299 晩餐会へ
「これは麻薬だ」
ハクニーが持ち帰った薬箱を検分したドクターダンテは、白い粉末の入った小袋を指先でヒラヒラさせながらそう断じた。
「バニッシュという一種の興奮剤だ。少し前から南方より出回り始めている」
「南方とは、盗賊都市か」
ウィペットの問いに、さもありなんと言った風でダンテは肩をすくめてみせる。
「詳しい成分はよくわからんが、通常この手の薬は依存性が高い。蔓延すればハイランドは莫大な市場になるのだろうな」
「体に悪いの?」
「良いわけがない」
「じゃあ使わないように注意しないと!」
薬箱の中にはいくつも粉末状の薬がある。
風邪薬から頭痛薬、熱さましに整腸剤。
「巧妙に混ぜ込ませている。一般家庭では見分けられんだろう」
「そんな」
「特に疑う事もせず、風邪薬程度の認識で服用するのは目に見えているな」
すでにどれほどの量が出回っているのか見当もつかない。
「やはりゼイムスの悪事を暴く以外にないか」
「そうだねウィペット! で、こんな時にアカメはどこに行っちゃったの!」
「先に戻った兎耳族と猫耳族を連れて城へ向かったぞ」
「城へ?」
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「わかりました。なんとか隙を見つけて探ってみます」
レッキスとメインクーンは城のゴミ捨て場でメイドに扮したギワラと会っていた。
何やら忙しなくメイドの仕事をこなしている。
「頼むんよ。なんとかアイツから箱を奪い取りたいんよ」
「しかし急遽決まった今夜の晩餐会、ゼイムスが箱をどこにしまっておくかはわかりませんよ」
「アイツの部屋には私が忍び込んでみるんよ。でも肌身離さず持ってるとしたら、もう晩餐会の会場で奪うしかないね」
「それは難しいですね」
レッキスの言葉にギワラも難しい顔をする。
「それでギワラ、もうひとつお願いがあるんだけどさ」
「なんでしょう?」
それまで黙っていたメインクーンの背中をポン、とレッキスが押す。
「やっぱりイヤにゃあ」
弾かれたようにメインクーンが駄々をこねだした。
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「メインクーンちゃん! 戻ってきてくれたんだね!」
ギワラに伴われたメインクーンは、第三皇子クネートの部屋へとやって来ていた。
いつもの下着姿ではなく、珍しいことにちゃんとした正装をしている。
それでも肥え太っただらしない体は隠しきれない。
「に、逃げ出して、ごめんなさい」
「いいんだよ子猫ちゃん! 本当、グッドなタイミングで戻ってきてくれたよ」
メインクーンの前に膝まつき、手に頬擦りしてくる。
「実は困ってたんだよぉ。今夜の晩餐会、妃たちは怒ってて誰もボクのパートナーを引き受けてくれないんだ。仕方ないからメイドの誰かを新しく嫁にしようかと思ってたんだけど」
(クズめ)
ギワラとメインクーンは同時に同じ感想を抱いていた。
「でもよかったよかった! さあ、時間もないからキミ! 早くボクの子猫ちゃんにドレスを着せてあげて」
「かしこまりました」
「ウッヒョヒョーイ」
小躍りするクネートに対し、ギワラは恭しく頭を垂れ、メインクーンはガックリと頭を垂れた。
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「どうかね後輩、答えは見つかったかね?」
読み耽っていた本から顔を上げて、第二皇子レームは訪問者にまずはそう声をかけた。
もうすぐ晩餐会だというのに、未だ着替えもせずにいつもの山高帽と緑のジャケット姿のままだ。
「いくつか推測は出来ますが、答えはまだ出せません」
訪問者、アカメにレームは頷いた。
「あの箱を詳しく調べてみたいものであるな」
「その事でお聞きしたく、参上したのですよ」
「何かね?」
アカメはレームの書斎に並んだ本棚を興味深く見渡しながら話し始めた。
「パンドゥラの箱はかつてハイランドを救い、そして権力者たちによって争いの火種となりました」
「そのようだな。悲しき歴史である」
「その歴史でですね、実際に箱が使われた、もしくは開けられたことはあるのでしょうか?」
「…………ない、な」
「箱について書かれた本はいくつか読みました。中でもやはり注目すべきは箱について最初に書かれた」
「『白き巫女と希望の箱』かね?」
それはハイランドの建国伝説を著した本である。
多くの国民にとってはおとぎ話と相違ない物語であるが、当時の記録として学術的見地からの史料価値も認められている。
「箱についてのくだりはこうです」
――パンドゥラの箱
曰く、持つ者に祝福を与え、あらゆる奇跡を生じさせる。
しかし、使い方を誤れば、箱の中より〈災厄〉が現れ、世界を蝕む悪魔となるであろう。
「よくそらんじて言えるな」
「一度読んだ本の内容は忘れないのが私の自慢です。で、ですね、ここでは使い方を誤ると、とあります」
「ふむ」
「箱を使う、とは表現としておかしくないですか? 蓋を開ける、とか、中に入れる、とかならわかりますが」
「なるほど」
「そこでもう一度お聞きします。ハイランドの歴史において、パンドゥラの箱を開けた者はいますか?」
レームは今度はじっくりと考えこんだ。
そうしてそれなりの時間を掛けて出た答えは、
「やはりないな。聞いたこともない」
「それは開けなかったのでしょうか。それとも開けられなかったのでしょうか」
「…………」
「箱は奇跡の象徴かもしれませんが、決して持っているだけで奇跡を起こせる代物ではないのです。あの箱は特定の人物しか開けられない、使えないのではないでしょうか」
「特定の人物とは、例えば姫神のことかね?」
アカメの目が大きく見開く。
「箱があればゴルゴダへ行けた、という聖賢王の言葉を信じるならば、箱と姫神が揃うことで、初めて意味が生まれるのです」
「となるとゼイムスは箱を使えないのでは……ああ、そうか」
「そうです。彼には桃姫がついています。もし彼が正しい使い方を知らずに、桃姫をそそのかし万が一箱を」
「開けてしまったら」
アカメとレームが目を見合わせる。
「どうなってしまうのだろうな……」
〈災厄〉が現れる。
「ふむ。面白い。知的好奇心を抑えがたいが、これは警戒しておくに限るな」
「ええ」
「ところで後輩よ」
「なんでしょう」
「吾輩をこうして頼ってくれること、実に嬉しく思う。なにかで報いてやれればよいのだが」
「それでしたらひとつお願いが」
「なにかね」
「私をお供として晩餐会にご一緒させてください」
今回出てきた箱については第196話「〈白き巫女と希望の箱〉」にて少し触れております。




