289 髭は見張る
「静かだな」
壁に持たれながらタイランが呟く。
ブロッソ王が倒れたため、罪人とも客人ともいえない宙ぶらりん状態の二人は、謁見の間から近くの部屋へと移された。
ここでおとなしく待機するようにと命じられている。
ウシツノはソファーに座り所在なげにしていた。
「王が倒れたとなれば、この戦、いよいよもってハイランドの敗戦濃厚だが」
扉の近くで外の様子を伺いつつ話すタイランにウシツノは質問をしてみた。
「どうしてエスメラルダは戦争なんて起こしたんでしょうか」
ウシツノからすればハイランドもエスメラルダも大国だ。
隣接する大国同士、田舎者の自分には想像もつかない理でもあるのだろうか。
少し考えてからタイランが口を開く。
「そうだな。この戦、どうにも始めから国としての大義が見えん。もしかしたら一部の人間による私利私欲の可能性まである」
「そんな身勝手な」
「確かに。だが戦争なんてそんなもんだ。上に立つ者の都合で、傷つくのはいつだって弱い立場の者たちだ」
「騎士道に反すると思う」
素直なウシツノに苦笑してしまう。
「だがそれだけではないぞ。エスメラルダは明らかに蒼狼を利用している。あの国の軍隊にそんな戦力はないはず。どこかで誰かと繋がっているはずだ。あるいはそいつらの利益になるような理由が……」
コン、コン!
そこへ部屋の扉がノックされた。
警戒しつつタイランが扉を開けると、そこにはフルフェイスの全身甲冑に身を固めた騎士がひとりと、お茶を載せたワゴンを押すメイドがひとり立っていた。
「お茶をお持ちしました。入ってもよろしいでしょうか」
メイドの顔を見たタイランはなにも言わずに部屋へと招き入れる。
そのメイドの後に騎士も続くと静かに扉を閉めた。
「なんだ、ギワ……」
思わず声をかけそうになったウシツノが慌てて口をつぐむ。
メイドは女盗賊のギワラであった。
先日城内に侵入した際、ギワラだけは情報収集のために脱出せずに残っていたのだ。
しかし騎士が帯同している以上、仲間という関係を悟られるわけにはいかない。
そう思ったのだが。
「ここに留まっていては危険だ。今すぐ城を出たまえ」
「え?」
騎士の発言は思いも寄らぬものであった。
困惑するウシツノを見て、
「安心せい。吾輩だ」
カチャカチャ、と冑の留め金を外し始める。
「……ん?」
外そうとしている。
「クッ、おのれ……あれ?」
さんざんカチャカチャとさせた挙げ句、結局ギワラの手を借りどうにか冑を脱ぎ去る。
出てきた髭に見覚えがあった。
「あんた!」
「ふむ。吾輩の後輩はおらぬようだな」
くの字を横にした形の髭を指でつまみながら、現れたのはこの国の第二皇子レームであった。
「なんであんたが?」
「危険を知らせに来たのだ。兄上はそちたちを処分するつもりだ。気に食わないと言っていたが、心当たりはあるか?」
ウシツノにあるとすればバンを連れ出した際の手合わせぐらいである。
「実戦と稽古は違うと教えてやったアレかな」
「あぁ。兄上は今まで実戦の機会を得られなかったことにコンプレックスを抱いておられたからな。そこをつつかれると我慢ならなかったかもしれん。ま、気にするな」
気やすくポンポン、とウシツノの肩を叩く。
「それより、説明もなくいきなり我々を処分する、とは第一皇子といえど随分と出過ぎた真似に思えるが」
タイランの言葉にレームの顔が真剣になる。
「……父は亡くなられた。じきに兄上が王位を継がれることになる」
「なんと!」
「気を付けてください。この事は暫く伏せられると。この場を誰かに聞かれでもしたら」
ギワラがレームを嗜めようとする。
「左様。他言無用に願おう。そちらのためにもな」
確認するようにレームはウシツノとタイランを交互に見やった。
「王の死を隠す、か。知っているのは誰だ?」
「吾輩とクネート。それから宰相、神事長、それと大将軍だな。他に数名の執事とメイドだ。お世話をする様を演出するには教えるしかないからな」
ギワラもタイランも目を閉じる。
真実を知らされたその者たちが、必要なくなった時に口封じされないよう、祈る以外ないと思った。
「兄上はこれを機に国内の反乱分子をあぶり出すおつもりのようだ」
「反乱分子?」
「ゼイムスという、我等にとっては従兄弟にあたる男だ」
「それは、魔道商人チェルシーって奴の事か?」
ウシツノの問いに意表を突かれたという顔をする。
「驚いたな。そんなことまで知っていたのか。どうやら復讐のために舞い戻ったようでな。兄上は彼の手の者を見つけ出すために盗賊ギルドを利用する気らしい」
ギワラが微妙な面持ちをする。
ギルドに消されかけた彼女は、今の盗賊ギルドがどういう状況なのかを知っているので、警告しておこうと思った。
「すでにギルドマスターのオーシャンはマラガの盗賊ギルドと手を結んでいます。それを手引きしたのがチェルシーです。彼の正体はマラガの幹部でした」
「そうなのか? では兄上はゼイムスの手の者を暴くために、ゼイムスの手の者を使おうとしているというのか?」
コク、とギワラが頷いて見せる。
「なんとまあ。これは兄上に翻意していただかねば。とにかくそちたちは脱出したまえ」
ギワラが押してきたワゴンを覆うクロスをめくり、下段に忍び込むよう促す。
「しかしなんでまた騎士の鎧なんて?」
潜り込みながらウシツノがレームに質問する。
申し訳ないが着慣れていない様がよくわかる。
「立場上そちたちと密会していたと知られるわけにはいかんのでな」
「外に見張りがいただろ?」
「来た時に交代だと言って追いやった。しばらくは代わりに吾輩が、空になったこの部屋の外に突っ立っているしかあるまい」
「それは、恩に着るよ」
苦笑するウシツノにレームが待ったをかける。
「ところで吾輩もな、興味が湧いたので少し調べてみたのだよ」
「ん?」
「姫神についてだ。聖賢王シュテインの日記を拝借して調べてみた。パンドゥラの箱については知っているな?」
「あ、ああ」
「うむ」
ウシツノとタイランがそろって頷く。
「あの箱は実はハイランド建国に携わった巫女の物であるのだが、なんとその巫女も姫神であったというのだ!」
それはもう知っていた。
「待て待て! そうガッカリするな。本題はここからだ」
コホン、とひとつ咳払いをする。
「日記のある部分にこう記されていた。『パンドゥラの箱さえ使えれば、一足飛びにゴルゴダへと向かえるものを』とな」
「ど、どういうことだ?」
「わからん」
「おい……」
「仕方なかろう。パンドゥラの箱が具体的にどんなものであるか。それがわからねば推測すらたてられん」
黙って聞いていたタイランが何かを思い出したようにつぶやく。
「そう言えば以前、シオリが箱の夢を見たと言っていた。もしかしたら、自分に使いこなせるかもしれない、とまでな」
「本当ですか!」
タイランの言葉にレームも頷いている。
「ふむ。どうやら先の展望が見えてきたようだな。このことを吾輩の後輩にも伝えてやってくれ。彼なら答えを導き出せるだろう」
「わかった! ありがとうレーム皇子」
「礼などいい。吾輩も学者である。興味を掻き立てるテーマを与えてくれたこと、そのものが何よりの報酬である」
そして再び冑をかぶり顔を隠す。
「では行け。そちたちの今後の名声を楽しみにしているぞ」
ギワラは二人の姿を覆い隠しワゴンを押し歩き始める。
それを見送るレームはこれから数時間、扉の前で空っぽの部屋を見張り続ける決心を固めていた。




