166 王の月八日〈決闘の間〉
部屋全体が血臭に包まれていた。
〈決闘の間〉と呼ばれるその部屋は真っ白い大理石で囲われていた。
壁や床、いたる所に血の跡がこびりついている。
「かつては宮殿前の広場で決闘を催しておりましたが、サチ様のたっての希望で宮殿内に拵えましたのよ」
建物内だが広さもある。
ほぼ真四角で、周囲には高い壁の上から見下ろすように客席がぐるりと囲んでいる。
サチとアユミを除く全員がその客席にいる。
サチとアユミの二人だけが決闘の舞台に立たされる。
アユミが足を踏み入れると、背後で重たい扉が閉ざされた。
不安気に周囲を見てみる。
エルフの女王ト=モは周囲を〈戦闘怪人〉に取り囲まれながら客席にいた。
そしてその対面、反対側の客席に妖精女王ティターニアが座っていた。
それだけではない。
客席を埋めるように、異形の戦闘怪人、美しい宮殿の召使たちが多くひしめいている。
その誰もがこれから始まる決闘に期待を寄せていた。
ただの決闘ではない。
姫神対姫神の決闘なのだ。
「ほんとに、戦うの?」
アユミが正面のサチに問いかける。
「あたしたち、この世界に来たくて来たわけじゃないでしょう? 化け物みたいな力まで持たされて、しかも殺し合えだなんて」
「そんなことは関係ない。ユカとメグは私の大事な友達だ。絶対に守る」
「え?」
アユミがサチの発言を理解できぬまま、サチは決闘の狼煙を上げてしまう。
「いくぞ! 転身姫神! 〈九頭竜婦〉」
サチの持つ神器〈星の海〉が青く輝く。
同時にサチの体も輝きだす。
そして水がはね、周囲にキラキラと光る水滴を滴らせながら、姫神〈藍姫〉がそこに立っていた。
その姿はうら若き戦乙女かのよう。
青い輝石の輝くサークレット、肩から胸、腰のラインを強調する青い鎧、深海の砂を思わせる真っ白い腰巻に、足首から太ももまでを、幾本もの海蛇がまとわりついたかのような青いベルト。
そして手には長大な青い薙刀、神器〈星の海〉。
「……」
「転身しないの?」
立ち尽くすアユミにサチが問いかける。
「……」
「そう」
ならば、と構わずサチが仕掛ける。
「テンタクルス!」
サチの右肩から突如ヌメヌメとした太い触手が生え、それは猛烈な勢いでアユミに一直線に向かってきた。
慌てたアユミは右へステップしその触手を避ける。
「んぐっ」
サチが歯を食いしばると、触手がアユミを追うように直角に曲がり追撃してくる。
もう一度、今度は左にかわすと触手はそのまま壁に激突した。
大理石の壁が崩れ落ち、触手は壁に深い穴をあけてしまう。
「んしょ」
サチは右腕に触手を絡めて力いっぱい引く。
ボコッ、と壁から触手が引き抜かれ、のたうち回りながら再びアユミに向かい飛んできた。
「ボムッ!」
アユミが突き出した手のひらから火球が飛び出す。
触手と火球が衝突すると爆発音と黒煙が舞い上がる。
「あち」
今度はサチが慌てて先っちょの焦げた触手を引っ込める。
「転身しなくても火を扱えるんだ」
感心するサチに同意するように、ティターニアも頷く。
「なかなかの戦闘経験を積んでおるようですわね、紅姫は」
「だったら!」
サチは武器を構えるとアユミに突進してきた。
「!」
突きと薙ぎを織り交ぜた連続攻撃を必死にかいくぐる。
だが反撃などしている暇はない。
生身の体には一撃だけで致命傷になりうる。
「火を使う隙など与えない!」
執拗な攻撃に疲弊し、一瞬の隙が生じた。
「とった!」
グレイブの刃がアユミに向かい振り下ろされる。
ギィンッ!
「ッ!」
グレイブの透き通った青い刃は、同じく透き通った赤い刃に防がれていた。
アユミの手の中に赤く透き通った鋭い斧、〈深紅の一撃〉が握られていた。
アユミの窮地に没収されていた荷物袋の中から飛んできたようだ。
見ると先程サチが穿った壁に向こう側が見えるほどの穴が開いている。
「ヤァッ!」
気合を込めてグレイブごとサチを振り払う。
「神器だ!」
「姫神の武器だ!」
「紅姫の斧!」
一斉に観客席にいる者たちがざわつきだす。
「転身しろォ!」
「戦え紅姫ェ!」
「転身ッ! 転身ッ!」
客席にいる者たちは大半が戦闘怪人である。
血と戦いに酔う狂った者たちが声を張り上げアユミを煽りだす。
その怒号が割れんばかりに木霊する中、サチはアユミを見つめ、アユミは助けを乞うかのように周囲を見回す。
だが悲しいことに、今この場にアユミを心から助けてくれる者はいない。
旅の同行者であるト=モと目が合ったが、彼女は何も言わずただじっと見つめて来るばかり。
その目からは何を思っているのか、アユミには到底わからなかった。
「アマン……タイラン……」
アユミは目を閉じ二人の名を口にした。
そして赤い斧を握りしめる。
次に目を開いたとき、先程までとは違う目をしていた。
2025年9月21日 挿絵を挿入しました。




