127 制圧。それぞれの朝
夜が明けた。
たった一晩でマラガの街は壊滅した。
街中を無数のうごめく死体が徘徊し、丘の上の上流街はくすぶる炎と瓦礫の山が散乱している。
運よく朝まで生き延びた人々も、死体ではない生あるトカゲの兵士たちにより、監視下に置かれることとなった。
朝陽の昇る光景を眺めながら、商会議場のテラスで力なくうなだれるホンド、ゴンズイ、シーズー、そしてウサンバラの元にも、敵の手はやってきた。
「ここにお集まりは、この自由都市マラガを治めし偉大なる五商星の方々とお見受けするが。相違ござらぬな」
武装したトカゲ兵を引き連れたマラカイトが、声高に叫びながら現れた。
ホンド、ゴンズイ、シーズーの三人は黙って首肯するのみである。
が、ウサンバラは違った。
マラカイトが目の前に現れたと同時にその姿を消したのである。
変色竜族のウサンバラはその体色を周囲に同化させ、身を隠すことができるのである。
「ふむ。お三方、抵抗は無用と心得られよ。服従すれば命の保障はしよう」
抵抗する意志など見せない三人は、ウサンバラが数に含まれていないことにすら、気づけずにいた。
「それでよい。今よりこのマラガは我らトカゲ族の占領地とする」
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「レイ、……レイ。……起きなさい。ここで寝ていては風邪をひくわ」
秋の深まる時季、朝方に吹く風は心地よくもいくぶん肌寒い。
爆発に巻き込まれなかった建物の屋根で、アマンを抱きながら微睡んでいたレイは、その身を優しく揺り起こされて、目を覚ました。
そこにはあの恐ろしき黒革の魔女オーヤがいた。
長い金髪が顔の右半面を覆い隠し、まとった黒いマントで右半身も覆っている。
顔は蒼白で、脂汗を幾筋も流しているようだ。
「もう大丈夫よ。けど、今は棺に戻りましょう。私も……」
魔女のセリフの途中でサァッと一陣の風が舞った。
金髪に隠れた顔の右半面があらわになる。
その顔はひどい火傷を負っていた。
はためいたマントの下も同様、魔女の右半身は焼けただれ、ところどころが炭化していた。
しかしその姿を目の当たりにしてもレイは動じなかった。
顔色一つ変えない。
「フフ……。私もダメージを負ってしまったわ。しばらく癒しに専念したいのよ。さあ、行きましょう」
レイはおとなしく、魔女の長い金髪にくるまれると、再びアマンを胸に抱きながら目を閉じ眠りに落ちた。
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ひっそりと、一隻の帆船が港を出港する。
街の混乱をよそに、その船の船員はみな静かに己の仕事に従事している。
運よく、その出港を見送る者たちがいなかった。
船は逃げるように湾外へと駆け抜けていく。
遠ざかる街の無残な光景。
甲板でそれを眺めるヒガ・エンジのそばに犬狼族の老執事ブリアードが控える。
「なんとか出港できました。ヒガ様、もう大丈夫でしょう」
「ええ」
「しかし、盗賊ギルドの襲撃どころの話ではなくなりましたな。あの死者の群れ、今も身の毛がよだちます」
「そうね」
「そしてあのドラゴン……アユミ様と関係があるのでしょうか」
ヒガから答えは返ってこない。
「ヒガ様。これからどうなさいます」
「〈ハイランド〉を経由して、〈エスメラルダ〉へ入ります」
「娘たちを送り届けるのですね」
ブリアードが船室へと続く扉を見やる。
船内にはエスメラルダからさらわれてきた娘たちがいる。
「今、エスメラルダは〈銀姫〉という姫神が、騎士団を指揮しているそうよ」
「そのようですな」
「死者の群れ……巨大なドラゴン……銀姫にはなにがあるのでしょう」
「ヒガ様?」
ヒガは一葉の写真を取り出し眺めていた。
二人の少女が並んではにかんでいる。
そこには今より数年若いヒガと、真新しいサキュラ司教の礼服に身を包んだハナイがいた。
「……会いたい…………」
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ドラゴンが現れたと思しき場所へ、兵を引き連れたボイドモリがやってきた。
そこは丘の上の上流街。
五商星の一人、ヒガ・エンジの屋敷跡であった。
その周辺は最も多くの死体と瓦礫が散乱している。
「あのドラゴン、あれのせいでオレたちにも想定以上の被害が出た。なんだったんだあれは」
ボイドモリたちの予定では、ゾンビーの群れをけしかけて静かに街を制圧するはずであった。
だが突如現れた巨大なドラゴンにより、街の半分は瓦礫と化し、トカゲの兵やゾンビーにも被害が出た。
ボイドモリの中でドラゴンと言えば、数ヵ月前のカザロ村で遭遇した〈紅姫〉が思い出される。
「まさかな……あれも姫神だったのか」
「ボイドモリ様」
そこへ部下が生存者の報告を持ってきた。
「トカゲ族?」
「はっ。おそらく屋敷の裏庭にあたる場所かと思われます。地下へ続く通路があったようですが、崩落したその中でトカゲ族と猫耳族の生存者を発見しました」
ボイドモリが案内されてきてみると、数メートル下がった穴の中で倒れている二人を確認した。
トカゲ族の方は意識が回復しているようだ。
だが猫耳族の女を抱えたままで立ち上がれないようである。
「あん? 貴様……コモド、か」
「ボイドモリ……なのか」
「久しいな。生きて……いるようだな」
「なんとかな……十年振りか? お前はうまく出世したみたいだな。オレ様と違い、モロク王に気に入られていたからな……」
「……」
穴の底から見上げるボイドモリの表情は、影となって見えない。
そのボイドモリの隣に二つの影が並んだ。
一つは見知っている。もう一つは見覚えがある。
「おお、バーナードか。お前も生きてたのか? それに、そのお姿は、モロク王」
普段の粗野なコモドから一変し、痛む体を起こしながら言上を垂れる。
「このコモド、あなた様に放逐され、今や卑しき盗賊の身。この通り、生き恥をさらしておりますわ」
二つの影は答えない。いや、生気すら感じられない。
コモドの中で違和感が生じる。
沈黙を破ったのはボイドモリであった。
「コモド。お前も来い。モロク王の悲願を、我らの手で成就するために。協力するなら生かしてやる」
「な……」
「どうする?」
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街を見下ろせる丘の上で、赤と黒のゴシックなドレスをまとったツインテールの男がいた。
一見すると人間族の美少女にしか見えないが、彼は盗賊ギルドの幹部、亡国の王子と噂されるチェルシーであった。
周囲には彼の部下が数人控えている。
種族はいろいろだが、全員女である。
その彼の元に一台の馬車がたどり着いた。
「チェルシー様、ご無事でしたか」
「ええ。例の者は?」
「荷台に積んでおりやす。いやあ、昨夜街の方が騒がしかったようで、このまま届けていいものか悩みましたがね」
チェルシーは荷台の上の木箱を開ける。
「マラガの街はおしまいです。トカゲ族と死者の群れに占領されては、もう娼館経営も無駄でしょう」
「はあ」
「この者を娼婦としたら、さぞ面白いと思ったのですが、致し方ありません」
チェルシーの開けた木箱の中で、一人の女が眠っていた。
小柄な体にグレーのワンピースと黒のライダースジャケットを着ている。
明るい茶髪をポニーテールに結わえ、蝙蝠が羽を広げたような形のマスクで目元を覆っている。
「姫神〈桃姫〉。さて、この女をどう利用してやるべきか……」




