214 明の明星
タイランの目の前に現れたのは、炎をまとった竜だった。
「火竜……お前なのか、アユミ」
紅蓮の炎がブレスとなってタイランに放射される。
それをどうにかしようなどと、そんなおこがましいことができようか。
ハクニーの目の前に現れたのは、全身に傷を負ったケンタウロスだった。
「兄さま……私たち、殺されるの?」
めった刺しにされてハクニーは晒される。
無力な自分に歯噛みしつつも、無駄な抵抗で絶望を長引かせることなどできようか。
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「誰にも後悔や不安といったものがある。それは心の恐怖として常に内に抱えている。心が描く恐怖は強い。抗えず、諦める」
マユミの見ている前で炎に包まれたタイランが膝をつく。
「彼は贖罪の炎に巻かれることを受け入れた」
全身から血を流すハクニーが倒れ込む。
「この娘は未来への不安に圧し潰された」
くずおれる二人を前に、マユミの目には精一杯の憂いが満ちていた。
「幻魔術は心の闇と対峙させる。それは優しく、もういいのよ、と解放してあげる。慈愛に満ちた呪いなのヨ」
「転身姫神ッ!」
「ん?」
「ブランラピュセェゥッ!」
轟ッ!
白光と暴風が吹き荒れた。
「あぁ! 天使……」
シオリを縛めていた鞭が引き千切られる。
振り向いたマユミのすぐ目の前に押し迫る転身したシオリがいた。
「どいてェッ」
「アンッ」
鬼気迫るシオリに気圧され、思わず道を開けてしまう。
それでも足りぬと突き飛ばされた。
マユミの履く黒革のブーツが地面を抉るように踏ん張る。
それほどに乱暴なシオリの狼狽振りを見て、逆にマユミの心に憐れみがあふれだす。
「光あれ」
パアアッ、と火に焼かれるタイランと血を流し続けるハクニーの体が眩しい光に包まれる。
どんな時でもこの光の力で全てを治し、癒してきた。
その回復能力にシオリは絶対の信頼を寄せていた。
だが、いつものように一瞬で全快とはいかない。
「そんな! 光あれ」
もう一度唱える。
火は消え、血は止まった。
「光あれッ」
さらに唱える。
少しずつだが傷も癒えはじめている。
それでも……。
「おかしい! いつもはすぐに回復するのに! 光あれ、光あれッ! タイランさん! ハクニー」
何度も何度も唱える。
たしかに焼けたはずの体は元通りに修復されている。
しかしどうしたものか、タイランもハクニーも一向に起き上がらない。
膝をつきタイランの頭を胸に掻き抱きながら、シオリは必死に呼び掛け続けた。
「どんなに、体の傷を癒しても、心が拒む。幻魔術ドグラ・マグラはヒトから生きる力を奪いトル」
「タイランさん! 起きてタイランさん」
「無駄ヨ。あなたには効かないみたいだけド、この術技で生き延びたヒトはいないワ」
シュルシュルシュル、と幾本もの鞭が蛇のようにのたくりマワル。
「ねえ、もういいでしょウ? そのヒトたちは。私のお願いを聴いてヨ」
背を向けてしゃがみ込むシオリにマユミの鞭が飛ぶ。
バシッ!
ビシッ!
バチンッ!
乱れ飛ぶいくつもの鞭に背中を打たれながらも、シオリは胸に抱いたタイランの回復を願い続けた。
(傷を治すだけじゃダメなんだ。でもどうすればいいのかわからないよッ)
バチィィン!
「くハっ」
ついにシオリの背中から鮮血が飛び散る。
光沢を放つ白いスーツの背中が裂け、真っ赤な血の染みが広がりだす。
(私は姫神なんでしょう! 回復能力を持つ白姫なんでしょう! 私にできなきゃ! 私にできなきゃッ)
「誰にもできないじゃない!」
カッ!
眩きッ。
シオリから天をも突き刺す巨大な白光がほとばしった。
その光は闇夜を明るく照らし、アップランド平原を超え、遥かハイランドの首都〈カレドニア〉にすらも届いた。
一瞬の輝きであったが。
後にハイランド中で囁かれることとなる、〈はじまりの夜〉を告げる白い柱。
「白姫……? え?」
そのただ中で、桃姫マユミは呆然としていた。
目の前でゆっくりと立ち上がる白姫、シオリの姿が目に眩い。
いや、神々しいとさえ感じる。
「変わった?」
シオリの姿が変わっていた。
それは白一色。
肌の色以外、すべてが白一色の天使。
白く流れる長い髪。
純白に輝く豪華なドレス。
白光する天輪。
そして雄々しく優美な白鳥のような背中の翼。
純白の聖女。
「なんなの? どうしたの?」
マユミすらもただただ見惚れるしかない眩さを放つ。
「………………わたし、は……白姫。〈旧きモノ〉ルシフェルを宿す姫神」
「ルシフェル?」
「そう。私は〈光をもたらすもの〉」
シオリが優しくタイランの頬を撫でる。
「さあ、立ち上がって。心も体も全て癒す。私からの〈福音〉」
暖かな光に包まれたタイランが、何もなかったかのように目を覚ます。
「……シオ、リ?」
ニコ、と聖女はほほ笑みを返す。
圧倒される神々しさを魅せてはいるが、それは紛れもないタイランのよく知る異世界から来た少女であった。
2020年 05月20日に挿絵を追加しました




