186 拳法家vs達人
目の前の酔っぱらいトカゲが襲い掛かってきた。
どうする?
戦う?
戦闘に恐怖はない。負ける気もしない。けど決して楽な相手とも思えない。
下手に長引いたらあとあと面倒なことにもなりかねない。
野次馬や衛兵が集まってきたら大事だ。
逃げる?
スピードには自信がある。酔っ払い相手なら撒くこともできる。けど土地勘がない。
仲間はこの路地の奥にいる。結局後でここに戻ってこなければならない。
その時待ち伏せされたらどうする。
説得する?
単なる衝動的な通り魔かもしれない。それなら思い止まらせればいい。
けどもし〈箱〉を狙ってきた奴だとしたら。
まずはそれを確かめるべきなんよ。
ジリ、ジリと間合いを広げながら、レッキスは油断なく相手の動きを観察していた。
「ッ!」
内心で舌を巻く。
さっきまで単なる酔っ払いだと思っていたこのトカゲが、剣を抜いた途端一分の隙も見せない達人に思えてしまったのだ。
(どういうことなんよ? この爺さん一体何者なんよ)
「お、おどろくんよ……いきなり斬りかかってくるなんて。なんかの間違いなんよね?」
なるべく動揺を隠しながら相手を伺う。
「間違いかもしれんな。確証はない。じゃが、お前さんがわしのターゲットでなかったとしても、どうでもいい」
「え……」
「お前さんの血と胆汁が欲しくなっちまったんじゃよ。カカカ」
狂ってるんよ。
レッキスは理解した。
このトカゲはシャマンを尾行していた。
あきらかに誰かに依頼されて〈箱〉を狙ってきたに違いない。
そして撒かれたのか、自分もその一味だと辺りを付けて襲い掛かってきたのだ。
もはや言い逃れする段階ではない。
戦うか、逃げるかだ。
「私を殺したら、目的の物は手に入らないんじゃないかな」
「物? なんのことじゃ」
「ち、ちがうの?」
ケイマンの顔に笑顔が張り付く。
「悠長な小娘じゃな。わしに与えられた指令は、殺せ、じゃ」
再びケイマンの刀が急接近する。
右!
瞬時に鉤爪を嵌めた右腕を上げてガードする。
ガギィィン!
乾いた衝突音がこだまする。レッキスの体が左に泳ぐ。
もう一発、ケイマンの刀が振るわれる。
レッキスは反発せずに大きく左に跳んで間合いを開ける。
体勢を立て直しケイマンを睨みつける。
「ッ!」
ケイマンはすでに構えをとっていた。
半身となりて右足をひき、剣先を後方下段に置いている。
脇構え。刀の間合いがレッキスからは完全に見えなくなっている。
さらに夕日を背にしている。
顔が陰となり、目線も表情も見えにくい。
(マズイんよ)
両手を上げてガードする。
こちらからは攻めない。回避に専念し時間を稼ぐ。
そのうちシャマンとメインクーンが戻ってくる。
最悪野次馬が集まってくれてもいい。
その場合は逃げに徹する。
「攻撃の意志がない者に勝利はあり得ん。無論、生き残る確率もな」
剣閃ッ!
連撃ッ! 連撃ッ! 連撃ッ!
怒涛の斬列ッ!
レッキスは頭が混乱していた。
右から上から前から下から。
ケイマンの斬撃をしのぎ続けていることが奇跡と思えてならない。
両腕の手甲で防ぐ。跳んでかわす。退いて避ける。
視界の端に光る刃を認知する。
考えるより先に体が反応する。
行ける。
しのげる。
「そう思ってるじゃろう?」
「え?」
リズムを狂わされた。
知らぬ間に一定のリズムで攻撃を受けていた。
それがケイマンの狙いだと気付く事も出来なかった。
貫通
レッキスの足元に、ぽたぽたと赤い血がこぼれる。
両腕で頭部をガードした姿勢のレッキスだが、下腹部にケイマンの差し出した刀が深々と突き刺さっている。
「あ、う……」
刀がするりとその身から抜ける。
「ふむ。まずはひとり」
ドシャアッ
血だまりの中へ、レッキスは倒れ込んだ。
2025年9月28日 挿絵を挿入しました。




