296 東門防衛戦
聖都カレドニアに襲来したバル・カーンの群れは、先日と同様、再び東門からであった。
カレドニアの東は広大な平原が広がる地域なうえ、主要な街道が伸びる交易路のためそれも止むを得ない。
堅牢を誇った外壁は崩れ、一部は応急処置に留まっている。
完全に門は閉じられているとはいえ、安心はできない状況だった。
しかし出来うる限りの迎撃準備は整えた。
外壁の上部には即席とはいえ数十機の大型弩砲が備え付けられ、門前広場には三基の投石機が配備されていた。
さらに前回の南アップランド戦線に間に合わなかった北の諸侯たちが、満を持して率いた兵と共に参陣していた。
総大将であるトーン第一皇子は総数二万五千の兵を確保することができたのである。
そのような状況の中、開戦の火蓋が切って落とされた。
「敵は道理の通じん獣である! 戦の作法も仕来りもない! 遠慮はいらん、一斉射撃! 撃ェッ!」
トーンの号令が発すると、投石機、大型弩砲、そして外壁に配備された弓兵らによる射撃が開始される。
雨雲に覆われたかのような矢の雨が降り注いだが、しかし残念ながらそれで怯む相手ではない。
一匹辺り数本の矢傷ではものともせず。
バリスタの貫通力や投石機のプレスは有効なれど、一発一発の装填に時間を要するとあっては、この数の対処には追いつかない。
また、外壁を越えるのに人間であれば梯子をかけるであろうところ、バル・カーンは持ち前の身体能力で壁を垂直に駆け上がってこようとする。
「壁に張り付く奴から叩き落とせッ」
兵たちが槍や斧で追い落としにかかるが全てに手がまわるはずもなく、一匹、また一匹と壁を乗り越え広場に到達する。
だがまだ少数である内は、広場に待機する騎士たちにより排除する事ができた。
「ゴア・バル・カーンです!」
外壁上の兵から叫ぶように報告が来る。
通常のバル・カーンよりもでかく、より暗い紺色の毛並みを持つ士官クラス。
それが複数体、前線に並ぶと大口を開け腰を落とす。
「口元に青い炎! 来ます! 火球砲ですッ!」
「総員、衝撃に備えろォ」
ドンッ、ドンッ、ドォン!
発射された何発もの巨大な青い火球が炸裂する。
それらが閉じた門に集中砲火を浴びせた。
さしもの堅牢を誇る巨大な門も豪快に破壊され、無情にも広場への道を開けることとなった。
「将軍! 門が突破されます!」
「ならァん! ここで必ず死守しろォ!」
広場の最前線に陣取る騎士隊を指揮するのは大将軍ジョン・タルボットであった。
彼は悠々と侵入してきたゴア・バル・カーンに対し突撃命令を出すと同時に、彼の隊に組み込まれた東門の番兵たちに、あらかじめ丸太を組んだバリケードを配置するよう指示を出す。
「将軍! このままでは……」
「わかっておる! バル・カーンは獣使いによって操られているとの事。そ奴らを討てば退くはずだ。それまで持ちこたえろ!」
ジョン・タルボットの檄が飛んだ頃、後方の指揮所ではトーンが苛立っていた。
「獣使いはまだ仕止められんのかッ」
「それが、奴らどうやらバル・カーンの毛皮をスッポリと被り、群れの中に散らばっているようでして、その、索敵が困難だと報告が……」
「そんな言い訳が通じるか! なんとしても特定し、即刻撃ち殺せィ!」
「は、はいッ」
ズドオオンッ!
その瞬間にトーンのいる指揮所そばに巨大な岩が投げ込まれた。
当たれば到底助からない。
そうでなくとも飛び散る破片が弾丸となり、当たればいとも簡単に致命傷となる。
「報告! 投石機が一基、ゴア・バル・カーンにより破壊されました!」
広場へと入り込んだ巨獣は、破壊した投石機のそばに積まれた大岩を掴むと、辺りに投げつけはじめた。
獣を懲らしめるはずの大岩が逆に街に被害を与え出す。
「あの化け物を止めろォ」
トーンの怒号は最早命令とは言えなかった。
キッチリとした作戦行動が練られていたわけではない。
それでも命令を遂行しようとした騎士たちだったが、各々がやたらと動き回ることで進路が被り渋滞をお越していた。
あるいは血気にはやる者が放った矢は、見当違いの方向へと飛び、逆に味方を傷つける始末。
たった一発の大岩がきっかけで騎士たちは混乱を来していた。
「駄目だ。やはりトーン皇子は将の器ではない」
その様を見たジョン・タルボットは力なく項垂れた。
「危ないッ」
意気消沈の将軍を狙った獣を間一髪、シド隊長が切り捨てる。
「将軍! まだハイランドが屈したわけではありません! 希望はあります」
「希望……」
それは人それぞれ違った形を想像する。
シドが思い描いた希望は光の少女と小さな剣士であったのだが、大将軍ジョン・タルボットが思い描いた希望は、その瞬間、実際に目の前に現れた美貌の青年なのであった。
「よくぞ持ちこたえてくれた。将軍」
その肩に手を置いたのは、実に涼しい顔をした美青年。
この血生臭い戦場には似つかわしくもない、なんとも涼やかな表情をしていた。
「ゼイムス様!」
思わず青年の隠していた本名を口走った。
だがその事に対する叱責はなかった。
チェルシーにとって実の名は、最早隠す必要のないものなのだ。
彼は広場中で苦闘を続ける全ての兵に聞こえるよう声を張り上げた。
「聞け! 王国に忠誠を尽くす騎士たち! 我が名はゼイムス! 亡き父レンベルグの意志を継ぎ、危急存亡なる我が祖国を救うため舞い戻った!」
「あれは! ゼイムス!」
その姿を見つけたトーンの顔が忌々しそうに歪む。
奥歯を砕かんとするほどの歯軋りがチェルシー=ゼイムスにまで聞こえてきそうだ。
ゼイムスはそちらをニヤリと一瞥しながら右腕を高く掲げた。
その手には青く輝く箱がある。
「さあ、パンドゥラよ! 真の王にのみ許される奇跡を示せ! 我が名はゼイムス・ウォーレンス! この国の正統なる王位継承者である」




