307 鳥を見た
カムルート砦にエスメラルダの女王サトゥエが入城を果たしたのは、丁度ハイランドの首都カレドニアで銀姫が攻城戦を仕掛けている頃であった。
真っ白な法衣に身を包み、馬車から降り立ったサトゥエは、砦にかすかに香る獣臭に顔をしかめた。
絢爛華美な王宮とは違い、戦に備えた堅牢な砦であることを差し引いても、居心地の良い場所とは言えなかった。
「周辺の人々を脅かす、猛獣バル・カーンの巣が近いからでしょうか。いささか緊張してしまいますね」
お付きの近衛兵にそう言って、ハンカチで口元を覆った。
「ご安心ください女王陛下。我ら近衛部隊がしっかりとお守りいたしますゆえ」
「ええ、ありがとうマーサ。ところで、ライシカもいるのでしょうね」
先にこの砦に滞在しているはずの大司教ライシカだが、女王の到着に対し出迎えの様子も見えない。
実質政務一切を取り仕切っているのがライシカであろうとも、女王に対する敬いが見られないことに近衛隊長マーサは鼻白んだ。
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砦に設けられた謁見用の広間に入ると、そこに大司教ライシカの姿があった。
「これは女王。わざわざご慰問のためにご足労いただき、戦場の兵たちも喜びましょう」
「それならばよいのですが。あなたが止めるのを聞かず、戦場へ来てしまったこと、迷惑に思っているのでしょう」
エスメラルダのハイランド侵攻は女王にとって寝耳に水の政策であった。
しかし、強硬な姿勢のライシカを止める、政務能力など持ち得ない女王は、ただ侵攻の認可を押さざるを得なかった。
それがどんな被害を国民に与えてしまうのか。
サキュラ神に祈ることしか知らない女王は苦悩した。
それゆえ、今回前線への慰問という形で半ば強引に国境付近にまでやって来たのだ。
「たとえ、ハイランドがバル・カーンを操り、人々に害をなしているのだとしても、やはり戦争という手段は選びたくありませんでした」
「女王陛下のお心は理解いたします。されど絶対悪に対しては何よりも成敗のスピードが大切です。躊躇していては救える者も救えません」
「まるで正義の鉄槌を謳うムーダンの教えのようですね。我がサキュラ神は慈愛の女神でありましょう」
「その通りです」
なんとも礼節を欠いた態度ではないか。
女王サトゥエの護衛として共にしたマーサは怒りで顔が真っ赤になるのを自覚していた。
それにしても普段はライシカ大司教の言いなりに近い女王であるが、今回ばかりはなかなかに食い下がろうとしている。
それも深い信仰心から来るのであろう。
その点は実はライシカも同じ感想を抱いていた。
「ライシカ様!」
そこへ外から慌てた部下の声がした。
「なんですか。うろたえた声など出して。常に平常であれといつも……」
「空より何者かが接近! ……あっ、来ました!」
それは赤い弾丸のようだった。
まっすぐ、青空を割くように近づいて来ると、砦の中庭に突然降下してきたのだ。
すぐに駐屯している騎士たちが取り囲む。
「赤い鳥……」
「何者です!」
サトゥエとライシカはそろって砦の二階から中庭を見下ろした。
バサ、と翼をはためかせ、見上げると、鳥は落ち着いた声で自己紹介した。
「我が名はタイラン。クァックジャード騎士団の騎士である」
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数人の騎士たちに警戒されながらも、タイランは女王サトゥエに面会を許された。
大きめの椅子に座る女王の隣には当然、大司教ライシカも立っている。
さらに広間には何十人もの騎士がいた。
女王のそばに控えるマーサ以外はこの砦にいた騎士ばかりである。
カムルート砦には現在三千の騎士が駐屯していた。
その騎士は銀姫ナナが指揮する翡翠の星騎士団とは別で、サキュラ正教所属の聖堂騎士団である。
それはすなわち大司教ライシカ直属の騎士団でもある。
「クァックジャードの騎士よ。空から飛来するほどの用事とはなんであるか」
ライシカの詰問にタイランは無言で懐から密書を取り出すと、騎士の者を通じて女王に献上した。
「これは、我らが翡翠の星騎士団によるもの」
「旅の途上で託されました。その者は、残念ですが」
「そうですか。それはご苦労様です」
女王は封を切ると早速内容を改めた。
その様子を目を細めてライシカは眺める。
ややあって、女王は目を上げると一息つき、静かな声を発した。
「どうやら、我が軍は優勢のようです。報告によると、多数のバル・カーンを駆使するハイランドは、王家に反対する諸都市を壊滅に追い込み、カレドニアに立て籠っているようです」
「そうでしょう。女王よ、これでわかっていただけましたでしょう。わたくしが強硬にハイランド遠征を推し進めた理由が」
「……そうですね」
「邪教に通じ、暴発した隣国をもはや見過ごせないのです。この地も戦場となるやもしれません。危険が及ぶ前に、どうかエンシェント・リーフにお戻りを」
どことなく安堵したような表情のライシカに、女王サトゥエはうつむいてしまった。
「お待ちを、女王陛下」
そこでタイランは今一度、懐からある物を差し出した。
「実は大変奇妙なことがありまして」
「それは、なんですか?」
「こちらも同じように託された密書です。しかも先ほどとは違い、本物の翡翠の星騎士団の者から託されました」
ライシカの顔色が変わる。
「どういうことです? こちらの報告書はでは誰から」
困惑気味に新たな密書を受け取ると、女王は素早くそちらも確認をした。
「……これは…………どういうこと……」
女王の手が震えている。
その目が疑うように隣に立つライシカへと注がれる。
「な、なんです」
女王の手から密書をひったくるとライシカも目を通す。
「そこには我が軍の戦況が淡々と報告されています。ランダメリア教団の魔獣使いと共謀し、現在聖都カレドニアに波状攻撃を仕掛けていると」
女王の声は堅い。
「大司教、これは一体どういうことですか。翡翠の星騎士団はバル・カーンを駆逐するために派遣されたのではないのですか。ここには真逆の事が書かれているではないですか」
「……そうですね」
「大司教。あなたはわたくしを謀ったのですか。エスメラルダが、エスメラルダこそが邪教に侵食されていたのですか」
「くっくっく……」
「大……司教……」
肩を震わせて笑うライシカに女王は怖気を感じてしまう。
「女王陛下。よもやこのような偽造書類をお信じになられるのですか」
「偽造?」
「そうでしょう。突然の無礼者が持ち出した密書を信じ、長年あなたを支えてきたこのライシカを疑うというのですか」
「そ、それは……しかしこの者はクァックジャード……」
常に中立、それゆえの揺るぎない信用。
それが誉れあるクァックジャード騎士団の騎士である。
「その者はもうクァックジャードではありません」
凛とした声が広間に響いた。
入口に二つの影が立っていた。
ひとつは白く、ひとつは黒い。
ひとつは槍を持ち、ひとつは二刀を持つ。
そして二つとも翼を持っていた。
「ナキ……お前か」
タイランが振り向いた先には同じクァックジャードの騎士、白鳥のナキと黒烏のコクマルがいた。




