271 バンの正体
「掴んだでし! やったでし! これが白姫の神器でしね」
檻の外へ手を伸ばしたバンが、しっかりとシオリの剣の柄を握りしめている。
「待て! その剣はお前には重すぎ……」
ズガッ!
深々と地面に突き立った剣を、バンは片手で持ち上げてしまった。
「る……」
ウシツノが信じられないといった顔をする。
力自慢の自分でさえ、担ぎ上げるのにすら難儀するというのに。
身長五十センチに満たない小動物が、四倍はある長い剣を片手で振り上げている。
「ど、どうするつもりなんよ! そんな剣持って……」
「そうだ! その剣は、姫神用の剣で、扱えるわけ……」
「そうでし。お前たちには世話になったでしからね、助けてやるでしよ」
狼狽するレッキスやウシツノを尻目に、バンは朗らかにのたまう。
まるでこれからピクニックへでも出かけるかのように。
「それは私がもらった剣よ! 返しなさい」
同じように、それまで呆気にとられていたマユミがガーゴイルに攻撃指示を出そうとする。
それでもバンは焦らず、シオリの剣を手に目を瞑る。
「待っていたでし。……そうでしか。お前は輝く理力というでしか。予想の通り、破邪の力が備わっているでしね」
刃の根元を額に押し当て静かに囁く。
「頼むでしよ」
ヒュゴォッ!
「うわっ!」
「わぁっっっ」
突然まばゆい光がバンの身体を包み込んだ。
あまりの眩しさに誰もが目をつぶる。
そして誰もが感じ取っていた。
光に包まれたあの小動物から、圧倒的な力の奔流が迸り始めたことを。
魔力とかオーラとか、そんな事ではない。
もっと根源的な、ヒトの本能に訴えかけてくるもの。
恐怖。
間近にいたレッキスは一番にそれを感じた。
膨れ上がった何かに抱えていた檻が破壊されたのだ。
物理的に、何かが内側から檻を破壊したのだ。
「な、なんなんよォ!」
グルルルルルルルッッッ!
唸り声がする。
そこに目が行く。
巨大な獣が出現していた。
果たしてそれは、白い毛並みと獰猛な歯列を持つ四足獣であった。
身体はマダラの斑点に覆われ、大の大人が見上げるほどの位置に凶暴な顎が備わっている。
誰もが一瞬にして理解する。
あぁ、自分が狩られる側であるということを。
「ふしゅぅぅうう」
獣が大きく息を吐き、自身の体を確認するように眺めまわす。
「やっぱり、神器だけでは元の姿には戻れないでしか」
声は先ほどまでのバンと変わらず、ただ少しばかり悲しげであった。
「元の姿?」
凶暴に見える今のそれが、元の姿ではないというのか。
「それでも、封じられていた〈旧きモノ〉の力は解放できたでし」
「旧きモノだって?」
すでにウシツノは目まぐるしいこの展開に頭がついてきていなかった。
(何故この場にいないのだ! アカメよ)
「き、貴様は、一体、何者だ? 祖父の飼っていたただのペットではなかったというのか」
ようやく声を絞り出したトーン皇子だが、さしもの豪の者を自負する彼も、奥歯をカチカチと鳴らしながら強がるのが精一杯であった。
「ふしゅうう」
一息ついてから出した、このあとのバンの受け答えに、ウシツノはますますアカメの不在を嘆くことになる。
「バンは姫神でし! 〈旧きモノ〉バンダースナッチを宿せし、姫神・白姫でしッ!」
巨大な獣の口からはっきりとそう聞こえた。
狼狽しつつ、ウシツノが問いただす。
「ひ、姫神! お前がか?」
「そうでし! 白姫でし」
「白姫だって? よりによって?」
いや、白姫はシオリであって、いや、そもそも白とか黒とかカブったりするものなのか。
いや、待て、姫神ってのは七人しかいないはずだよな。
今、何人いるんだ?
いよいよもってウシツノも混乱してきた。
「さあ、まあ、まずはここを出るでしよ。そのために障害となるのはただひとり」
バンが桃姫をねめつける。
「桃姫でしね」
「本当に、あなたが私と同じ、姫神なのかしら?」
「正確には元、でし。姫神としての役目はすでに終わってるでし」
「役目ですって?」
「いずれわかるでしよ」
バンがマユミに近づいていく。
それを阻止するため、マユミに操られた兵が進路上に立ちふさがる。
バンはその兵の脚先から頭の先までをベロリと舐め上げてやる。
自我など持てていないはずの兵がそれだけで卒倒してしまう。
「操られてても恐怖はするみたいでしね。術技の練度が足りないようでし」
「ッ! 舐めないでよ!」
怒気を込めたマユミの鞭が鋭く飛ぶ。
塔を破壊するほどの威力を持つ鞭だ。
生身の体で受けられる生物などいるはずがない。
だがその攻撃はまったくといってバンの身体に届かなかった。
直前で何かに弾かれてしまう。
「なっ! そんなはず……これならどう! 超龍騎」
暴竜の如く数十条の鞭が激しい炸裂音を響かせる。
しかし結果は変わらない。
鞭はバンの体に当たらず、周辺の空間を激しく叩いているようにしか見えなかった。
「無駄でし。お前には見えていないでし。バンの身体を覆ういくつもの結界が」
「結界ッ?」
「覚醒した姫神は〈多重結界〉によりあらゆる防御幕が張り巡らされるでし。それを知覚できないようでは、干渉も破壊もできない。バンとお前では戦うステージが数レベル違うんでしよ」
「ッッッッッ!」
マユミが歯軋りする。
同じようなことが以前にもあったばかりだ。
光をもたらすものへと覚醒したシオリになす術もなく退散した、あのケンタウロスの集落でのことだ。
「あのときと一緒」
マユミの顔に今度は悔しさがにじむ。
よもやの涙までが溢れ顔を濡らす。
どうにも情緒が安定しない。
どうしていいかわからなくなったマユミは、大きく羽を広げると一目散に飛び去ってしまった。
それと同時に宙を飛んでいたガーゴイルが動かぬ石像へと戻る。
次々と地上に落下し砕け散っていく。
そして兵たちも徐々に自我を取り戻し始める。
だがすぐにバンの姿を見て恐れおののくのみだ。
「逃げたでしね。無駄に戦わずにすんだでし」
「あ、ああ」
「そうなんね」
ウシツノとレッキスはもはやどうしていいかわからずにいた。
とにかく脳筋を自認している自分たちではもう理解が追いつかない。
一刻も早く他の仲間と合流したくてたまらなかった。
「さてと」
バンが今度はトーンの方を向く。
「今までお世話になったでし。バンはこの城を出ていくでしよ。ブロッソによろしく伝えてくれでし」
「なっ! なんだと! そんな勝手が!」
「バンの勝手でし」
邪魔したければするがいい。
そう言ってウシツノとレッキスを背に乗せる。
二人ともおっかなびっくりではあったが、バンは気にせずフワリと空へと飛び上がる。
「ま、待て! 何処へ行く」
止めようとは思うトーンであったが、彼には何もできることはなかった。
太陽がちょうど地平の彼方に沈みゆく。
宵闇が辺りを包み、あっという間にバン達の姿は闇に紛れて見えなくなってしまった。




