156 キマイラ
「敵……?」
「そうだ。オレはお前の敵だ」
巨大な鉈を捧げ持った偉丈夫が、ズシン、ズシンと足音を響かせそうなほどの迫力でにじり寄ってくる。
実際には地面は細かい砂に覆われているので、偉丈夫の足音はサク、サクと軽いものでしかない。
その現実にミナミは気づいていない。
何故だか異様な恐怖を覚えていた。
「こ、来ないで!」
大剣を構えたまま、ズアと名乗る偉丈夫に向けて声を発する。
心なしか声が上ずっていることを自覚する。
「どうした? 何を恐れている? お前は無敵の姫神であろう」
口元に笑みをこぼしながらもズアの歩みは止まらない。
「う、う、わあああああああッ」
ミナミから動いた。
振りかぶった大剣〈土飢王貴〉の細かい刃が回転を始める。
チェーンソーのように轟音を奏でながら回転する刃をズアに叩きつける。
「フッ」
笑みをたたえたまま、ズアは巨大な鉈でそれを受け止める。
ズギャァァアアアン!
ズ ガ ガ ガ ガ ガ !
激しい振動が、ぶつかり合う剣からお互いの体を伝わり足元の砂を跳ね上げる。
二人の周囲にいくつもの砂の柱が立ち上り、そして崩れ去る。
弾けるように二人が離れ、距離を空ける。
「次はオレからだ」
一足飛びに間合いを詰めたズアが、上段から大雑把に巨大な鉈を振り下ろす。
「!」
先程のようにミナミも剣で受け止めようと思ったものの、襲い来る得物に我知らず恐怖を覚え、必要以上に後退し身をかわす。
ゴッパァア!
砂の地面を大きく打ち据えた結果、大量の砂が波濤のように巻き上がり、同時に耳をつんざく大音響をこだました。
パラパラと砂が舞い落ちる。
その刺激と大音響で、シャマンたちが目を覚ます。
「う、う~ん」
ミナミの五人の仲間たちが首を振りながらゆっくりと身を起こし始めた。
「なんだ? ここは」
それぞれが状況を理解しようと努める暇はなかった。
ズアは続けてミナミに突進すると今度は鉈を大きく横に振り回した。
「ひやぁ!」
暴風のような一撃をかろうじてかわすミナミだが、鉈は横倒しになった大木に当たり、そしてその大木を大きく吹き飛ばしてしまった。
遠くの砂地に大木が沈む。
その一瞬で仲間たちが跳び起きた。
「な、なんだ!」
「どうなってる?」
「ミナミ! あいつは何?」
ミナミの周りに戦闘態勢を整えた仲間たちが集まる。
「わからない。ここにいたの」
「ここ?」
「ヴァルフィッシュの中、たぶん」
「マジか!」
周囲は砂地で遠くの果ては暗闇に覆われた静寂の地だ。
ここが空を飛ぶ巨大な霊獣〈ヴァルフィッシュ〉の腹の中と言われても、そうたやすく飲み込める話ではないだろう。
「で、あいつは何者だ?」
ウィペットが冷静に問う。
今は場所よりも相手が問題だと言わんばかりに。
「わからないよ。ズアって名乗ったけど」
「ズア、だって!」
シャマンとウィペット、そしてクルペオが驚愕する。
見るとメインクーンとレッキスもその名に心当たりはあるようだった。
「な、なんなの?」
「ズア……〈百獣の蛮神ズア〉。三十年前の亜人戦争を終わらせた英雄だ」
「たった一人で〈ハイランド〉の聖賢王シュテインと〈ワニ族〉の凶獣王サルコスクスを倒した」
「本物? そいつが何でこんなとこにいんのよ?」
「知るかよッ」
一同がひとしきり状況を理解し、そして混乱するのを確認すると、ズアは再び武器を構えた。
「お前たち雑魚に用はない。オレの目的は〈金姫〉だけだ。去ね」
「ミナミ?」
「なんでよ? ミナミに何の用があるってのよ」
何も答えず、ズアはミナミに躍りかかった。
またしても強烈な風圧を発しながら、鉈が振り下ろされる。
巻き上げられる砂!
ミナミはまたしても間一髪避けることができた。
「くそ! ミナミを守れ! 奴を止めろ!」
シャマンの号令に全員が動き出す。
「盾役はオレに任せろ」
ズアの正面に立ったウィペットが構える方形盾が青白く輝きだす。
「〈三の裏護符・戦旗不倒〉! 我が符術で防御力が上がったぞ」
クルペオの援護を受けてウィペットが防御に専念する。
シャマンとレッキスはそれぞれ手斧と棍を構え、ウィペットのすぐ後方に控える。
そして鋼糸を手に巻いたメインクーンが気配を殺しながらズアの背後に移動しようとする。
「だめ! みんな逃げて!」
「もう遅い」
ズアの一撃がウィペットの盾にぶち当たる。
全身に力を込めて踏ん張ろうとするウィペットだが、
亀 裂!
符術で防御力の上がったはずの盾が粉々に砕け散った。
「うおおお」
勢いと衝撃にウィペットの体が吹き飛ばされ、後方に控えたクルペオと衝突する。
「テメー!」
「でやぁ!」
シャマンとレッキスが同時にズアに攻撃を仕掛ける。
鉈を振りぬいた直後のズアに、上からと下からの同時攻撃。
「バカめ」
だがズアは鉈を手放すと右腕を上げてシャマンの手斧をガードし、左腕で突き出されたレッキスの棍をパシッと掴み取ってしまった。
斧をガードした腕には傷一つついていない。
腕を振り、手斧を跳ね飛ばすとその腕でシャマンをぶん殴り、掴んだ棍ごとレッキスを振り回すと、後方に忍び寄っていたメインクーンにレッキスごと叩きつける。
五人とも砂地に膝をつき、立ち上がることも難しい。
各人に対し、わずか一挙動で戦闘力を奪い去ってしまった。
「転身! 姫神ッ!」
〈金色弓尾〉へと変身しながらミナミがズアに斬りかかる。
「それが二つの力を宿す異端の姫神、〈金色弓尾〉か」
口元に歪な笑みを張りつかせながらズアがミナミの大剣を受け止める。
鉈は手放しているため、両腕を交差させて頭上で直接刃を止めていた。
「ギロチン・スラッガァー」
ミナミが叫ぶと神器〈土飢王貴〉の無数の爪状の刃が回転を始める。
ギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリ!
ひきちぎり抉り粉微塵に磨り潰す斬撃。
チェーンソーのように肉を抉る。
さしものズアの皮膚も抉られ血飛沫が舞い上がる。
「〈金色夜叉〉の膂力! このまま逝って! お願いだから!」
「ほう。腕が痛むな。痛みなど、久方ぶりだ」
まるで他人事のような声音に、間近でズアの目の光を見たミナミはゾッとする。
「うああああ! 〈九尾の狐〉! 拡散弓尾!」
ミナミの九つの尻尾が震えると、無数の弾丸が射出され、それらはすぐ目の前にいる標的に集中砲火を浴びせた。
連続 炸 裂 音!
爆発で砂が弾け、巻き上がり、辺りを煙で覆い隠す。
だがミナミには見えていた。
目の前で、全身に血と黒煙をたなびかせながら、仁王立ちする偉丈夫の姿を。
そいつがなおも不敵な笑みをたたえたままである様を。
「さすがにエンメに評価されているだけある。このままではいかんか」
ズアの乱れた長髪が翻る。
「この力を振るうは、実に久方ぶりだ」
とっさにミナミはズアから離れる。
ズアが変身を始めた。
ミナミの見ている目の前で、姿が変容していく。
それはおぞましくも獅子の頭を持ち、両肩に山羊とドラゴンの頭が備わり猛り狂う。
背中にはドラゴンの羽根、伸びた尾は生きた蛇の姿でのたうち回る。
体は数倍に膨れ上がり、牙や爪は鋭く、瞳は燃えるように真っ赤だった。
「ゴハァァ」
「か、怪物……」
「これが、我に与えられた真の姿だ。〈百獣の蛮神〉と謳われたこの力、是非味わっていただこう」
低い、心臓を鷲掴みされそうなほどの暗い声に、ミナミは吐き気を催すほどの恐怖を覚えていた。
2025年9月21日 挿絵を挿入しました。




