308 この怪物はオレが殺る
入口に立つ白と黒、二人のクァックジャードにライシカ大司教はいささか意表を突かれた。
「あなたたちも来ていたのですか」
ナキがコク、と頷く。
「アーカムとの代理交渉は済んだので、帰途に着いてもよかったのだが」
「わたくしがお願いしました」
女王サトゥエがそう答える。
「我らクァックジャードはみだりに多国間の問題に首を突っ込むわけではないのだが、念のため視察を兼ねてもよいと思いましてね」
「そうして来てみたらなんだか懐かしい奴がいるじゃねえか」
コクマルが真ん中に立つタイランを睨め付ける。
「ようタイラン。おめえこんな所で一体何してやがんだ」
「戦を止めに来た。エスメラルダにはハイランド侵攻を止めてもらう」
女王の御前でハッキリとそう言った。
「赤い鳥よ。お前にその権限はない」
「オレは大司教ではなくサトゥエ・エスメラルダ・コッツェ女王陛下にお話ししているのだ」
「なっ……」
タイランの不遜な態度にさしものライシカも度肝を抜かれた。
自分に対しこのような態度をとる者がいようとは。
「大司教」
女王がライシカに顔を向ける。
「先程の問いですが」
「問いですと? まだこのような者の戯言をお信じになられるのですか!」
タイランがスッと一歩前に出る。
「女王よ。翡翠の星騎士団は今、邪教と共にする屈辱を味わっている。それもこれもあなたの命令だと信じて疑わないからだ」
「……」
「なるほど、あなたは大司教に騙されていたのかもしれない。お飾りの女王であったのかもしれない。だが、国を、民を想う心に偽りはなかったはず」
「……」
「だからこそ、慈愛の女神サキュラを信奉したのではないのですか」
「サキュラ……」
「えぇい、黙りなさい! 誰ぞ、この狼藉者を成敗せよ」
ライシカの命令に騎士たちが武器を持ってタイランを取り囲む。
「待つのです……」
「あなたも黙りなさいサトゥエ! 誰のおかげで今その椅子に座れていると!」
「ッ……」
女王の動きが止まる。
ライシカに抗えないほどに、言葉は重く、眼差しは凍てつく。
「いいのか? サキュラ神を信奉する聖堂騎士団が、邪教を手懐ける大司教の駒であり続けても」
タイランの言葉に取り囲んだ騎士たちの手元がわずかに震える。
忠誠か、信仰か。
その二つの狭間で揺れているようだ。
「何をしているのです! 大司教であるわたくしの言葉はサキュラ神の御言葉と同義ですよ!」
ライシカの恫喝が部屋いっぱいに冷たく響き渡った。
「もうお止めなさい。見苦しいですわよ、ライシカ大司教」
「お、お前は……ッ!」
その場に人狼族の老執事を伴った、美しい女性が入ってきた。
「ヒガ……エンジ……まさか生きて」
「あら、生きていては困ることでも?」
「ッ……」
城塞都市ネアンでタイランと別れた後、無事この地まで避難できていたようだ。
「あなたがセンリブ森林のエルフと共謀し、マラガの盗賊ギルドへ奴隷を売りつけていたこと、ランダメリア教団を操り何かを企んでいること、そしてそれを知ったハナイ司教と私を葬らんとしたこと。すべてお認めになってはいかがですか」
サトゥエの顔が引きつる。
「ライシカ、それは本当なのですか? 邪教のみならずエルフも、盗賊ギルドも、そしてハナイ司教まで」
「サトゥエ女王。すべて真実です。私も嵌められ、殺されかけました。そしてこのお方は」
ヒガがタイランを見つめる。
「この騎士殿は真に信頼のおける方です」
ヒガの言葉は力強く、それだけに確信に満ちていた。
「ク、クァックジャード! この赤い鳥は裏切り者なのでしょうが! あなたたちの手で始末したら」
「悪いが大司教。この者は除籍となったが、いまだ追討の指令は下っていないのです」
「ムカつくヤローだが今はまだオレらが相手する必要はねぇんだわ」
ナキもコクマルもこの状況に手を出すつもりはないようだ。
「大司教よ。貴様が私腹を肥やすためにゼイムスと手を組んでいることは察しがついている。そのゼイムスの野望も遠からず、オレの仲間が引導を渡すことになろう」
「な、ゼイムス殿までも……はっ」
さしもの周囲の騎士たちも疑いの目をライシカに向けるようになっていた。
彼女らもまた、敬虔なるサキュラ神への信仰者たちなのだ。
「どうやら、真実はこの者たちと共にあるようですね。ライシカ、今は大人しく……」
「くっくっく」
「ライシカ?」
「大人しくなんだというのだ? 長年エスメラルダを治めてきたのは私だぞ」
ライシカから離れるようにサトゥエの手をマーサが引く。
「大人しく私の言うとおりにしていれば、この国も、ハイランドも、傷つけずに支配してやったものを」
ライシカが懐から何かを取り出した。
それは細い鎖につないだ筒状の笛であった。
おもむろに手首の回転で笛を小さく振り回す。
人間には聞こえない周波数がわずかに空気を震わせる。
「あの笛、見覚えがある……そうか! 蒼狼渓谷でパペット騎士がバル・カーンを呼び寄せるのに使っていた」
ハクニーの手引きでベルジャンたちを救いに向かった時のことをタイランは思い出していた。
「あの笛はランダメリアの魔獣使いのものだったのか」
アォォオオオオオォォォォオオオオォオオン!
バル・カーンのものと思しき遠吠えが聞こえる。
外からは騎士たちの悲鳴と怒号が聞こえ始める。
「ゴア・バルカーンです!」
騎士の慌てた声による報告がこだまする。
通常のバル・カーンとは比較にならない怪物だ。
そいつが出現したらしい。
「あーはっはっはっは! 貴様らこの砦ごと滅びるがいい!」
「ライシカ! どうして」
「おめでたい女王だ。もともとこれが私の目的なのだ。サキュラではない。私が信じるは獣神ガトゥリン様」
「ガトゥリン!」
「時期は来た! もうじきガトゥリンは復活し、この地を貪りつくすことであろう!」
青い爆発が生じた。
砦に侵入した巨大なゴア・バルカーンによる火炎砲だ。
青い火球が炸裂し、砦の一部を瓦礫と化した。
崩れる砦、混乱する状況に紛れ、ライシカは姿を隠す。
「ライシカ! どこですライシカ!」
「陛下! ここは危険です! 早く避難を」
表を見ると中庭にまで入り込んだゴア・バルカーンが暴れていた。
その足元で必死に抵抗する騎士たちがバタバタと倒されていく。
「あいつは!」
その姿を認めたタイランに緊張が走る。
ゴア・バルカーンは姫神に転身したシオリがいて、初めて撃退に成功した怪物だ。
「ナキ! コクマル! 援護しろ! この怪物はオレが殺る」
「あぁ? なんでテメーの指示を聞かなきゃ……」
「とはいえこの場は致し方あるまい。やるぞコクマル」
「チッ、めんどくせえな」
ナキに倣い、コクマルもタイランの後に続く。
二人のクァックジャードと、ひとりの元クァックジャードが抜刀し、飛び出した。




