107 魔剣対剣術
「ガルルッッッ」
獣の唸る声が耳に届く。
バーナードが左手に持つ魔剣ヘルハウンドは、刀身が獰猛な猟犬に変化しアマンの右手のだんびらを強く咥え込んでいた。
とても抗えない強い力で体が引っ張られる。
その崩れた体勢にもう一本の魔剣が襲い掛かった。
魔剣ケルベロス。
恐ろしいことにこちらは刀身が三つに分かれ、三つ首の猟犬に変貌していた。
上、右、左。
三方から同時に凶暴な牙がアマンに迫った。
両手のだんびらのうち、右の一本はすでに咥え込まれている。
左手に持つだんびらで防げる牙はどれかひとつだけだ。
「選べ、アマン! だが勝敗は決した。より優れた剣の使い手はオレだッ」
バーナードの勝利宣言を他所に、アマンは意を決した。
咥え込まれた右のだんびらを手放して、残った方を両手で掴むと右から襲い来る猟犬の首を叩き落す。
同時に足をたわませ思い切り跳びあがった。
アマンは勝利を確信し油断したバーナードの下顎に強烈な頭突きをお見舞いした。
「ぐふぉ!」
舌を噛み千切るまでは免れたが、口内を派手に切ったバーナードはたまらず鮮血を吐き出した。
着地するやアマンは間髪入れずにバーナードへと距離を詰める。
懐深くに飛び込むとすり抜けざまに右の脇腹を斬りつけた。
「くッ」
血の滴る脇腹を抑えたバーナードだったが、すぐにもアマンは目前に迫りだんびらを振り下ろしていた。
「おのれちょこまかと!」
膝を着きながらも魔剣ヘルハウンドを突き出すと、獰猛な牙を生やした歯列がアマンの右上腕部へ食らいついた。
「イってぇなッ」
それでもアマンは冷静に、腕に噛み付いた猟犬の脳天をだんびらの柄頭で殴りつけた。
ドゴッ、という鈍く重い音がして、魔剣は犬らしい悲鳴を上げながらアマンの腕に食い込んだ牙を放す。
アマンはそこで止まらずに、今度はバーナードの左手首にだんびらを打ち付けた。
衝撃としびれにバーナードがヘルハウンドを落とす。
続けてアマンの返す刀をバーナードは右手のケルベロスで受け止めた。
「ちっ」
「ぐぬ」
一旦両者の動きが止まり、やがて激しい鍔迫り合いが始まった。
どちらも一歩も退かず、相手を押し返そうと躍起になる。
力むことで双方の傷口から血が吹き出した。
激しい形相でアマンを睨みつけるバーナードであったが、対してアマンは冷静だった。
戦いながらアマンは思い出していたのだ。
それはまだ、カエル族が平穏に暮らしていた時のこと。
数年、いや数ヶ月程度前のことだったか。
「だめだだめだ! くっそぉウシツノの旦那、その怪力は反則だぜ」
その日もアマンは長老の息子ウシツノと剣の稽古に励んでいた。
亜人戦争と呼ばれた三十年前の大戦における英雄のひとり、カエル族の長老、大クラン・ウェルの息子であるウシツノは、カエル族としては恵まれた体格の持ち主であった。
水虎将軍として名を馳せた長老の後を継ぐためにも、日夜、剣の稽古に抜かりはなく、間違いなく才能もあった。
そのウシツノに村で張り合える若者といえばアマンしかいなかった。
並外れた身体能力と敏捷性、さらに克己心と狡賢さを備えたアマンであったが、それでもこと剣術に関しては一度もウシツノには勝てずにいた。
「そりゃあおめえ、馬鹿力だけが取り柄のウシツノに、正面から斬りあったって無駄だろうよ」
二人の稽古を見ていた長老がお茶をすすりながらダメ出しをする。
「なんだよ、長老はウシツノが勝ってるからうれしいんだろ」
「んなわけあるかよ。このバカ息子は村では負けねえもんだからって自分は強いと勘違いしてやがる」
「親父……オレは別に……」
「まあ聞け。いいか、オレらカエル族ってのはな、他の種族に比べたら非力なんだ」
「非力?」
「親父が言うか?」
英雄大クランは他のカエル族の優に三倍は体がデカい。
あの戦闘狂の多いならず者国家、トカゲ族の英雄、モロク王と並んでも遜色ないほどである。
「いいから聞けって。剣術ってのはな、力の強い者が必ずしも勝つってもんじゃあねえ」
「じゃあどんな奴が勝つんだよ?」
「決まってんだろ? 技術を磨いたもんだよ」
「だからこうやって稽古してんじゃねえか」
「闇雲にやったって無駄だっつってんだ。自分の特性を活かす稽古をしろ」
「特性? カエル族の特性って?」
「決まってんだろ。この美脚よ!」
「はぁ?」
長老は着物の裾をまくり上げて筋肉の張った足を披露した。
アマンは大地を強く踏みしめると、天高くへと跳び上がった。
そしてバーナードの背後に降り立つと、すぐさま反転して再び跳躍する。
今度はまっすぐ、敵の懐にめがけて素早く。
バーナードが身構えるよりも早く間合いに踏み込んだアマンは、駆け抜けざまに相手の右太ももを斬りつけた。
「接近! 誰にも負けねえ跳躍力を活かして間合いに飛び込む」
駆け抜けたアマンは方向転換すると今度は跳び上がり頭上からだんびらを振り下ろす。
右足に傷を負ったバーナードが一瞬膝を折ったのを見逃さない。
「今度は上かッ」
魔剣ケルベロスの首が上へと向いた。
アマンは振り下ろしただんびらを防がれるとケルベロスの横っ面を踏み台にして真横に跳んだ。
着地するや今度は跳ばずに一直線に走って間合いに飛び込む。
「展開! 戦域を広げろ! 相手に先を読ませるな!」
バーナードの懐に飛び込むごとにアマンのだんびらが赤く染まっていく。
縦横無尽に駆け回り、同じ軌道の斬撃をしない。
「そして連続! 一撃で決めようとは思うな! だが次はない、この一戦でケリをつけろ!」
強風が吹きすさぶ。
アユミが最初に放った炎の壁も吹き散らされていく。
炎が風に乗り、アマンは風になっていた。
「接近、展開、連続。それが小柄なカエル族が勝つための極意だ」
大クランの言葉が思い出される。
必殺の横薙ぎがバーナードに迫った。
「ガマ流刀殺法! 風林火斬ッ」
見えなかった。
バーナードはアマンの剣閃を見ることができず、気が付いたときには右手で自分の首筋を抑えていた。
どくどくと血が溢れてくる。
斬られてから気が付いた。
それほどに速い剣であった。
着地したアマンがくずおれるバーナードを一瞥する。
「さっき、より優れた剣の使い手は自分だって、言ったよな?」
アマンの声にバーナードは目を上げる。
「お前は魔剣を振るっていただけだ。剣術も、心も、何も磨いてこなかった。だからオレが勝った」
ドサッ……。
魔剣士、聖バーナードは、何も言えずに倒れ伏した。




