021 紅姫〈レッドラッケン〉
広場の中央は巨大なクレーターと化していた。
猛烈な爆発により生じたようで、周囲は未だ炎と熱気に包まれている。
集まったトカゲ族の兵士たちによる怒号が混乱に拍車をかけていた。
ボイドモリとゲイリートが駆け付けた時、そこにはすでにモロク王の姿もあった。
王はクレーターの淵に立ち、巨大な穴の底を見ている。
「お、王よ。ご無事ですかッ」
「無論だ」
「むぉっ! ゲイリート、あそこを見ろ」
「あ、あれは一体……」
ボイドモリの指し示すそこに人影が見えた。
焦熱で溶ける岩をものともせず、それどころかこの者から迸る熱気の方が遥かに強い。
「オーヤ、あれはなんだ?」
ゼェゼェと息を切らせながら現れた、年老いたオーヤが背後に立つ。
「紅姫よ」
「紅姫……姫神か。あれもニンゲンだというのか」
紅姫と呼ばれたニンゲンは、クレーターの底からこちらを見上げていた。
双眸は白く光り、口は大きく裂け、鋭い牙の列が覗く。
「とてもニンゲンとは言えん姿をしているが」
紅姫とモロク王の目が合った。
紅姫の目が細まる。
ニヤッと笑ったように見えた。
途端、牙の覗く口が大きく開き、紅姫の口から火球が発射された。
それはモロク王に向かい轟音を上げて飛んでくる。
「ぬおッ」
ズバァァァァン!
着弾しはじけた爆音はクレーター上部のヘリを抉り、すぐさま空中で大爆発を起こした。
何歩も後ずさったモロク王は爆発を逃れ、舞い散る火の粉を剣で振り払った。
「ギャッ」
不気味な呼気を発し紅姫が飛び掛かってきた。
速い。
モロク王に向かい一直線に迫る。
とっさに手近にいた部下を掴んで目の前に投げ出し盾とした。
重たい槍が胴体を貫通するような音と衝撃が伝わってくる。
哀れな部下は身に纏う金属製の鎧ごと、胸を一突きにされ絶命していた。
そいつの背中から突き出ていたのは紅姫の腕だった。
鮮血に染まるその腕は異形だった。
固い鱗がびっしりと並び、指は長く、爪は鋭かった。
間近で見ると脚も同様で、尻には細く長い、鋭利な蛇腹状の尻尾が生えている。
肩から肩甲骨にかけてはコウモリのような羽を生やし、髪は炎の如く燃えさかる。
肩、腕、脚と、赤い鱗に覆われて、頸から胴体は艶やかな光沢を放つ赤い革で覆われていた。
「ギャウッ」
紅姫がひと吠えすると腕から獄炎が生じ、盾となった兵士が消し炭になる。
右腕が赤熱し、火の粉が舞っていた。
「赤き姫神、紅竜美人。灼熱の炎を纏う竜。それが紅姫よ」
「ほぅ」
オーヤの解説にモロク王は唸った。
「今まで半信半疑であったが、これが姫神の力というものか。こやつもオレのモノとしてくれる。ボイドモリッ」
「ハッ!」
ボイドモリが部下たちに指示を出し、紅姫の包囲網を縮める。
「捕えろォ」
一斉に兵たちが紅姫へと飛び掛かった。
「愚かね」
冷めた口調のオーヤに応える形で、紅姫はトカゲどもを返り討ちにした。
剣や槍の攻撃をものともせずに八つ裂きにしていく。
爪で。
尾で。
牙で。
炎で。
それは戦闘とは言えず、一方的な殺戮であった。
「理解できたかしら、王よ? 姫神を止められるのは姫神だけなのよ」
「あの弱々しい黒姫も、これほどの力を持っているというのか?」
「どうかしらねぇ」
「なに?」
「紅姫は完全なる覚醒状態ではない。暴走しているみたい」
「暴走だと」
「ギギャッ」
紅姫の咆哮がこだまする。
周囲に爆発と火柱がいくつも立ち上る。
「ギャギャギャギャギャギャ」
笑っているのだろうか。
炎と血と殺意に満ちた赤い戦場で、竜の如くふるまうニンゲンが狂ったように暴れまわる。
「王よ、このままでは全滅です」
ゲイリートの注進に腹立たしく思いながらも、この強大な力は認めざるを得ない。
「おのれ……」
もうおいそれと近付く者もいない。
みな大きく距離を開け、恐る恐る紅姫の出方を窺っている。
いや、すでに腰が引け、臆しているようだった。
「ええい、腰抜けどもがァ」
モロク王が剣を引っ提げ前へと一歩を踏み出した。
「ギッ」
その時、紅姫の動きが止まった。
何かを探すかのように右に左にと首を巡らす。
その視線がある一点で止まった。
すると肩の羽を大きく広げ空中に飛び上がる。
ボッと、肩のあたりに小さな爆発が生じると、それを推進力に加速する。
向かった先にはひとつの天幕があった。
彼女の飛翔する航跡に一条の赤い火線が尾を引く。
「ギャオゥッ」
咆哮が天幕を吹き飛ばした。
「あれはっ」
そこには安置された黒姫の剣があった。
右腕に炎が逆巻くと、黒い剣にめがけて大きく腕を打ち振るう。
今までで最も激しい炎が発射された。
だが黒い剣からも巨大な闇が噴出した。
闇は大きな壁となり紅姫の炎と激突する。
すさまじい衝撃波が起きた。
そして爆風と、耳をつんざく亡者の悲鳴が撒き散らされる。
辺りに炎をまとわせた黒い風が吹き抜けた。
しばらく誰も動けなかった。
心が恐怖で金縛りになっていたのだ。
それはモロク王ですら例外ではなかった。
数秒か、数分か、誰もが我に返る頃、紅姫の姿はもうなかった。
そこには炎を迎え撃った主なき黒い剣だけが残っていた。
「恐怖は誰しもが抱く弱味。抗えるものではないわ」
立ち尽くすモロク王にオーヤが歩み寄った。
「いかに破壊の炎をもってしても、恐怖という闇の力を司る黒姫には勝てないのよ」
「クックック……闇の力か」
モロク王が笑い出した。
「オモシロイ! やはり是が非でも黒姫はオレの手元に置いておかねばならぬなァ。シャーッシャッシャッシャ」




