295 湖のひみつ
聖都カレドニアにいる人々は、一般人、避難民の区別なく、所定の避難区域へと移動することを義務づけられた。
しかし厳戒態勢を敷いたにしては粛々と避難、とはいかないようである。
ハイランドの首都が戦場になるのは久しくなかったことであり、まだ国民ひとりひとりに危機感が足りていない様子。
だが街の外に目を向ければ、遠く地平線にはすでに、バル・カーンの蒼い波が迫り来るのが目視できた。
そんな慌ただしい状況の中、東門の守備隊をまとめるシド隊長は、そのカエル族の訪問を心から歓迎していた。
「心配していたんだが、無事解放されたようでなによりだ」
「あ、いや……」
シドの労いにウシツノは言葉を濁す。
「違うデシ。黙って抜け出してきたんデシよ」
「あ、言うなよバン」
ウシツノと一緒にいるのは白い小動物バン。
正体は元姫神なのである。
「そうなのか。しかし改めて捕縛の指令は出ていないところを見るに、もう放免なのではないかな」
バンも城から逃げ出した身分にかわりないが、同様になんの令状も出ていないらしい。
「そもそもこの街の英雄に対し非礼を働く方がどうかしている。まあ今はそれどころではないのだろうがな」
公然と王室を批判するシドに対し、居心地悪そうに同室で待機する部下が目を逸らす。
「それで、預かってくれてただろうか」
ウシツノがそう切り出すとシドは「もちろんだ」と答え、自分の執務室へと案内した。
割と狭い部屋の真ん中、長テーブルの上にシオリの剣、輝く理力は置かれていた。
「えらい重たい剣だな。部下が五人がかりでようやく持ち運べたんだ。こんなのをあの少女が振るっていたとは驚いたよ」
と言ってる目の前でウシツノもその剣を持ち上げ確認している。
しかも片手でだ。
シドは目を丸くした。
「はは、さすがだな。大したもんだよ」
実はバンが側にいるとシオリの神器は何故だか軽くなるそうなのだが、ウシツノも原理はわからないので説明を省くことにした。
「ありがとう隊長。おかげで切り札を失わずにすんだよ」
「ということは、まだこの国に手を貸してくれるのか?」
「え?」
ウシツノの顔が狐につままれたようになる。
「財政難に加えどう見ても不利な戦だ。募集しても傭兵すらまともに集まらん。ましてお前は皇子に目を付けられてまで」
「けど黙って見過ごせないだろう? それにこれはオレの戦いでもあるんだ。手を貸すとか、そんな偉そうなものじゃないさ」
刀身を隠すように布を巻き付けるウシツノに、シドは「ありがとう」と礼を述べた。
「それじゃ」
「あ、待ってくれ」
部屋を出ていこうとするウシツノに、シドは思い出したように奥からもう一振りの刀を差し出した。
「うちでは手に余る。お前にこそふさわしい。持っていってくれ」
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「結局また戻ってきたなあ、この刀」
避難を急ぐ人々の合間を縫いながら、頭にバンを乗せたウシツノが大路を歩く。
肩に布をグルグルに巻いたシオリの神器を持ち、もう片方の手にはシドから譲り渡された妖刀〈果心居士〉を持つ。
「刀は持ち主を選ぶデシ。有り難く貰っとけばいいんデシよ」
「そんなもんか」
「剣士のクセに無感動デシね」
道すがら、露店で保存のきく食料を買い求める。
「三日分ぐらいでいいかな?」
これからウシツノとバンは二人で最終決戦地へと赴く。
そこで桃姫マユミを待ち受ける予定になっている。
「足りなくなったら魚でも採ればいいデシ」
「いるのかな?」
「知らんデシ。地底湖と言っても湖デシ。魚ぐらいいてもいいデシ」
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「地底湖?」
アカメが最終決戦地に指定したのは、なんと地底にある湖だった。
それもハイランドの首都カレドニアの直下である。
「疑問だったのですが、ここカレドニア周辺には大きな川も湖もありません。水を引っ張ってくる水道橋すら見えません。それでいて人口数十万を満たす水源がないはずがない。そこでダンテ殿にお聞きしたら、なんと地底湖があるというじゃないですか」
カレドニアの町中には井戸や水道が走っている。
その水は地下から汲み上げているのだが、その機能は王城ノーサンブリアにそびえる十本の塔のうちのひとつ、第七の塔らしい。
第七の塔は吹き抜け構造で、常時地下からの水を汲み上げ街のあらゆる水道へと流しているという。
「城へ忍び込む際に利用した地下道、妙に湿気が濃かったのを覚えていますか? あそこもその地底湖に繋がっているんですよ」
「見てきたみたいに言うなあ」
「ええ、見てきましたよ。十分な広さがありました。あそこなら周りの被害を気にせず戦えます」
ダンテとバンと三人で連れ立って出かけていたのは地底湖だったのだ。
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「ここで待機だ」
巨大な地底湖のほとりで腰を落ち着けると、ウシツノは同行者であるバンにそう宣言した。
「早く来てくれるといいがな」
「この神器が桃姫を必ず導いてくれるデシ。バンがそうであったように」
布の包みを解き、シオリの神器を眺めながら、ウシツノとバンは戦いの時を待つことにする。
「シオリ殿」
神器を見ていると自然にシオリの顔が思い浮かんできた。
「んっん~。ウシツノもシオリが気になり始めたデシか」
「無事でいてくれればいいんだが」
「そういう事デシか」
「他に何があるんだよ」
「ニブちんデシ」
「?」
丁度そのころ、地上では到来したバル・カーンとハイランド軍の決戦が始まろうとしていた。




