153 ヴァルフィッシュ
ミナミが地面を蹴り上げながら大空へと向かい飛び上がったのとほぼ同時に、その場へ憲兵たちがなだれ込んできた。
その最前線にいたのは憲兵たちを束ねる〈正義の鉄槌神ムーダン〉の神官戦士フリッツであった。
フリッツがそこへたどり着いたとき、飛び上がるミナミと一瞬目が合った。
「おのれ!」
フリッツは激怒していた。
確かに目の合ったあの一瞬、ミナミはフリッツに向かい、笑ったのだ。
あれは明らかに嘲笑であった。
フリッツは自身を過少に評価されることを極端に嫌う。
「撃ち落とせ!」
フリッツの怒号が響き渡る。
続々とやってくる憲兵たちが弓に矢をつがえポツポツと撃ち上げる。
しかし上空にはすでに〈浮遊石嵐〉が激しい空気の渦を巻いている。
矢はすべて強風にあおられ一本たりともミナミには届かなかった。
「くそっ!」
フリッツはそばで同じように上空を見つめていたスイフト爺へ歩み寄る。
「貴様! 何故みすみす奴らを行かせたりした」
「ほっ。無茶を言う。そなたを出し抜くような手合いをこの老いぼれが止められるわけなかろう」
「おのれっ」
老人に向かい握りしめた右拳を振り上げたが、ぎりぎりと歯噛みしたままその拳をゆっくりと降ろす。
「貴様の知識は今後とも役に立つ。今回は不問にしてやる」
「……」
「ちっ! 何をぐずぐずしている! 街へ戻るぞ。すぐに追撃隊を組織する」
それ以上スイフト爺の方を見向きもせず、フリッツは〈聖域〉から撤退した。
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超高速で上空を滑空するミナミだが、思ったよりも上手く飛べずにいた。
原因はすぐそばに迫った〈浮遊石嵐〉だった。
強風に加えその周囲を飛翔する多くのジンユイ、そして嵐の中で激突を繰り返す巨大な浮遊石による衝撃。
それらが想像以上にミナミの加速を妨げていた。
「投げた大木は見えているのに!」
確かにミナミの視界の先に仲間がしがみついた大木が飛んでいるのが見える。
そのあまりの剛速球張りのスピードにジンユイたちもひらひらと避けていく様が見える。
ズズン
その時ミナミの目の前に巨大な浮遊石が顔を出した。
〈浮遊石嵐〉の中で衝突を繰り返し、嵐の外まではじき出されたのだ。
「んっ!!」
飛びながらミナミは大剣を振るい、巨岩を粉砕する。
飛び散った岩の破片を足場にし、駆け抜けるように助走をつけると再び空中で加速する。
「今ので大木を見失っちゃった」
一瞬焦ったミナミだが、すぐに風を切る音を聞き、自分に飛来する一本の矢に気が付いた。
「!」
正面から飛んできた矢を空中でキャッチする。
すぐに気が付いた。
その矢にはとても細くて丈夫な鋼糸が繋がっている。
「メインクーン!」
〈猫耳族〉の盗賊少女が放った矢を掴んだミナミは、体が強い力で引っ張られるのを感じた。
大木の枝葉に身を預けながら、シャマンとウィペットが必死に矢に繋がった鋼糸を手繰り寄せてくれていた。
「みんな!」
ほどなくしてミナミは大木にたどり着き、仲間との再会を果たせた。
「はあはあ、ミナミ、お前結構重たいんだな」
「同感だ」
「ちーがーう! 風のせいだよ」
ゴウゴウと逆巻く風がやかましい。
お互い大声を出さないとまるで聞こえない。
「それで、これからどうする?」
「え?」
「え? じゃなくてよ。これからどうやって着地すんだ? もう森は抜けたぞ」
たしかに。
眼下はすでに砂漠が広がっている。
人家もなく、無人の緑砂の世界だ。
「このままじゃあ墜落するぞ」
「え、と」
「あん?」
「ごめん」
「はぁ?」
「着地まで、考えてなかった」
「なぁにぃ!?」
徐々にスピードが落ちてきた。
それに伴い高度も下がってきたようだ。
「ど、ど、ど、ど、どうしよう」
「おめーが一番慌てんじゃねえミナミ」
「そうよ! 最悪あんただけは無事で済むでしょうよ」
「そーいうわけには……」
おろおろと周囲に首を巡らすミナミ。
そのうち視線がメインクーンの上で止まった。
「あ」
「なんニャ?」
「糸」
「ん?」
「メインクーンの糸でジンユイを複数捕まえて、この大木を吊り下げたまま飛ばすとか」
見ると多少嵐から距離が開いたものの、無数のジンユイはメインクーンの矢の射程圏内に羽ばたいている。
「くそ! それっきゃねえか。やれるな? メインクーン」
「はいニャ」
一息に二本の矢を放つ。
その二本ともが一匹のジンユイに命中する。
「手繰り寄せろ!」
シャマンとウィペットが先ほどミナミにしたように糸を引きジンユイを引き寄せる。
続けざまに別のジンユイに矢が命中する。それをミナミは一人で手繰り寄せる。
「糸を、枝に結ぶんだ」
なんとか重い糸を引っ張り、枝に括り付けていく。
ジンユイを狩るのに使用する特殊な鋼糸だからできることだ。
それでも大木と一行の重量、強風による抵抗でわずかな軋みを上げている。
同様の手順を根気よく繰り返し、四匹のジンユイを括り付けることができた。
「よし、これなら落ちるにしてもある程度ゆっくり高度が下がることだろう」
「ちょっとまって!」
メインクーンが声を上げる。
全員イやな予感がした。
この猫が制止の声を上げる時、それは決まって緊急事態が起きた時なのだ。
「な、なんだ? メインクーン」
メインクーンが凝視しているのは〈浮遊石嵐〉の中であった。
相変わらずすさまじい衝突音だけが響いてくる暗黒の世界だ。
全員がその嵐を凝視する。
そのうちメインクーンが何を心配しているのか、言われずとも理解した。
「おい、あれって」
「そうね」
「だんだんデカくなってねえか?」
「それってつまり」
「ああ、そのようだ」
「こっちに向かってきてるんだ!」
ドバァッ!
嵐の強風の壁を突き抜けて、中から現れたのは巨大な巨大な甲殻魚。
「ヴァルフィッシュだ!」
ジンユイなどとは比較にならない。体長は優に三十メートルを超す。
神の化身。神聖なる砂海の守護霊獣。〈浮遊石嵐〉の主。
様々に呼びならわされ、砂海の住人に崇め奉られている存在。
その霊獣が大きく口を開け、そして一行を大木ごと、パクリと。
飲み込んでしまった。




