亜人世界をつくろう！ ～三匹のカエルと姫神になった七人のオンナ～

第四章 聖女・救国編

277 平成

　ガチャリ

　ギ、ギィ

　カタ、カタカタ、カタタン

　ドアノブが静かに回る音。

　木製の扉が軋みながら開く音。

　鍵の壊れた木の窓枠が、風に吹かれて揺れている音。

　屋敷の最上階には、屋根裏に設けられた使用人のための個室がいくつも並んでいた。

　どの部屋も荒れ果てて、長い年月風雨にさらされていたのは明らかだった。

「この窓から屋根に上がれそうでし」

　バンはスルスルと身を翻し、窓外からシオリを呼び寄せる。

「はひぃ」

　腐りかけの窓枠に足をかけ、シオリはおっかなびっくりバンの後を追って屋根の上をよじ登った。

「ここがいいでし。月も町もよく見渡せるでし」

　屋根のてっぺんにちょこんと座る。

　シオリも飛び出た煙突を背にすることで、どうにか隣に腰掛けた。

「寒くないでしか？」

「平気です」

　しばらく黙って町を見下ろした。

　日本の夜景のような喧騒はない。

　ハイランド軍が敗戦を喫したことが知れ渡り、この時間にむやみに出歩く者がいないのだ。

　所々に点々とした灯りが見えるが、基本的に真っ暗だ。

　それでもバンは飽きずにその光景を眺め続けた。

「ずっと、城の一室に籠っていたでし」

　それだけ言って、再び夜風に身をゆだね始めた。

　シオリも一緒になって夜の世界を見続けた。

　数分か、数十分か。

　ようやく口を開いたバンは、「シオリはいくつでし？」と尋ねた。

「十七……あ、でも、十八かも。この世界の暦とか、よくわかんなくって」

「ほとんど日本と一緒でしよ。言い方が違うでしが」

　この亜人世界も一年三百六十五日。一ヶ月はほぼ三十日で数える。

　西暦ではなく〈聖刻歴〉、今年はなんと一万九〇二二年。

　今日は〈陰の月一五日〉である。

　順に一月から〈王の月(レクス)〉〈神の月(デウス)〉〈陰の月(ウンブラ)〉〈風の月(ウェントゥス)〉〈鋼の月(カリュプス)〉〈竜の月(ドラコ)〉〈炎の月(フランマ)〉〈法の月(レークス)〉〈空の月(カエルム)〉〈獣の月(ベスティア)〉〈刃の月(ラーミナ)〉〈剣の月(グラディウス)〉。

　シオリが姫神になったのは竜の月(六月)。

　あれから実に九ヶ月がたっている。

　夏が過ぎ、秋を越え、冬が終わろうとしていた。

「てゆうかバンさん、レディに年齢聞いてるじゃないですか」

　さっきウシツノにキレたのはどこのどいつか。

「レデイがレデイに聞くのはいいんでし」

「ずるぅい」

　シオリが口を尖らせる。

「けどバンさん、江戸時代の人なのに、わたし達と同じ暦なんですか？」

「はぁっ？　江戸時代！　なんでそうなるでしか！　バンもユウも平成十四年の日本から来たでしよ！」

「え？　平成？」

　素っ頓狂な声が出た。

　四百年以上前の姫神なのだから、当然江戸時代の人だと思っていたのだ。

　ということは夢に見た千年前の白姫ヒカリも、そしてあの黒革の魔女オーヤも、みんな変わらぬ現代の日本から来たのだろうか。

「シオリは日本での事、憶えているでしか？」

「うん。ちょっと前にほとんどの事を思い出しました。わたしは令和になってすぐの頃、この世界に飛ばされたんです」

「レ、レイ、ワ？　なんでしそれ？」

「平成の次は令和っていうんですよ」

「ちょ、ちょ、それ……西暦！　西暦で何年でし？」

「え？　えーと、二〇一九年の、五月から」

「平成十四年が二〇〇二年だから、バンとシオリのいた時代は、十七年違うでしね」

「あ、わたしが生まれた年にバンさん姫神になったんだね」

「そう言われても、バンはもうこの世界で四百年以上生きてるでしから」

　なんだか複雑な気分だった。

　二〇〇二年に転移して四百年以上この世界にいるバンと、十七年後の二〇一九年に転移して、まだ一年の十八歳のシオリ。

「場所だけでなく時代も考えないといけないのかあ」

　そこまで考えてなかった。

　単に異世界に来ちゃった、としか考えなかったのだ。

「じゃあやっぱりここは遠い銀河の果てとかじゃないのかなあ」

「ここが何処かだなんて、バンにもわからないでし。けど案外、時間なんて簡単に飛び越えるのかもしれないでしよ」

「うーーん」

「クスクス」

　バンが笑い出す。

「なんですか？」

「シオリは面白いでしね。自分の事よりこの世界の事の方が気になりましか」

「え？　ああ、そっか。そうですね。わたし変かも」

　どうしてこの世界に来たのか、よりも、この世界がどこなのか、の方ばかり気にしていた。

　自分の身の上に関して、あまり悲観的に考えたことがなかったのだ。

　それよりも周りの事が気にかかる。

　痛みや悲しみといったものが、日本にいた頃よりもずっと多く感じ取れるのだ。

　だからだろうか。

　自分に癒しのチカラがあるのなら、片っ端から治してやろう。

　前にそう決めたのだ。

「シオリは運が良かったでしね」

「え？」

「仲間に恵まれてるでし。あのカエルやウサギたちはイイ奴らみたいでし」

「うん」

　そこに異論はなかった。

　だが同時にレイの嘆きを思い出す。

『あなたはいいわね。優しいカエルさんたちに守られて』

『え？』

『どうして私だけ！』

　彼女はトカゲ族にひどい扱いを受けていた。

　今、この場にいたら、きっとレイも同様に笑って話ができたのではなかろうか。

「ところで、バンさん」

「なんでし？」

「それ本名ですか？」

「仮名でし。バンダースナッチという怪物を宿しているからバンでし」

「本当は何て言うんですか？」

　バンがジッとシオリを見る。

　シオリもまっすぐ見つめ返す。

　名前を聞いただけなのに、思わぬ探りを入れられているようだった。

「チホ」

「ちほ？」

「大谷チホでし。珍しくもなんともない名前でし」

「オオタニチホさん、か」

　うんうん、と何度も頷いてみせる。

「なんだか親近感が湧きます」

「そうでしか」

「日本の事を話せるからかなあ」

　バンの顔も優しく和らぐ。

「バンさんは……」

　バンは今日までどんな経験したのだろうか。

　それを聞きたいと思ったが、バンは再び暗い夜景に目を移してしまったので、シオリも邪魔をしまいと、また黙って夜を見続けることにした。