134 支配の宮殿
途中でサチ、ユカ、メグミの三人を追うのを止めた異形の三匹は、悠々と自身たちの本拠地へと帰還してきた。
アーカム大魔境の中心、妖精女王ティターニアの居城、〈支配の宮殿〉。
そこは赤土の断崖をくり抜いて作られた、まるで神殿のような豪奢な居城を中心とした集落であった。
居城の周囲には広く木の柵や土壁が張り巡らされ、土を塗り固めた建物が、居城前広場を囲うように密集していた。
その広場に多くの群衆が集っていた。
群衆の大半は三匹と同様、体の一部、あるいは大部分が何らかの生物の部位を思わせる特徴を持つ「異形」である。
その群衆から帰還した三匹の姿を見るや、一斉に罵詈雑言のヤジが飛び出した。
「リベレ! ケーファ! ホイシュレッケ!! テメェら手ぶらで帰ってんじゃねえぞ」
「お姫はどこだ!? 食っちまったのか」
「食ったのか? それでも〈戦闘怪人〉の称号持ちかよ! おい蜻蛉! 甲虫! 蟷螂」
「お姫じゃねえだろ? お神だよな! なぁ、返事しろって」
「姫神だ! ギャンギャンやかましい! テメーらそんなに頭ァ悪ィから直々に命令も頂けねえんだよ! 気づけ!」
両腕鎌の男、ホイシュレッケがこめかみに青筋を立てながら怒鳴り返す。
「構うなホイシュ。とっとと宮殿へ行くぞ」
頭に黒い一本角を生やしたケーファに急かされ、三匹は断崖にそびえる宮殿へと入った。
中は表の喧騒とは打って変わり静寂に包まれていた。
意外にも宮殿内は清潔に保たれており、掃除が行き届いているだけでなく、立派な調度品や美術品の数々が見た者を圧倒してくる。
「はぁ。相変わらず立派なもんだなぁ」
「オレたちのように異形な戦闘員は滅多に入場が許されんからな」
「ティターニア様は美しい物好きだからなぁ」
宮中には見目麗しいものしかいられない。
その結果、女が大半を占めることとなった。
衛兵も、侍従も、小間使いから料理人、果ては拷問吏に至るまでを女が占める。
異形の女もいればそうでない女もいる。
亜人もいれば人間もいる。
ここには世界各地から流れ着いた、様々な人種がいた。
この地での約束事は一つ。
強く美しいものが支配する。
露出の多い鎧をまとった女兵士に先導され、三匹はティターニアの御前に控えた。
ここはティターニアの謁見の間。
百人は優に入れる広間で、壁や柱はすべて青い大理石でできている。
濃淡の青が波打つ模様のこの広間を見ていると、表の赤土の世界から、深海の底へと迷い込んだかのような錯覚を覚える。
正面に幾重にも重ねられた天鵞絨に囲われた玉座がある。
その奥から一人の女性が現れた。
赤紫色をした長い髪を複雑に編み込んだ髪型。
白い肌、赤い紅、目元を覆う赤いバタフライマスク。
そして見る角度によって緑や黄色に変わって見える煌びやかなドレス。
体を強く締め付けるかのようにボディーラインを強調しており、艶めかしい。
だがそれ以上に目を引くのが羽。
ティターニアの背中から大きく蝶の羽が広がっている。
その模様は幾何学的で美しく、筆舌に尽くしがたい。
美を愛でる妖精女王にこそふさわしい羽といえた。
その女王が腰を落ち着ける。
流れるようなその動きまで美しい。
現れてから着座するまで、広間にいた者はみな目をくぎ付けにされ、息をするのも忘れるほどに。
そしてその美しい口元から蕩けるような音色が奏でられる。
「そちたちの任務は姫神を連れてくることであったよな。はて、わらわにはその姿が見えぬようだ」
「三人いた」
皆が固唾を飲んで見守る中、ホイシュレッケは臆することなく口を開いた。
「新世界の道標となりうる戦神〈姫神〉。そいつを拿捕するにはオレたち〈戦闘怪人〉三人がかりでも手を焼くとか言ったよな」
「ホイシュ、もう少し言い方」
「うっせぇケーファ。曖昧な命令で無駄死にすんの、オレはごめんだっつってんだ」
広間に居合わせた者たちは冷や汗をかいている。
妖精女王に対してなんという無礼な物言いであろうか。
「三人……それはまた、例外中の例外であるな」
周囲がホッと胸をなでおろした。
女王の声色に一切の怒気を感じなかったからだ。
「それで、お前たちはその三人と交戦したのかいな?」
「いいや、逃げ出したから追いかけた」
「あの娘ら、不可思議なアイテムを使いこなしていた。未知の戦力に深追いは禁物だと、追跡をいったん取りやめた」
「オレたちにはどいつが姫神か、もしくは全員そうなのか、わからなかったしな」
「だが、手ぶらで戻ったわけではない」
あまり口を開かないリベレが最後にしゃべると女王の前に何かを置いた。
「娘の一人が落としていったものだ。中に見たことのないアイテムが詰まっている」
「ほう」
女王の手招きで幾人かの衛兵が置かれた荷物の中身を取り出し並べ始める。
「姫神は数百年に一度、異世界からたった七人だけ現れるレアな存在である。それがこの地だけで三人も現れるとは考えにくい」
「では女王は三人のうち一人だけが姫神だとお考えか」
「自然に考えるならそうであろう。無関係な者までやってくるとはついぞ聞いたことないがの」
並んだアイテムを眺めてみる。
一同には未知のものばかりだが、遠い日本の現代人からすればありふれた物ばかりだ。
財布に化粧ポーチ、飲料水の入ったペットボトルにティッシュやお菓子。イヤホンと充電器。それにペンケースとノートに教科書が数冊。
「このポーチの中身は化粧品のようです。あまり高価な物には見えませんが」
「このヒモ類はなんでしょう。絞殺紐のような暗器でしょうか」
「異世界の通貨。これは財布のようですね。他には……」
衛兵たちの見聞を聞いていた女王は数冊の教科書に目を止めた。
「その本を見せておくれや」
衛兵に差し出された教科書を開いてみる。
「ティターニア様はその本が読めるのですか。オレたちにはさっぱりだったが」
「読めぬよ」
「は?」
「わらわにも読めぬよ。だが学ぶことはできよう。どうやらこの本は異世界の歴史について書かれておるようだ」
そう言ってティターニアは教科書を読みこみ始めた。
邪魔をしていいわけもなく、一同は所在無げに佇むほかない。
それを察したのか女王が新たな命令を発する。
「明日、姫神を迎えに行く。わらわに同行するため〈戦闘怪人〉は明日に備えよ」
「ティターニア様もおいでか?」
「楽しみじゃな」
謁見はそれまでとなった。
女王は退室し、三匹も宮殿を後にした。
「リベレ。お前の配下を使って娘らの居場所を探しておけよ」
「そうだな。ティターニア様にこのアーカム中を歩き回らせるわけにはいかんからな」
「承知」
「しっかし、姫神ねえ……そんなもん捕まえて、どうするつもりなんかねえ」
「このアーカムの魔境一帯だけでは不服なのであろう。北のエスメラルダはともかく、そのさらに北方のハイランドは豊かな土地と聞く」
「戦争する気か。三十年前の亜人戦争はこのアーカムはほとんど噛んでないからな。戦争してえんかな」
「オレたち〈戦闘怪人〉はそのためにいる」
「そうだな……ん~、ついに戦争が始まるか~」
ホイシュレッケはコキコキと首を鳴らし寝床へと歩き出した。




