272 バンの目的
陽が落ちた薄闇の空を、マダラの斑点をした白い獣が飛行する。
その背にはおっかなびっくりのウシツノとレッキスが跨っている。
「どこまで行くんよぉ?」
通り抜ける風の音に負けないよう、少々声を張る。
「この国を出るでし」
しかし意外にも相手の声は普通に聞き取ることができた。
気後れしているせいかも。
レッキスは気持ちを改め、今度は普通の声音で聞き返した。
「出るって?」
「ハイランドでは無理でし。もっと強い軍隊が必要なんでし」
「軍隊? なにが目的なんだ?」
ウシツノの問いに答えず、突然バンが降下を始めた。
まだこの国どころかこの街すら出ていない。
「ど、どうした急に!」
石造りの家屋が密集して迷路のような街路を作る市街地だった。
建物同士が隣接し、何階層にも立体的に街路が行き交う。
この国の中間層が住まう旧市街地、そのうちのひとつの建物の屋根にバンは降り立った。
戦時中の戒厳令のためか、道行く人はまばらである。
夜闇のおかげもあってまず目撃者はいないだろう。
降り立った途端、バンがみるみる元の小さな姿へと戻ってしまった。
「どうしたんよ急に?」
「神器の力だけではせいぜい十分程度しか戻れないみたいでし」
「十分?」
「正確には九分五五秒でしね」
少し残念そうに答える。
「それにしても困ったでし。これじゃあ街を出るのは難しいでしね」
「待て。そもそもオレたちは出るつもりはないぞ」
「そうなんよ。だいたいどこへ行くつもりなんよ?」
「ゴルゴダでし」
「……ゴッ!」
レッキスが驚きで声を詰まらせる。
「ゴルゴダだって!」
咄嗟にレッキスの口をウシツノが手で塞ぐ。
「もが、ふがッ」
「あまり大声を出すな。町中に衛兵がいるんだぞ」
「ふが」
コクコクとレッキスが首を縦に了解の意を示す。
「突然どうした? 知ってる場所か?」
今度はフルフルと横に振る。
「けど知りたいんよ」
「ん?」
「うちらはゴルゴダを探してここまで来たんよ。だから、知ってるなら教えてほしいんよ」
真剣な眼差しでバンに詰め寄る。
「知ってどうするでし?」
「そこにミナミが囚われてるはず。助けに行くんよ」
「ミナミ?」
「金姫のミナミ。ウチらの仲間なんよ」
「ああ、そういえばペニヴァシュ山で言っていたな。敵の襲撃があってその話を聞きそびれたままだった」
ウシツノが思い出したのは、シャマンたちと共にパンドゥラの箱を取りに行った時のことだ。
クルペオが、仲間の姫神がズァにさらわれ探していると言っていた。
あの場にレッキスはいなかったのだ。
「ゴルゴダという所にいるってわけか」
「そうでしか。ズァに捕まった姫神でしか」
バンの声に不穏なものが混じる。
「おい、まさかもう……」
「いや、すぐには殺されないでし。それは保証するでし。……ただ」
「ただ?」
悲壮な顔をするレッキスにバンは静かに答えた。
「心がもつかどうか……でし」
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瓦礫と化した塔の前で、トーンはまんじりとせずに王の帰還を待っていた。
やがて後続の部隊が続々と帰還してくる。
暗闇を照らすいくつものかがり火の中、皆一様に驚きを隠せずにいた。
当然だろう。
手ひどい敗退の末、ほうほうの体で戻ってみれば、城の最重要部分、第一の塔上層部がゴッソリと崩落していたのだから。
世界一高い建築物としても記録されていた王城ノーサンブリアのかくも無惨な光景である。
そして最もショックを隠せずにいるのが城主、ブロッソ・ウォーレンスであった。
崩れ果てた塔の前で呆然と立ち尽くしている。
「父上。確認しとう事がございます」
そのブロッソに背後からトーンが声をかける。
しかしすぐに返事は返ってこない。
「父上」
「……これは、どうしたというのだ」
ポツリと、振り返ることなく反応があった。
もちろん崩落についてであろう。
聞きたいことが様々あったが、仕方なくトーンはまず状況の報告からすることにした。
「賊が侵入いたしました。が、いち早く帰還した我らが追い払いました」
いち早く、の部分をことさらに強調する。
「賊?」
「カエル族の剣士でした。……ああ、それと城のメイドに扮した兎耳族」
「そやつらが城を破壊したのか?」
「おそらく」
正確にはマユミの攻撃に寄るのだが、トーンが帰還する直前の、それもはるか頭上で行われた行為のため把握していなかった。
「崩れているのは第一の塔のようだが」
ようやくトーンに振り返ったブロッソ王の顔はとても不安気であった。
「ご安心ください。母上や妹たち、それに生まれたばかりの我が弟も無事でございます」
「そ、そうか……ゼイムス……無事か」
今にも腰が砕けそうなほどに安堵した表情をする父を、トーンは唾棄する心情で見つめた。
この国の次期国王は自分だ。
自分がいればまずハイランドは存続する。
それで十分ではないか。
あとの朗報はおまけのようなもの。
それゆえわざわざ我が弟、といったと言うに。
(ゼイムス……鼻につく名を与えたものだ)
トーンはすぐにも父にあの魔道商人について問いただしたかった。
彼の名もゼイムスという事を桃姫が言っていた。
卑しき魔道商人チェルシー。
奴が三十年前、この国を放逐されたあのゼイムス本人なのかどうか。
もしそうであるならば、本来先王レンベルグの子であった奴が王になっていたはずである。
いまさら亡霊のように現れて、よもやこのオレの王位継承を邪魔するわけではあるまいか。
我が父ブロッソはそれを気付いているのかどうか。
だがトーンは冷静に、そのことを今は伏せておくことにした。
ブロッソが知っているかどうかはわからない。
だが自分は、知らなかった、という事にしておいた方が何かと対処しやすい。
(そう、今は戦時ゆえ、どんな不幸も起こりうるしな。ククク)
それでトーンはもうひとつの質問を投げかけることにした。
「父上。実はその賊が目的としていたらしいものについて、聞きとうございます」
「目的? それは何だったのだ?」
「バンめであります」
「バン?」
「左様。今まで私はあの者を取り立てて気にすることはありませんでした。ですが、あれは無力な小動物などではなかった」
トーンはバンが獰猛で恐ろしい巨獣に化け、賊と共にこの城を出て行ったことを話した。
「あれにそんな力が……知らなかった。余も我が父シュテインの遺言を聞き、あの者をこの城に隠匿していただけだったが」
どうやらトーンの期待に応えられる返答はなさそうだった。
ブロッソもバンを重要視していなかったのだ。
聖賢王シュテインとバンの間にどんな繋がりがあったのか定かではなく、そして興味も持たなかった。
「いや、ひとりだけ、かつてあやつを気に留めておった者がいたな」
「誰です?」
「ウーゴ・アダイ。我が父シュテインの知己であった公爵殿だ。もっとも、奴はとうに没落し、すでに故人だが」
だがバンの重要性を知る者がいたという事。
トーンは一礼すると王の前から下がった。
そしてすぐに部下を呼び命令を与える。
「逃げた賊を探せ。それとは別にあの魔道商人と、それからアダイ家のゆかりの者を探すのだ。そうだな、盗賊ギルドを使え。ギルドマスターのオーシャンはオレのいう事なら素直に聞くはずだ」




