206 老ケンタウロス
登場人物紹介
タイラン クァックジャード騎士団の騎士。赤い鳥。
新沼シオリ 姫神・白姫。〈純白聖女〉
ハクニー ベルジャンの妹。ケンタウロス。
ペルシュロン ベルジャンとハクニーの父。
「大変! もうそこまで迫っているよ」
ハクニーが息せき切ってその天幕に飛び込むと、丁度タイランは赤いグローブを嵌め、赤い旅人帽を目深にかぶったところであった。
「数は?」
言いつつ腰に愛用の細剣を佩き、マントのような赤い翼をひるがえしつつ表に出る。
外では避難準備に奔走するケンタウロス族のあわただしい光景が待っていた。
「荷物は最小限にとどめろ」
「馬たちを優先しろ! 生きていれば再起は後からできる」
「年寄りと子供は先に出るんだッ」
集落にいる若いケンタウロスの戦士たちが中心となって指示という名の怒号が飛び交っている。
ウシツノたちがパンドゥラの箱を求めて集落を出発してから三日経っていた。
その三日目の午後、やおら集落に不穏な情報が舞い込んできた。
「ハイランドからと思しき武装したパペットの軍勢が向かってくる」
ハイランドと言えばつい先日、言いがかりの末にベルジャンを含む一族の戦士たちを〈蒼狼渓谷〉に誘い込み、鎖に繋いだうえで獰猛な巨獣バル・カーンの群れをけしかけ処刑しようと画策した。
その顛末が区切りをつけるよりもはるか事前に今度の襲来である。
明らかな戦闘意思の感じられるこの行軍に、平和的な話し合いなど期待する者はすでにこの集落にはひとりもいなかった。
開戦の準備に明け暮れる戦士たちの合間を縫いながら、タイランはハクニーと共に集落の入り口へと向かった。
そこに二人の人物が待っていた。
ひとりはシオリである。
まだ体調は万全とは言えないだろうが、そうも言っていられない。
しっかりと両手に白の美剣〈輝く理力〉を持ってきている。
そして今ひとりは老齢のケンタウロス。
ベルジャンと、ここにいるハクニーの実父であり、名目上は未だこの部族の長である族長ペルシュロンだった。
かつてはその太い足と胴体からくる超馬力で大いに武を誇り、全身に甲冑を身に纏いハイランドの大将軍をその背に乗せ先陣を切っていた猛者である。
大戦終結後は疲弊したハイランドの元、大きな戦もなくその武勇も伝説の域に入りかけている。
今では部族の取りまとめを息子のベルジャンに譲り、自身は集落の精神的支柱に徹するようになっていた。
だがそれも平和な時世に限っての効果であろう。
迫りくるハイランドの軍勢に、いま集落は冷静な行動がとれず右往左往している。
「なぜ、このようなことに……」
苦虫を噛み潰すような声にハクニーはギョッとする。
戦時における父親の姿を初めて目の当たりにしたのだ。
「お心当たりは?」
隣に立ったタイランが集落から見渡せるこのアップランド平原を眺めつつ尋ねる。
一面の大平原の先、たしかに多くの軍勢が迫っているのが見て取れる。
多くはあの鎧人形なのであろう。
甲冑の擦れる音までも聞こえてきそうなほどの大軍勢だが、それに見合う生きた人間の声は微塵も聞こえてこない。
「ハイランド王家とは先の聖賢王シュテインと結んだ〈槍の誓い〉がある。相互に信頼し合う関係を築いたはずであった。我らはその誓いを最も尊重し、誠実に生きてきた。それがまさか、このような一方的な……」
族長ペルシュロンにも向かい来る軍勢の中ではためいている多くの軍旗が見えている。
それは金色地で、赤い二本の角を生やした獅子が描かれている。
まごうことなきハイランド王家の紋章である。
「現国王ブロッソはそのシュテイン王の次男でしたな。話を聞くにどうやら国政はそう上手くいっていない様子ですが」
「そのようだ。先の冤罪といい、この襲来といい、もはや何をお考えなのか皆目……」
「はたしてブロッソ王のご一存に寄ると限ったわけではありますまい」
「いや……あの方は周りを信用しておらぬ。それゆえに過去の愚か者同様、〈箱〉の奇跡に頼ろうと考えたのやもしれぬ。やはり、王の資質はブロッソではなく……」
そこで言葉を切った族長の後をタイランが継いだ。
「聖賢王シュテインのご長男、たしか……レンベルグ王子が継いでいたら、こうはならなかった」
「よくご存じで」
少々驚いた様子の族長にタイランが頷いて見せる。
「文武両道、才色兼備を絵に描いたような御仁であったと聞いております。〈亜人戦争〉において聖賢王シュテインは討死したも、この御仁がいればハイランドは変わらぬ大国を維持できていたとも」
「それが終戦後、一年を待たず早逝されてしまった。病死とのことだが、その後まだ幼い乳飲み子であったレンベルグ王子の息子が第一継承者であったにも拘わらず、シュテイン王の次男であるブロッソが王位に就いたのだ」
「当時それが承認された?」
「もちろん反対派もいた。レンベルグの幼き遺児をたててな。だがことごとく粛清されていったよ。多少強引にな」
「なんと」
「そして謀反の旗頭とならぬよう、レンベルグの身内は国外追放となった。わずかな金銭だけを持たせて奥方と幼子を野に放ったのだ。その頃はもう誰も反対できる者はなく、誰もがレンベルグの血は途絶えたと考えた。そしてハイランドの衰えは今もって終わりが見えぬ有様なのだ」
老ケンタウロスの目は目前の軍勢というよりも、遠き過去の平原を見ているようであった。
すでに未来に目を向けようとはしておらず、自身を含めた悔恨を抱きながらただ死を待っているようだった。
シオリとハクニーが並んで様子を見守っていた。
当事者であるハクニーは言わずもがな、シオリからしてもこの老人の痛切が伝わってきていたたまれない気持ちになっていた。
そして同時に迫りくる戦の機運に落ち着いてもいられない。
現代日本にいた時には想像もしていなかった戦争。
その最前線に自らが立っているのだ。
「タイランさん、どうすればいいの?」
シオリの声にタイランは今一度族長を見た。
申し訳ないと思いつつも、その老いた姿に今開戦の指揮を任せるのは無理だと判断した。
「ペルシュロン老。あの軍勢と正面から戦って勝ち目はありますまい。あなたは速やかに一族を率いてここを退去願いたい」
「わしはここで戦おうと思う」
「それはいけません。失礼を承知で言わせていただきますが、今のあなたではパペットの一兵すら倒せずに終わりましょう。安易に死に場所を求め、他の部族の連中をご自身の運命に巻き込んではなりません」
目を見開いて族長は赤い騎士を睨む。
タイランはそれを平然と受け流しつつ、
「ですがあなたのご健在はすべてのケンタウロス族の精神的支柱となります。あなたが息災であるというだけで効果があるのです。聖賢王は世継ぎに失敗しました。ベルジャンもまた血気にはやる若者です。彼に後事を託すのであれば、あなたは最期まで族長としての模範を示し続けねばなりません」
族長であるペルシュロンは何も言わずただジッとしている。
だが先程までと目の輝きが変わっていることは明白であった。
「あなた方の退避する時間は私が稼ぎましょう。数日、持ちこたえればベルジャンたちが戻ってきます」
「戻ってきたところでなんとする」
「〈箱〉の奇跡にでも頼りますか」
「あの〈箱〉は物語で語られるような便利なモノではないぞ。あれは……」
「白姫の神器、ですよね」
シオリの発言に今度こそ族長は驚きを隠さなかった。
「夢に見ました。あれは千年前の白姫の神器。もしかしたら」
シオリの目にも何かが輝く。
「私でも使いこなせるかもしれない」




