05
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本来、パラデウムは地方にあるただの魔法学園だった。それが現在は、学園を内包する、独立した都市国家である。
パラデウムとは魔法学園の名称であり、同時に国名をも指すのだ。
そんなパラデウムと隣接するフィエンナ市は、パラデウムの身近な交易先である。
ビッキーらはパラデウムと一番近い西ネムリ駅でなく、第二フィエンナ駅で列車を降りた。市街地開発の一環で新しくできた駅は元からあったフィエンナ駅よりも使い勝手がいいということで、駅周辺は大いに栄えている。駅利用者数を着実に増やし「もう第二じゃない」という街の声すらある。
しかし今回この駅を選んだのは市街地観光のためではない。
関係者以外立ち入り禁止の扉を開け、地下に下りると、パラデウムが作らせた特別な部屋がある。
空間補正の魔法で、実際の面積より遙かに広い空間は、大の大人が三人肩車して届くか届かない高さと、千人余り詰め込んでも大丈夫なゆとりがある。ちょっとした秘密集会でも開けるだろう。
石造りの床には幾何学模様が描かれ、その中心となる部分だけ四角く床の色が違う。その石を踏むと魔法が発動する仕組みだ。
パラデウムが世界各地に設置してある転送方陣の一つで、ここの方陣は物資輸送にも用いられている。
これまでの道中、ヴァルたちが変わらずおとなしいので、ここからはパラデウムまで転送方陣を使って一息にいこうと決めたものの、ビッキーの心中は複雑だった。
(……はあ、魔族に助けられるなんて)
ああ、とんだ失態だ。時間が経過してもビッキーはその気持ちと折り合いをつけられずにいた。
実はビッキー、魔族と直に接するのはこれが初めてで想像した魔族と目の前の存在との違いに困惑するばかりだ。
ずっと魔族とは残虐非道の生き物と教わってきた。人間を虐げる側の生き物、それが何の理由もなく人間を助けたりするだろうか。
(そうよ、きっと何かある……)
そうでないわけがない。
そう思うのに、それでも納得できない自分がいる。
それはきっと列車を見て子供のようにはしゃぐ姿や自分に向かって軽口を叩くところに遭遇したからだ。
なんというか、そこだけ見るとまるで、人間みたいだと感じてしまう。姿形が違うだけの隣人。そう考えた自分がどうかしてるとビッキーはそっと頭を振った。
(騙されちゃ駄目……)
そもそも、自分が戦闘中に油断したのがいけない。あってはならないことだ。
自戒し、そして胸に燻るものを払拭しようとユニを見れば向こうも自分を見ていた。
『大丈夫?』
瞳がそう言っているのが分かった。だから大丈夫と頷き返した。
まだここは通過点。
くじけるのも反省も全部後回しだ。
ヴァルたちを方陣の中央に呼んで、靴裏全体で石を押し込めば謳が勝手にはじまる。光子が増えるごとにその声もまた大きくなる。
喧しい、と表現できるそれがビッキーにはとても安心できた。
どうやらこの声が自分にしか聞こえていないらしいと正しく知ったのは学園で学ぶようになってからだった。
――ぐにゃりと景色が歪む。
街全体をぐるりと壁で囲ったパラデウムには東西南北、四つの通用門が設けられ、第二フィエンナ駅の転送方陣は北門の内に設けられた検閲所と通じている。
壁はもちろん対敵のためであるがもうひとつ、自分達が独立した一つの国なのだと内外に主張する意図がある。低すぎることはない壁だが、昇って越えようと考える人間がいないわけではない。しかしそこは見えない魔法の壁がドーム状に続いているから現状、パラデウムが外からの攻略に屈したことはない。
暗い地下から一転、検疫所は屋外、生成り色の防水布テント屋根のそこだった。
フード付き腰丈ローブを着た人間がテントの周囲を取り囲んでいる。領内なのでフードをかぶっている人間はいない。
靑灰色は警邏隊。
えんじ色で、かつ腕章をつけているのは検疫所の者だ。
事前にビッキーが連絡したからからか、警邏の人間が多い。これから来るのが人や野菜でなく魔族となれば迎える側も通常通りとはいかない。
集団から二人、検疫と警邏の人間が並んでビッキーの方へやってきた。
「事前連絡ありがとうございました」
先に口を開いたのは検疫所の方。つい、口元のほくろに目がいく。長い金髪をひっつめ、眉毛はきりっと鋭角。ぴんと伸びた背筋。仕事のできそうな印象だが、実は何でもないような所でつまずくような人であることをビッキーは知っていた。三十路を折り返したこの女性はベル・フラン。検疫所係、係長補佐である。
一方警邏の方だが、ビッキーが考えるに北門担当班の班長かと思われた。
警邏は大きく「課」からなりそこからまた細々分かれて構成されているが、ビッキーは警邏の人間でないから所属を教えられなければ皆等しく「警邏」に見える。たださすがに隊長の顔やよく世話になる者の顔ぐらいは把握しているが。
(それにしてもなんていうか……)
喩えるならこれが一番だ、そう、人畜無害。
ビッキーは思いついた自分に拍手した。これほど完璧な喩えはあるだろうか、そういいたくなる顔と出で立ちなのである。歳は分からないが二十代三十代どちらでも通用するだろう。ローブを身につけていなければ誰が彼を警邏だと思うだろうか。
「こちら、北門周辺警備担当班の班長さん」
ベルの紹介に男が「どうも」と会釈する。
予想的中だ。
「彼らがそうですか」
班長の視線が魔族へ向かう。人畜無害そうな見た目から飛び出すおっとり口調に気が抜けそうになるビッキーだが、いやまてと気を取りなす。仮にも班長だ、ただそれだけのはずがない。
(そう……ですよね?)
期待もこめて「ええ」と応えれば、
「へえ、どちらもなかなか美形ですねえ。そう思いません?」
「え、」
返ってきた感想にビッキーの思考が停止する。
「ビッキー?」
ユニの声も耳に入らない。
(ええとこの人なに言ってるの? なんでわたしに訊く? 美形? まあ確かにヴァルの方はそうだけど、だけど尻尾あるし、隣なんて顔は狼じゃない――)
爆発できない熱が思考回路を塞ぐ。
ああ、だめだ。いつだって冷静でいなくちゃ。どうすればいい? よし、とにかく目を閉じて深呼吸だ。
ばしっと何か殴られたよう音にビッキーが薄目を開けると、頭を押さえて悶絶する班長の姿があり、その背後にいつの間にか眼鏡をかけた青灰色ローブの男が立っていた。
誰、とビッキーが問うよりはやく、男が「すみません」と頭を下げた。
「うちのアホ班長の発言を許してください。というか九割考えなしなんで聞き流してください!」
「リシェールくん、間違っちゃいないけどボク傷つくなあ」
「なに言ってるんですか、いつものことじゃないですか」
しれと言い返すリシェールを見て、彼らはいつもこんな感じなのかと、ビッキーは北門周辺警備班に同情と不安を覚えた。リシェールの班長を見る目はもはや上司を見る目ではない。怒りを超越してとても冷めている。きっと二周半くらいしている。でなければ上司の頭を叩くなんてできやしない、少なくともビッキーには無理だ。ゆえに初対面だがリシェールには畏敬の念を抱かざるをえない。
そしてビッキーはおぼろげながら分かった。
この一見人畜無害そうな班長は、口を開いてはいけないのだ。
「ねえねえキミ、それ触ってもいいかな、というか触らしてくれないかな?」
班長はヴァルに向かって好奇心丸出しで問いかけた。
「班長……」
背後のリシェールが拳を握る。
自分に話しかけられていると気がついていなかったヴァルだが、バリーに何やら耳打ちされ理解すると「いいぜ」と安易に了承した。自分から班長の方へ進み出て、触りやすいように身体をずらす。
リシェールはといえば、拳を振り上げる前に魔族を警戒せねばならなくなった。
揺らめく尾に視線が集う。
形は猫の尻尾と似ている。
生え際がどうなっているのかは不明だが、尾の先は服の中から出ているのではなく、服の布地からでている。境目が透けたような状態なのだ。
「ふうむ」
興味深そうに見つめたかと思えば、ひょいと班長は手を伸ばした。手袋を嵌めた手は、触らせてといったくせに掴もうとしているのが誰の目にも明らかで。
けれども班長が掴んだのはただの中空だった。
「あ、あれ?」
ヴァルが笑う気配に見れば、それが告げているものに気がついた。
『触れるものならさわってみろ』
できないことを知っていて莫迦にしているのではない。彼はこのやりとりを愉しんでいるのが顔で分かった。
(ああ、なんでわかるんだろ……)
ビッキーは何だか情けなくなった。
ヴァルの顔はそう、かけっこで一等を取って得意げになっている子供のそれだ。魔族のくせに邪気がない。
尾は同じ場所にあるのに、班長が掴んだ場所だけ尾が消える。だけども班長が手を開くと消えたはずの部分はちゃんとある。
「ふふん、言っておくがお前に合わせて消しているわけじゃないからな」
得意げな解説が入った。
班長の糸のように細い目が僅かだが見開かれる。その微かな変化をビッキーが感じ取るも、
「……班長、」
リシェールが咳払いする。水を差された形となった班長は名残惜しそうながらも手を引っ込めた。自分の出番はもう終わりらしいと悟ったヴァルがバリーのもとへ戻っていく。物足りないとばかりに尾を揺らしながら。
「ええと、本題に移っても?」
ベルが口を開いたので皆の視線がそこへ集う。
「学長より言付かっています」
学長、という単語が飛び出しただけで場の雰囲気がひきしまる。
学園の長であり、この国の民の上に立つ者。
ビッキーはきゅっと唇を引き結んだ。本人がこの場にいるわけでもないのに緊張してくるから不思議だ。
「こちらへいつでもどうぞ、だそうです」
そう言ってベルから渡されたのは学長の本日の予定を記したメモだった。