302 スニーキングミッション
優雅な楽団の調べと人々の歓談がかすかに耳に心地よい。
ひっそりと静まり返った暗い一室に、レッキスはするりと滑り込んだ。
肩から腕と両足を露出したいつもの拳法着姿だが、夜陰を意識して今日は暗い青色を選択してきた。
「誰もいませんね?」
反応する者がいないのを確認すると、レッキスはゼイムスの部屋を物色し始めた。
元々魔道商人としてこの城に長く滞在していたためか、部屋は思った以上に物が多く、珍しげなアイテムがところ狭しと置かれていた。
「にしても不用心なんよ。こうもあっさりとさあ……」
彼女の目の前、机の上に無造作に置かれた青い小箱を発見してニヤリとする。
「それじゃあ、まあ遠慮なく、いただきまぁす」
ゆっくりと手を伸ばす。
「と見せかけてッ」
その手を箱の置かれた机の下、乱雑に物が突っ込まれた道具箱に差し入れた。
「にひひひ。あったあった、あったんよ」
暗がりから引っ張り出したのは、青く輝く小箱。
「目につく所にニセモノ置いて、やり過ごそうなんて幼稚すぎるんよ。頭がいいと思い込んでる奴ほどこういうことするんよね」
しげしげと手にした小箱を眺める。
間違いない、これがパンドゥラの箱だ。
「さ、長居は無用……」
去りかけたレッキスが顔を上げると、机上のニセモノと目があった。
「ギョロ!」
「ッ! しまったパペット?」
「アラート! アラート! クケーケッケッケッ」
ギョロついた大きな目玉と裂けた大口がニセモノの小箱に張り付いていた。
「クケーケッケッケッ」
「クケーケッケッケッ」
呼応するように部屋中からけたたましい声が響く。
あれやこれやと置かれた物が、次々と目を開き声を上げる。
「こんなに! パペットがいるってことは、まさか桃姫も一緒なの!」
慌てて脱出を試みる。
窓をぶち破りたいところだが、この王城ノーサンブリアは十本の尖塔が寄り集まり、巨大な一本の塔を成す基本構造のため、窓外へ飛び出せば奈落の底へ一直線である。
「まったく、少しは侵入者のことも考えて設計してほしいんよ」
無茶を言いつつ廊下に通じるドアへと向かう。
もう隠密行動にこだわるどころではない。
ドガァッ!
レッキスは躊躇なく扉を蹴破った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ひそひそ……」
「……そうか」
執事の格好をした男の耳打ちで、ゼイムスは席を立った。
「失礼。大事なお客でして」
あぁん、と彼の周囲からため息が漏れる。
「すぐに戻りますよ」
にこやかにそう言い残し会場をあとにする。
そのまま悠々とした足取りで扉の閉まった自室の前までやって来た。
ドガッッ、ドカッと扉を叩く音が内側からしている。
かなりの音だが扉は開く気配を見せない。
中からかなり焦った口調の悪態が聞こえてくる。
ゼイムスが開けるよう指示すると、武器を持った部下たちが扉のノブをそっと回した。
「うわぁっ」
突然外側に開いた扉から、転げるようにレッキスが飛び出し尻餅をついた。
「イタタ……」
「動くなッ」
幾本もの武器を突きつけられると、観念して両腕を上げ無抵抗の意を示す。
その前にゼイムスが立った。
「返してもらおうか」
「なにも盗ってないんよ。トイレと間違えたら出られなくなっただけで」
扉もパペットだったのだ。
どれだけ蹴っても殴ってもビクともせず、クケケケッとやかましく笑い続けていた。
「ふん。戻ってこい」
ゼイムスが手を差し出すと突然レッキスの胸が大きく膨らんだ。
「わっ! まさかっ」
しばらく服の内側でモゾモゾとすると襟元からスポン、と箱が勝手に飛び出した。
青い小箱にも目玉と小さな羽が生えている。
待ち構えるゼイムスの手の中へ、ぱたぱたと飛んで収まった。
「そんな! それもニセモノぉ!」
落胆するレッキスにゼイムスがほくそ笑む。
「いいや、これは本物だ。正真正銘のな」
「え? うそでしょ? 姫神の神器までパペットにできるん?」
少しゼイムスが驚いてみせる。
「ほお、私の依頼を受けた無知なあの頃とは違うようだな。これがかつての白姫の神器だと知っていたとは」
ス、とゼイムスの背後からマユミが姿を見せる。
真横を向いたままこちらを見ようともしない
いつからそこにいたのかも気付けぬほどに恐ろしく静かにたたずんでいる。
「桃姫?」
違和感を覚えた。
今までと雰囲気が違うような。
こうも大人しいとうすら寒さを感じてしまう。
「マユミも成長しているのだよ。たとえ他の姫神の神器であろうとも、操ることは造作もない」
「チッ、都合よすぎんよ! どいつもこいつも姫神ってのはさ」
強さに際限がない。
「フッ、その姫神を上手く扱える者こそが勝者となるのだ。……連れていけ」
レッキスは大人しく連行されるがままでいた。
このちょっとした騒ぎを何事かと、何人もが様子を見に現れている。
その中にはトーン皇子の姿まであった。
「何事だ」
「あ! トーン皇子」
「む」
意外にも呼び掛けたのは他ならぬレッキスだった。
おーいおーいと、両手を振って注意を呼び込む。
「貴様、どこかで……」
「スンマセン、またミスりました」
「なに?」
発言の意図を掴めずにいるトーンであったが、問いただす間もなくレッキスは地下牢へと連れていかれてしまった。
「トーン皇子。あの者を知っておられるのですか」
そう訪ねたのは大将軍ジョン・タルボットだ。
「あの者、先刻ゼイムス皇子の部屋に押し入った賊でございますぞ」
「賊……そうだ。バンを連れ去った者だ。あのカエルと共にいた……」
「なんと! あの時も桃姫殿の部屋に賊は押し入りました。トーン皇子、なにやら懇意にしているようですが?」
「……なに? 何を言っている?」
「あの賊も含め、改めて身辺調査が必要なようです」
「まさか貴様、オレの事を!」
将軍は答えず、レッキスを連れた地下へと向かい、背を向けた。
「ま、待てッ」
その様子をゼイムスと、そして離れた場所でアカメもジッと見つめていた。




