ彫像へと戻っていた。
「当てが外れたか? オレの方は想定通りだぞ」
なんで?
動かなくなった彫像を見てもマユミは理解できなかった。
パペットには一定量以上の酸素が必要。
アカメの推測は当たっていたのだ。
「ガマ流刀殺法! 灰水ノ刃!」
水中で剣が渦を巻きながら突き出された。
剣先はマユミの眉間に当たり同時に激しい衝撃が爆ぜる。
ドパァアン!
湖底が露出するほどの衝撃で湖の水が捌ける。
ぽたぽたと全身から雫を垂らすマユミがのけぞる。
目元を覆ったマスクには小さな亀裂が入っていた。
「やったか!」
「まだデシ!」
「グハッ」
ウシツノが吐血した。
一瞬気を抜いたウシツノをマユミの尻尾が貫いたのだ。
尻尾は槍ののように鋭くウシツノの体を貫通していた。
「幻魔術、堂廻目眩・戸惑面喰」




