310 牛角
パチパチと、火の粉の爆ぜる音がして、マユミはそっと目を覚ました。
硬い石の上に寝ていたらしい。
身体中がギシギシと軋む。
ゆっくりと上体を起こすとパラパラと小石がこぼれ落ちる。
姫神転身は解かれ、マユミは晩餐会に着ていたドレスの上から自前のライダースジャケットを羽織っていた。
もちろん顔半分を覆うコウモリ型のマスクはそのままだ。
虚ろな目で傍らに目を向けると、焚き火が明々と燃えていた。
こころなしか、着ている衣服は下着までもがわずかに湿り気を帯びている。
それだけに焚火の火は暖かかった。
「起きたか?」
その焚き火の向こうに気配がした。
小柄な体躯で肌は緑色。
「服は乾いたか? まさか気を失ったまま地底湖にまで落ちてくるとはな」
そう言われ焚き火とは反対を見てみると、そこにはどこまでも暗い湖面が静かに広がっていた。
「まだ、少し濡れてるかも」
「そうか」
緑色の小人はマユミに湯気の立つカップを差し出した。
「コーヒー、ミルクと砂糖はいるか?」
差し出されたカップを一口つける。
暖かかった。
「いい。……カエルさん、まだ名前を聞いてないけど」
「ウシツノだ」
「焼肉屋みたいな名前ね」
「……あだ名だよ」
しばらく沈黙が続いた。
マユミはコーヒーを啜りながらウシツノの隣に目を向ける。
そこには先ほどから実に不機嫌そうな白いタヌキが、同じように暖かいコーヒーをカップで飲んでいた。
「どうして私を助けたの?」
記憶が確かなら、このカエルは自分とは敵対していたはずだ。
「ほんとデシ。わざわざ介抱してやらなくてもよかったデシ」
思わぬ同意を得られたものだが、いかんせんやはり機嫌が悪いみたいだ。
「オレは口下手だからな。あとから上手く説得するのは無理だと思ったんだ」
「?」
答えを聞いても意味は分からなかった。
「せっかくのチャンスだったデシ。寝てる間にひっぺがせば」
「それで洗脳は解けても、オレたちを信用はしてくれないだろう?」
「女を篭絡する修行もしておけデシ」
「それは難しい!」
知らず、マユミは顔に張り付くマスクに手を触れていた。
「私は……洗脳なんてされてないわ」
「されてる奴はみんなそう言うデシ」
うんうん、とひとり頷くタヌキを見て、マユミの表情にも不機嫌さが滲み出てきた。
感情は伝染する、と何かで読んだ気もした。
「私をどうしたいの?」
「洗脳を解く。正々堂々と」
「どうやって?」
「こいつで」
ウシツノが持ち出したのは白い剣。
「それ!」
途端にマユミの目の色が変わる。
「その剣! それを寄越して!」
「これは白姫の剣だぞ」
「それがいるのッ!」
豹変したマユミを見て、逆にウシツノがニヤリとする。
「どうやらアカメの読み通りだな。この剣がなくてはシオリ殿は完全な力を引き出せない。それではさらった意味がない。そうなんだろう?」
「寄越して」
「シオリ殿は、無事なんだな?」
「傷つけるはずないデシ。神器を欲しがるのが証拠デシ」
立ち上がったマユミはすでに聞く耳をもたないようだ。
「それでいい。最初から手合わせするつもりだったんだ」
ウシツノも立ち上がり、シオリの剣、シャイニングフォースを構えた。
「ウシツノも難儀な性格デシね」
「バンは手を出さないでくれ。オレだけで終わらせるから」
「そう願うデシ」
アカメがウシツノにバンを同行させたのには理由がある。
「お前こそもだウシツノ。ただのカエルが姫神の神器を扱えるのか?」
「いつもなら無理さ。だがこいつがそばにいると」
傍らの白いタヌキを指差す。
バンは元々白姫だった。
それが関係するのかは不明だが、彼女がいるとこの剣は羽のように軽く感じられた。
「安心しろ。こいつは手を出さない」
バンを警戒しているようなマユミにそう声をかける。
「それで勝てると思っているの?」
マユミが腕を振ると、何もない空間から彼女の鞭が現れた。
桃姫の神器、ハイドライドだ。
「なあ、いまの、どこから出したんだ?」
「知らないデシ。得意の幻術だと思うデシ」
マユミが鞭をひと打ちすると、ピィィンと空気が張り詰めた。
「姫神相手にどれだけ無謀か、思い知らせて上げる。転身! 淫魔艶女」
桃色の気配がマユミを包む。
「さあウシツノ。お前の実直さを認めて状況を創出したデシ。見事討ち果たすデシよ」
「おう」
一歩前へ。
ウシツノはシャイニング・フォースを両手で構えた。




