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混沌の娘  作者: 霞初月
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04

 憲兵隊員からの要請に、ビッキーは一も二もなく頷いた。

 どうみてこれは自分達の出番だ。

 心臓が逸り、胃がきりきりと痛む。高揚感なんかどこにもない。あるのは使命感と、それによる緊張だけだ。

「ユニはここから援護お願い」

「ええ」

 意図を容と汲んで、ユニが頷く。

 本当は一緒に来て欲しいが、後ろの魔族の監視役がどうしたって要る。今はおとなしくしているがいつまでもそうだとは限らない。やつらをパラデウムに連れて行くまでがビッキーらの定められた仕事で、運転室にいるらしいのはそのためにもどうしたって片付けなければいけない。いきがかりだけど避けては通れないというだけのこと。

 見誤るな、と自分に言い聞かせる。

 目的を、相手を。

「車輌の切り離し、できます?」

「そこまで行ければな」

 問いに、死者の傍らに跪いていた男が立ち上がる。

「前と客車を離したいんだろう?」

「ええ」

「ならやはり、前まで行くしかない。遠隔操作できりゃ話は早いんだがな。あちらさんがこっちが行くまでおとなしくしててくれりゃいいんだけど」

「それならご心配なく」

 ビッキーは短く息を吸って吐く。工程は決まった。あとはそれに沿って行動を開始するだけだ。

「アーカイヴ、応えて」

 ビッキーの呼びかけに応じてどこからか清かな謳が聞こえてくる。流行でない、独特の節を持った古い詞が織りなす――。

 魔法だ。

 男がはっとしてビッキーを見るも、すでにそこに彼女の姿はない。

 予め車輌に仕掛けておいた転送方陣を使って移動したのだ。

 男が小さく感嘆の声を洩らす。


 そんな人間たちのやりとりを後ろの魔族らが興味深く観察しているなど三人は知らない――というより気にかける余裕が今は誰にもなかった。




 影はエミールの新たな手腕だった。

 元からある方ははち切れんばかりに膨らんで自由に動かすことができない。その代わりがこれだ。進行方向に背を向けたまま、エミールは影をいくつか運転に割り当てる。不思議なことに見なくてもぼんやりとだが進行方向を把握することができた。便利なものである。

 以前とは異なる己の身体にエミールは陶然とする。

「これが魔族……」

 自然と唇から笑みがこぼれる。

 ああ、これでつまらない日々ととおさらばだ――天を仰ぐと涙が零れた。歓喜の涙である。

 彼は俗に言う「魔族崇拝者」だった。

 人間というものは平穏を望むくせに、そうなった途端、今度は刺激をもとめたりする厄介な生き物だ。

 かつて人間は魔族に脅かされていた。しかしその脅威がさり平穏を享受するのみとなったとき、それだけで満足できない人間がいつの時代にも現れる。そのどうしようもない飢餓感を埋めるため、エミールのように魔族をあがめる者がいたりする。

 彼らはひっそりと、過去の英雄を崇めるように魔族を讃える。公にはしない。誰だって自分の築いた地位は失いたくないからだ。

 もっとも魔族崇拝者の全てが地位ある者ばかりではない。ただ表立って活動する者は粛正され人々の記憶から消えるから、存在しないと同義となる。

 上機嫌のエミールの前に突如、光を纏って少女が現れた。

 輝く少女はエミールに女神を連想させた。高潔の化身のような、冒しがたい空気を身に纏っている。

 エミールを見て彼女は眉を顰めた。

「ずいぶんとご機嫌のようね」

 ビッキーは口にせずにはいられなかった。

 ひどい笑顔だ。顔中に浮き出た筋からだらだらと血を流し、目と口は弓月のように歪んでいて、正直直視に堪えない。

 これは人間なのか?

(……たぶん違う)

 目の当たりにするのはこれが初めてだが、おそらく、知識としては知っている。

 なんでも魔族には後天的になるものがあるという。

 人間が堕ちるのだ。

 そうならないよう人間は自分達に良いように社会を変えてきたはずだった。だからそうなる人間が生まれるはずがない、今日までビッキーはそう信じて生きてきたし、そう教えられてきた。

 それともこれは封鎖を解いたが故のことなのだろうか。

 しかし今はそれを考える時ではない。

「応えて……」

 古き詞で謳えば、輝きがビッキーの身体を包む。

 魔族は光を厭うから、まずはそれを纏うのは魔族に挑む者の常識だ。

 効果は覿面で、エミールの笑顔が引きつる。

「っみゃほう――あ、ああそうだ、パラデウムのやつらが乗ってたんだったけぇ……そそそうそうそうだ! そうだよみゃぞくさまっ、魔族様にぼくのきゃ、活躍を見てもらわなくちゃあ――」

 エミールは何やら思い直したように嬉々とし、足下の影を波打たせた。

「みゃほうつかいだろうが、所詮はニンゲンだろうが!」

 影が躍る。髪の毛のように編み上がりながら、ビッキーに向かって突き出される。

 しかしビッキーは動じない。いや、それは見かけだけである。正直なところ、初めて見る堕ちた人間に少なからず動揺していた。

 口が渇く。

「アーカイヴ、応えて――」

 ざわめく光子たちの声をビッキーは聞く。

 目に見えぬ彼らを讃える詩を謳えば彼らは応える。それが人間の魔法。

 瞬時に編み上がる鎖の壁が影たちを絡め取る。

 引き剥がそうと影がのたうち暴れる。

 魔族としてエミールには圧倒的に経験値が足りない。だから影を自分から切り離そうという考えが浮かばない。鎖を引き剥がす、それだけに囚われ、その場を離れられない。

 だからビッキーに魔法を使う隙を容易に与えてしまう。

 運転室の中がじわじわと光に満たされていく。

 目がくらむまばゆさにエミールは身じろいだ。その圧倒的な光量に動けない。吐き気がするくらい、悪寒がはしる。

「きひ、きひい」

 鎖の壁が両手を広げるようにエミールを包み込んだ。身体の触れたところから肉が焼け、血煙があがる。

 誰か助けて。

「ひっひひゃい、ひひゃいよおおおお」

 汗と涙と脂汗にまみれたエミールの顔面にビッキーの顔が曇る。

 魔族は涙を流さないと聞く。しかし眼前の存在は気味の悪い声を上げながら泣いている。ならばこの生き物はなんだろう。堕ちた人間と魔族は違うものなのか。

「……」

 ビッキーは識っている。

 魔族崇拝者はこの世から消されるのが常だ。これは比喩ではない。

 未だビッキーはその任についたことはないが、パラデウムにそれを専門にする者たちがいることは識っている。

 理性的に考えれば、眼前の存在は粛正対象に当てはまる。

 しかし、と思考の海に落ちたビッキーは考える。

 堕ちた人間を元に戻すことはできないのだろうか。

 これはパラデウムにとって貴重な素材なのではないか――そう考えてしまった自分に吐き気がした。そこにあるのはこの男を助けたいという慈善でも何でもない、ただの功名心で。

 込み上げた吐き気を耐えるビッキーは気付かなかった。

 エミールが苦し紛れに己の影の使い方をまた一つ覚え、鎖の隙間から針のように鋭い影を放ったことを。

 気付いた時にはもう遅く。伸びる影は無数。

 動転したビッキーはただの的だった。エミールが喝采を上げる。

 しかし針は彼女に当たらなかった。

「……」

 ビッキーは眼前を塞ぐ黒を凝視して、そっと手を伸ばした。

 彼女の前にあるのは常闇の色をした壁で、それは忽然と現れた。ビッキーが触れようとすると指先を厭うように湾曲する。まるで生きた壁だった。

「ぼけっとすんな、あほ」

 壁が喋った。

 ここにはいないはずのヴァルの声で。

 魔法の光が充ち満ちたこの空間で。

 真っ黒な障壁。

 唖然するビッキーの前で、幕が真下に落ちるようにけれど音もなく壁は床に溶けるように消えさった。

 取り払われた壁の向こう、骨と皮だけになったエミールの姿があった。

 見ただけで絶命しているのは分かった。

 気付けば運転室を満たしていた光や魔法の鎖もどこにも見あたらない。それは、それを上回る力が干渉したにほかならず。

 考えられることは可能性にビッキーは困惑し、ぞっとした。

 魔族に命を救われた……?

「うそでしょ……」

 信じたくはないが、目の前の動かないエミールが事実を雄弁に語っている。




「お手伝い、しないんじゃなかったんですか?」

「これから人間どもに厄介になるってのに、案内役になんかあったらまずいだろうが」

 ヴァルはそっぽを向いて答える。

「そうですね、わたしも女性が傷つくのはできれば見たくないと思ってました」

 発言だけ聞くと紳士のようだが、バリーのこれは、単に願望の話である。

 聞いたヴァルは頭痛を堪えるように顔をしかめた。ちなみに魔族のヴァルはこのかた人間が罹患する病気や怪我とは無縁なのでこの表現は適切でない。

「そういう話じゃねえよ、あほが」

「そうですよね、ちょっと我慢できなかっただけですよね」

「……だまれ」

 ヴァルの尾が不機嫌そうに床を叩く。

 はいはいと、バリーは肩を竦めてみせた。

 ほんとうに手を出す気がなかったことくらいバリーも分かっている。

 ただ彼は見ている内にどうしても我慢できなくなったのだ。目の前で繰り広げられるお遊戯につい、自分も加わりたくなってしまったのである。

 ヴァルは、なりこそ青年のようだが、まだまだどうしようもなくお子様なのである。



 * 


 列車の乗客は全員、代替列車に乗り換えられる権利を得た。

 一番近い駅で列車は止まり、降車する乗客はみなほっとして、足早にホームに降り立った。空になった車輌は検分に来る憲兵隊のために一旦、使われていない線路へと移された。通過駅のため倉庫がないのだ。駆動系をやられていないため、自走可能なのが救いと言えば救いである。

 流れ出る乗客の中に、回送される列車を見つめる目があった。

 目に映した曇り空を取り込んだような一対の瞳がじっと列車を見つめる。つまらなさそうな、どうでもいいような、そんな顔で見つめている。

「……帰投します」

 呟く声は小さすぎて誰の耳にも届かない。

 人の流れに紛れてそれはその場から離れた。




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