232 クネートガールズ
「よし、いいか? 軽くおさらいしておくぞ」
御者台のネズミが小窓を開け、馬車内に語り掛けてきた。
「ハイランドの現国王ブロッソには三人の息子と四人の姫がいる。問題は息子たち、長兄のトーン、次兄レーム、末弟クネート。こいつらはいわゆる三皇子と呼ばれている」
馬車の中にはいかがわしい衣装とメイクでドレスアップしたギワラとハクニーがいる。
ハクニーは変身できる呪いの指輪のおかげで、半人半馬の姿から完全な人間の乙女へと変貌していた。
「その中でも末弟のクネート。こいつは好色で、公務の際にも自らクネートガールズと呼ぶ娼婦たちを連れ込むろくでなしだ」
ハクニーの隣では道化師風の衣装をまとったアカメもいる。
そして大量の衣装箱でカモフラージュした、簡易ベッドにウィペットが横たわっている。
衣装箱のフタを閉め、外からは見えなくなるように仕組まれているのだ。
「そこでだ。オレたちの役柄はこのろくでなし皇子に急ぎ呼ばれて駆け付けた娼婦って設定だ」
もちろんそんな事実はない。
そもそも嘘をついて検問をすり抜けるなどというスリリングなことを進んでしようとは思わない。
だが急ごしらえでもここまで用立てたのだ。
アカメは何も言わずに従うことにしていた。
「さあ、そろそろ人が増えてきた。強引に割り込むから舌噛まないように気を付けろよ」
「ゲコォ」
ガタコン、と路面の石を跳ねる乗り心地に、慌ててアカメは座席にしがみついた。
「ちょっと、アカメは人形のフリなんだから動いちゃだめだよ」
「ハクニーさん……ハイランドは亜人に優しくないですね」
「この国は今や動くパペットであふれてるから問題ないよ」
「そりゃどうも」
ギワラの言葉で幾分気楽になれた。
馬車は街の東門へ向けて長い行列を作る避難民たちの横を走り抜けた。
順番を守ろうとしない馬車の出現に眉を顰める者も多かったが、王家の紋章が目につくと何も言わなくなる。
そうして丁度、一組の検問が終わったらしい門番のそばで、馬車は横付けに停車した。
すぐに門番が寄ってくる。
「お前たち、何の真似だ。一体どこの所属だ」
馬車に追随する王国の騎士姿を認めた若い門番が、訝りながら御者台のネズミを誰何する。
「どこの所属だと? 見てわからないのか! 我らは第三皇子クネート殿下直属の近衛であるぞ」
「な、なんと! これは失礼しました」
ネズミは内心でほくそ笑んだ。
この門番は大当たりだ。
威厳を演出してビビらせれば押し通れるだろう。
ネズミは少し声を低めて門番に詰め寄る。
「貴様、もしかして新兵か」
「はっ! 今月付けでこの東門に配属されたばかりであります」
「そうか。しかし我らを知らぬとは予習が足りんぞ」
「申し訳ありません! 実は本来配属予定であった見習い騎士の者が急死いたしまして。急遽私に白羽の矢が当たった次第でありますれば」
こいつはちょろいな。
聞いてないことまで自分からしゃべっちまって、盗賊には重宝するぜ。
とはいえあまりに簡単に事が運びそうでいささか拍子抜けしてしまう。
「そうか。その者は不幸であったな。お悔やみ申そう。では通らせてもらうぞ」
「お、お待ちください!」
馬に鞭を入れかけたところで制止され、一瞬舌打ちしそうになるのをこらえる。
「なんだ?」
「い、一応中を改めさせてください」
「なに?」
「き、規則ですので」
まあこれぐらいは想定の範囲内だ。
「優秀だな。君はなかなかに任務に忠実のようだ」
「はい」
「よかろう。おい、開けてやれ」
ネズミの命令で部下が馬車の扉を開く。
中では優雅に扇をあおいでいる美女が二人。
もちろんギワラとハクニーである。
そしてアカメは結局、じっと動かず人形の役に徹することにしたようだ。
「こ、これは」
「わからんのか。クネート殿下のご趣味であるぞ」
「し、しかし今は……」
「殿下はたとえ戦時であろうと殿下なのだ。貴様もあの方のことは知っておろう」
「た、たしかに」
ネズミは心の中で爆笑していた。
こんな説明で納得できてしまうのだ。
つまりはこの程度の人物ばかりが現在の王宮を支配しているのである。
我が国の王家の行く末のなんと暗澹たるものか。
もう少し近くで確認しようと、ドアに手を掛けた門番を、首を横に振りながら部下が遮る。
「これで十分だろう? では行かせてもらうぞ」
これ以上は有無を言わさず、馬車の扉を閉めようとする。
アカメはほっと一息つきかけた。
その時だった。
「その馬車はなんだ?」
十数人の騎士を従えた壮年の男が現れたのだ。
「ト、トーン殿下!」
それは見回りのために現れたこの国の第一王位継承者。
ブロッソ王の嫡男であり、三皇子の長兄トーンであった。
学問よりも武勇を是とするタイプで、神経質な父ブロッソとは真逆で好戦的な性格の持ち主である。
しかし弱体化したハイランドは亜人戦争以後、大きな戦に発展する機会は少なく、本格的な戦は齢四十を重ねた今回が初となる。
それだけに力んでおり、ここ数日は余人が近寄りがたい戦気を発していた。
開け放たれた扉から馬車内を一瞥する。
「王家の紋章のついた馬車にいかがわしい娼婦。なんだこれは」
「は、はいっ! こちらは第三皇子クネート様宛てであると」
門番が声を振り絞り報告する。
可哀想に、だいぶビビっちまってるようだ。オレのせいじゃねえがな。
そう思うネズミにしても望まぬ厄介な登場人物に少なからず焦りを覚えていた。
「クネートだと」
第一皇子がまじまじとギワラとハクニーを見る。
その視線に堂々と見つめ返すギワラと、対照的にハクニーはハラハラと背中を流れる一筋の汗を感じていた。
(頼むぜおい)
ネズミも黙ってトーンが何を言うかを待つ。
第一皇子と第三皇子の仲はどうであったか?
良いのか、悪いのか。
良ければ良いのか?
悪ければ良いのか?
出方によっては難しい対応を迫られることになる。
王族相手では賄賂も通用しないだろう。
固唾を飲んで見守っているとようやく目線をこちらに移す。
「ふん! このような時にまで女とはな! やはりこの国はオレがなんとせねばならんな」
(よし!)
心中でネズミはガッツポーズする。
「では」
「視界に入るのも不愉快だ。とっとと行け」
手早く馬をムチ打ち発進する。
トーン皇子の気が変わらないうちに、この場を一刻も早く離れたかった。
「いやあ、肝を冷やしましたね」
「私汗かいちゃったよ」
走る馬車内でアカメとハクニーはようやく人心地ついていた。
「いい経験できたじゃない」
そんな二人にギワラが珍しく労るように声をかける。
「そう言われればそうですね。おかげでこの国の要人にも会えた訳だし。しかしこんな危ない橋を渡らずとも、時間を掛けてでも列に並べば安全に入れたのではないでしょうか」
街の中には避難民の姿もちらほらと確認できる。
「街に入った避難民に自由行動が許されるとでも思ってるの?」
「それは、まあ、そうですね」
見るとその避難民たちは衛兵によって各地に誘導されている。
おそらく間者が紛れていたり、犯罪目的や地元民との無用ないさかい等を考慮しての措置だろう。
確かにアカメたちにとっても都合が悪そうだ。
「おい」
ネズミも小窓を開けて会話に入り込む。
「とにかくまずそこの犬狼族をダンテに診せに行くとしよう。そうそう、兎耳族の姉ちゃんもだいぶ元気になったんだぜ」
そう言われたが、アカメとハクニーはシャマンの仲間と面識はないので、曖昧に笑ってやり過ごす以外にどうしようもなかった。




