101 蜂のタトゥー
黄昏時――。
大邸宅が並ぶ街路を三つの影が移動していた。
それぞれが頭まですっぽりと外套をかぶり顔を隠している。
三つのうち背が低いひとつはカエル族のアマンであり、あとの二つはアユミと奴隷商人から助け出されたネダであった。
三人はきれいに整備されたマラガの上流街をすばやく移動し、やがてある屋敷の裏門にたどり着いた。
そこは使用人が出入りするための通用門であり、華やかな表通りとは違い、赤煉瓦の壁や植え込みなどで巧妙に目隠しされた配置だった。
アマンがそっと格子戸を開くとアユミとネダが滑り込むように先に入る。
最後にアマンは尾行者がいないことを確認してから後に続いた。
勝手口で初老の執事の出迎えを受けた。
彼はこの屋敷の雑事を取りまとめる犬狼族のブリアードといい、明るいブラウンの体毛に長めの口髭、スラリとした体躯にビシッと燕尾服を身に着けた堂々とした振る舞いを見せた。
「おかえりなさいませ、アマン様、アユミ様」
扉を開き、屋敷内に招き入れながらブリアードが低く落ち着いた声と共に一礼する。
「ただいま、ブリアードさん。この娘はネダ。エスメラルダからさらわれてきたらしいですよ」
周囲を物珍しそうに眺めまわるネダを確認し、ブリアードが頷いた。
「情報は今回も正しかったようですね。可哀そうに。すぐに食事と着替えを用意いたしましょう」
「あたしお風呂入りたい」
「すでに温めてございます」
「さっすがブリアードさん! ネダ、一緒に入ろう!」
アユミは返事を待たずにネダの手をつかむと浴室へと連れ立って行った。
「やれやれ」
少し呆れ気味にアマンが嘆息する。
「アマン様はいかがなさいます? 先にお食事になさいますか?」
「んん……」
「今夜はアマン様の好物であるブドウグラタンをご用意しておりますよ」
「おッ」
アマンの顔がパッと明るくなった。
故郷のカザロ村の近くに〈葡萄古道〉と呼ばれるブドウのなる道がある。
アマンはそこでブドウを摘まむのが好きだった。
そういえばアユミと出会ったのもその葡萄古道であった。
「ところで、ご主人様は今夜はいるのかい?」
「はい。このところお忙しいようでございましたが、今夜はご在宅でございます」
「そっか。相談したいことがあるんだけど、今夜大丈夫かな」
「伺っておきましょう」
「よろしく」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
アユミとネダがやってきた浴室はたいそう立派なものだった。
二十人は寝泊まりできるような広さを持つ浴室で、当然掃除も行き届いている。
「すごい」
思わず出たネダのつぶやきにアユミが同意する。
「すごいよね。このお屋敷にはいくつもこんなお風呂があるんだよ」
「え?」
「ここのご主人様はきれい好きみたいだから」
言いながらアユミは身に着けているものを脱ぎだす。
だが上半身にまとう革鎧がなかなか脱げずに四苦八苦してしまう。
どうやら背中側の留め具に悪戦苦闘しているようだ。
「ごめん、ネダ。後ろ外してくれる?」
「は、はい」
ネダはそっと留め具を外してやった。
「いいデザインですね、その鎧」
「でしょ? お気に入りなんだ。チチカカさんってカエルさんのお店で安くしてもらったんだよ」
「カエル?」
「うん。アマンの恩人でとっても優しいんだ」
「そう」
アユミは裸になるととっとと浴室へと向かう。
「ネダも早く!」
「は、はい」
ネダはまとっていた薄着を脱いでアユミに続いた。
ひとしきり体を洗った後、二人は広い湯船に寄り添う様にして身を沈めていた。
アユミはネダの体を見て息をのむ。
「ネダ、あちこちに傷が……」
「うん」
「ひどいこと、されたんだね?」
「うん、まあ」
ネダの歯切れが悪くなる。
アユミはネダがこの話題に触れてほしくないのだと解釈した。
だが他にも目についたものがある。
「ネダ、その、おへそのところにあるの、蜂?」
湯船の中で揺らめいているが、たしかにネダのへその右横には蜂が描かれている。
「それって刺青?」
「う、うん」
「へえ、なんで蜂なの?」
「それは……」
言いよどむネダを見てアユミはこれも触れちゃいけない話題だったかと思った。
アユミは答えを待たずに自分の右手の甲をネダに見せた。
「実はあたしもね、昔入れてたことがあってね」
親指の付け根のあたりに小さな傷跡がある。
「ここに昔、小さなハートマークを入れてたんだ」
今はハートが見当たらない。
代わりに火傷の跡のようなものがある。
「消したの?」
「うん」
「どうして?」
「わかんない。でも消しちゃった」
ネダがそっと、自身の蜂に触れた。
「でも消すのってね、結構痛いよ。あってもいいんなら、そのままのほうがいいよ」
アユミの言葉にネダは何も反応を示さなかった。




