104 炎使い
「ネダ、何してるの?」
夜中に部屋を抜け出し、屋敷の庭を横切っていくネダを不審に思い、アユミは彼女を追いかけてきたのだ。
庭の外壁まで来たネダがおもむろに、信号弾らしき光を打ち上げたのでアユミは声をかけた。
その声に振り向いたネダの顔は先ほどまでの可憐な少女の面影を一切なくしていた。
「ネダ? な、なにをしてるの? まるで……」
ネダの打ち上げた光が合図であったのか。
突如屋敷の周囲を囲む高い石壁の上からいくつもの影が姿を現した。
「まるで、何かを始める合図みたい、だったかしら?」
明らかに悪意に満ちたネダの声音にアユミは息をのんだ。
ネダの周囲に壁を乗り越えた影が次々と降り立つ。
「グルグルルゥ……」
その影たちには見覚えがあった。
汚らしくヨダレを口元からこぼしつつ、黄色く突き出た牙を噛み鳴らして威嚇する豚の頭をした獰猛な小鬼たち。
「オ、オーク! それじゃあネダ、あなたは……」
「そうよ、私は盗賊ギルドの一員。蜂女のネダ」
「そんな!」
ネダの豹変ぶりにアユミはたじろいだ。
「あなたたちはギルドを怒らせてしまった。可哀そうだけど、二度と笑顔になれない末路しか残っていないわよ」
ネダのセリフにかぶさるように破壊音がこだました。
外壁が轟音と共に土煙を立てて破壊されたのだ。
その濛々と舞った砂埃を強風がたちまち吹き飛ばす。
崩れた壁を通り抜けて大柄なトカゲ族のコモドが大笑していた。
「ガハハハハ! コモド様の参上だッ。敵はどこだァ」
「んもうっ! コモドのバカトカゲ! ホコリ吸い込んじゃったじゃないのさッ。ケホッ、ケホ」
コモドに続いてネコマタのラパーマも敷地内へと踏み入った。
すかさずネダが駆け寄ってかしずく。
「ラパーマ様!」
「ネダ、ご苦労様! 首尾は?」
「ハッ、女どもは屋敷一階、西側の大部屋におります。いたる所のカギも開け放しております」
「よし、行け! オークどもォ、蹂躙しろぉ」
ラパーマの合図でイキり立ったオークの群れが屋敷へと走り出した。
「ダ、ダメッ」
急変した事態にたじろいでいたアユミだったが、戸惑ってなどいられないとオークどもの前に立ちふさがった。
「行かせないッ」
「バカね。死ねッ」
ネダが懐から取り出した矢のような針をアユミに向かって投擲した。
風を割いて煌めく針は、狙いたがわずアユミの眉間に突き刺さるかと思われた。
ジュッ! と焦げた匂いと音を残して針は消滅していた。
アユミに届く寸前に一瞬にして蒸発したのだ。
「なにッ」
さすがに驚くネダの目の前で、アユミの目が真っ赤に燃えていた。
周囲の大気もチリチリとヒリつくように熱くなる。
「行かせないって言ったでしょ!」
アユミが右腕を大きく横薙ぎにすると、その延長線上に巨大な炎の壁が立ち上がった。
「グオオオオー」
「グオッグオオッ」
炎にまかれ何匹ものオークが黒焦げになる。
進軍していたオークたちの足が止まった。
「炎使い!」
「炎を出すだけじゃねえ。身の回りの空間まで鉄をも溶かす高熱で囲ってやがるぜ」
ラパーマとコモドが噴き出した汗をぬぐいながらアユミから距離をとる。
「ちょっとコモド! あれ本当にニンゲンなのぉ? あんな力を使うニンゲンなんて聞いたこともないよ!」
「オレ様だってねえよ!」
「どけ」
騒ぐコモドとラパーマを脇へ押しやり、背中と腰に長剣を佩いたウルフマンが進み出た。
破戒僧バーナードだ。
バーナードは静かに、ジッと赤く燃え上がるアユミの目を見た。
その目線のあまりの冷酷さにアユミは背筋が凍り付く思いがした。
「なんでい? バーナード、おめえがあいつの相手をするってのか?」
「……そのつもりだ。奴こそが、ここへ赴いたオレの目的だからな」
「え? え? なにそれなにそれ? バーナードああいう甘ったれた小娘が好みなの?」
バーナードが背中と腰から二本の長剣をスラリと抜いた。
剣先はしっかりとアユミへ向ける。
「長の言うとおりだとすれば、あの娘は間違いなく姫神だ」
「姫神!」
「姫神だって?」
コモドとラパーマが驚きの声を上げる。
「ひとりで一軍に匹敵するといわしめた戦神!」
「数百年に一度現れ世界を作り替えるといわれるあの姫神かよ」
だろうよ、とバーナードは応じると、油断なく剣を構えた。
「異能の力を持つニンゲンなど普通はいない。だが長はセンリブ森林ですでに二人の姫神に会っている」
「なるほどな! オレ様たちの相手は伝説の姫神ってわけかよッ」
「おっもしろぉい! やっつけて私のペットにしてやるぅ」
バーナードを中心にコモドとラパーマが半円を描くように散開する。
二本の剣を構えるバーナード、太い腕を振り回して威嚇するコモド、長い爪の生えた指をポキポキと鳴らし嗤うラパーマ。
「ネダ! ここは私たちが楽しむから、あなたはオークどもを連れて屋敷を荒らしに行きなッ」
「ハッ!」
ラパーマの命令にネダが動いた。
「行かせない!」
アユミが追おうとするもその行く手にバーナードが立ちふさがる。
「くっ」
「炎を操るということは、貴様が火竜を宿すという紅姫だな。さあ、神器を見せろ。深紅の一撃というのだろう?」
夜着のままのアユミに盗賊ギルドの幹部三人の包囲が狭まる。
周囲にはいまだ消えない炎の壁が、強風にあおられ木々の枝葉に燃え移りだした。
そして背後に離れた屋敷からは、オークたち襲撃者による破壊と暴虐の喧騒まで聞こえだす。
もう躊躇している暇はなかった。
アユミは数歩後ずさると、意を決して声を振り絞る。
「やるしかない。転身! 姫神ッ」




