192 嬢王
これから暫くの間、メインクーンが厄介になる店の名は<メイド・イン・ヘヴン>。
オーナーは痩せ型で頬がこけたワシ鼻が特徴の中年男性で、身なりはいいがあまり上品な印象はない、有り体に言えば下衆が服を着たような男だった。
そんなオーナーだが、ネズミが部屋に入ると満面の愛想笑いで歓待した。
「そのお嬢さんをうちで預かればよろしいのですね」
「ああ。無理言って済まねえが」
「とんでもない! 確かにうちに亜人はいやせんが、ネズミさんのご紹介ですからね。大事にさせていただきますよ」
オーナーはネズミの手を握り、メインクーンにはウィンクして見せる。
正直二度と見たくないウィンクだとメインクーンは思った。
「よろしくな」と言葉を残し、ネズミは帰っていった。
オーナーはゆっくりと自分の席へ戻り、大きく息をつきながら椅子に深々と腰掛ける。
「ふう。……で?」
それまでの愛想笑いからオーナーの態度があからさまに変わる。
机の上にある小箱から紙タバコを取り出すと口に咥え火をつける。
箱には<V>とだけ小さく刻印がされているが、メインクーンには銘柄までの知識はなかった。
「一応過去に少しだけ、ほんの少しだけだ、ネズミには世話になった手前、渋々預かってやるんだが、お前なにができるんだ?」
「何って?」
「うちはキャスト……女のことだが、キャストが隣に座り客に気持ちよくなっていただく店だ。そういうテクを心得てるかって聞いてんだ」
前回は奥の個室へまっすぐ通されたため、この店がどういう店かまで気に止めてなかった。
単なる酒場と思っていたが、だいぶいかがわしい店だったようだ。
「なになにい? 新人?」
そこへメインクーンと同じ、派手なメイド服を着た女が数人入室してきた。
そろいもそろって美しくいかがわしい。
一気に室内に化粧の匂いが充満する。
鼻のきくメインクーンはわずかに顔をしかめる。
「あらあら、また結構なチンチクリンが入ったのね」
「どうせすぐに辞めちゃうんじゃない?」
「そうねぇ、色気も感じないしぃ、客もとれそうにないわねぇ」
「だいたい亜人じゃん。需要あるの?」
「それ以前にそもそもこの娘、どこにもおっぱいないじゃなぁい! 無理っしょ」
「ほんとだ! アハハハ」
ムカッ!
最後の一言にはさすがにムカっ腹がたった。
確かにレッキスやクルペオ程にたわわではないが、ミナミとはいい勝負をしている。
けっして平均より劣るというわけではない。と思っている。
そんなメインクーンの怒りも知らず、室内はオーナーと詰めかけた女たちによる馬鹿笑いでやかましい。
「そういうわけだ。どこで拾われたメスネコかは知らねえが、不味い飯でも食いたきゃ精一杯オレらのために働きやが……」
偉そうにふんぞり返っていたオーナーが突然口を閉ざす。
訝しんだ女たちがオーナーを見るとプルプルと震えながら微動だにしない。
それだけでなく、どこか苦しいのだろうか。頬を一筋の汗が流れ落ちる。
「ど、どうしたのさオーナ……ッ」
異変は女たちにも訪れた。
なぜオーナーが震えているのか理解した。
動けないのだ。
指一本、口を開くこともできない。
女たちは訳がわからずパニックを起こしそうになる。
ス、と静かにメインクーンがオーナーの背後に立つ。
彼にはメインクーンの表情が見えないが、女たちには見える。
その顔に一切の憐憫の情が見えない。
逆らえば躊躇なく……
メインクーンだけは動けるということは、この怪異を生み出した張本人が彼女なのであろう。
鋭い爪をオーナーの喉に当て、静かに囁く。
「あのさ、ひとつ言っておくけど。私この店に居つくつもりはないし、こんなちんけな場所でお山の大将気取るつもりもさらさらないの」
オーナーが口に咥えたタバコの灰が長くなる。
「理由あって暫くここに出入りするけどさ、それをあんたらに教えてやるつもりはないし、邪魔をされるつもりもないの」
ついに灰がオーナーの太腿に落ちる。
熱さに呻くが声も出ない。
「理解した? したなら首を縦に振りな。動くでしょ」
こくんこくんと首を振る。
それで満足したのかメインクーンが腕を振ると全員自由な体を取り戻した。
彼女の操る不可視の糸は、複数の人間を拘束することもできる。
いや、できるようになったのだ。
先日のグランド・ケイマンとの戦いが彼女のレベルアップに繋がった。
留飲を下げて満足気に部屋を出ていこうとするメインクーンだが、ふと何かを思い付き振りかえる。
「そうだオーナー」
先程までより声が明るくなっているのだが誰もそれに気付けない。
「ま、まだなにかあんのかよ……ですか?」
「私の給料だけどね、ここに居る誰よりもたっくさん頂戴よね」
そう言ってにゃあにゃあと笑いながら部屋を出ていった。
すでに誰も咎める勇気などなく、これ以降メインクーンは嬢王と呼ばれ、この店のトップに君臨するのであった。




