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混沌の娘  作者: 霞初月
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03


 何ごともなかったかのように動き出した列車。客車の後部、そっと席を立ち、ゆっくり前の車輌へ移る男がいる。

 背の高い男だった。身体の肉付きが薄いのでひょろりとして見える。黒い短髪と切れ長の目が口をひらく前から寡黙で誠実そうな印象を与える。

 上下とも紺地の軍服に似せた服を着ていた。一見かたそうな生地だがこれがなかなか柔軟であることを身につけた者だけが知っている。いわゆる制服というやつだ。

 しかし誰も彼に注目しない。

 それもそのはずで、彼は周囲が自分に注目しないよう魔法をかけてあった。

 それが彼、テオドールの仕事について回る必須条件なのだ。

 車輌を二つ渡り歩き、次に移ったところでテオドールは待ち伏せを喰らった。

(うしおか」

 顔色一つ変えず、彼はその名を口にした。

「来ると思ったんで待ってました」

 潮は腕組みして壁にもたれ掛かって、テオドールを見上げる。

 童顔のため少年のように見えるが実際は二十七のテオドールと一つしか変わらない。テオドールが平均より背が高く潮が平均より少し背が低いため、知り合いから「並ぶと親子みたいだな」と感想をもらうことが多い二人だが、それに食ってかかるのは潮だけである。面倒臭いのでテオドールは聞き流すだけだ。

 潮もまた、テオドールと同じ制服を身につけている。

 そう、同僚だ。

 鉄道憲兵隊。公社が運営する、運行中の列車には彼ら隊員が必ず乗り合わせている。

「中央からここまでは異常なしです」

「後ろも同じだ。貨物の方も問題ない。――先頭か」

「ええ。あと中継器もいっしょに、」

 潮が両手を使って物が弾ける仕草をする。それを見てテオドールは目を眇める。予想を超えてはいないが、厄介なことは間違いない。壊された車輌に搭載されている放送機器には隊員個々の連絡の中継機器も含まれる。

 やれやれとテオドールは肩を竦めた。

「で、なに伝えりゃいい?」

「機器の不具合で頼む、だそうです」

「……はあ、わかった」

 テオドールは眉間に皺寄せたまま、すっと息を吐く。

 不幸なことに今日、この列車内の隊員の中で伝達魔法が使えるのは彼しかいなかった。




 エミールはこの列車の車掌だ。

 車掌になって五年、新人ではないが公社では若手に分類される。社員寮で一人暮らしだが、それなりに充実した日々を送っているし、周囲に訊いてもそうだと言うだろう。そういう生活を送ってきた。

 この列車は7両編成なので車掌は規則どおり一名だ。10両越えると二名になる。もし違う編成だったらこの列車はこんなことにならなかっただろう。しかしこれは予め計画されていたことだ。

 血の匂いが充満する運転室で、列車を動かすのはエミールだ。万一の事態に備え、公社の社員訓練は運転から接客までまんべんなくたたき込まれるから、エミールもその例に漏れず、列車の運転ができる。

 穏やかに微笑み操縦桿を握るエミールの足下には絶命した運転士が転がっていた。



 ** 


「乗客の皆様にご連絡いたします。機器の不具合により報告が遅れましたことを乗客の皆様に謝罪いたします。ただいまの一時停止は線路内を動物が横切った事による緊急措置でございます。乗客の皆様にはご心配をお掛けして済みません。なお、ただいまの件についてのお問い合わせと、ご気分が優れないという方はこれから相談員が先頭より参りますので挙手をお願いします――」



 低いが聞き取りやすい声が車内に流れる。

 ヴァルは座ったまま、上目遣いに宙を見る。

「人間の魔法か」

 よく耳を澄ませるとビッキーの魔法と干渉し合って雑音が立っているのが分かるのだが、それは人間の耳の話で、ヴァルの耳にははっきりと雑音が聞こえている。

「はあ、穏やかじゃないですねえ」

「ああ、どうやら前の方で何か起こっているみたいだぞ」

 あるじの言葉にバリーはおや、と注目する。

「お手伝いするつもりですか」

「まさか」

 ヴァルはあっさり否定する。

「ここは人間の社会だぞ、俺が出張っていってどうする?」

「でも、気にはなるんですよね」

「そりゃあ、お前だってそうだろう?」

 含みを持たせた切り返しに、バリーは言葉に詰まる。それというのも闇のものは、人間で言う、本能に忠実な生き物を体現した存在で。

 だから人の不幸や騒動の類は大好物、もちろんバリーもそうだ。

「まあ、やつらがいよいよどうにもならなくなったらその時はやってやるさ。BBに会わなきゃならねえからな。……とはいえ、俺の手に余るとも限らねえし」

 人間は魔族を僻地に追いやり千年閉じ込め、その数を減らすことに成功した生き物なのである。

 加えて封鎖後生まれで今まで伝聞でしか人間知らなかったヴァルには人間はまだまだ道の存在なのだ。

 何度も言うが、怖い。怖くてしょうがない。

 しかしそんなヴァルをこわいくらいひたむきに信仰しているのがバリーだ。彼は軽く笑って、

「そこは心配していませんよ」

「……恥ずかしいから真顔で言うのはやめろ」

「そう言われても、こればっかりは自信があるんです」

「言ってろ」

 あきれて物が言えないとはこのことだ。肩を竦め、ヴァルは関心をバリーから騒動の元へと戻した。

 ビッキーらにはまだ気付かれていないが、ヴァルは離れたところにある影や暗がりも自身の力の影響下に置くことができる。そう、彼女らの知らぬ間に他の車輌の影や暗がりはすでにヴァルの支配下にあるのだ。

 貨物車輌を光で満たすビッキーの魔法もなかなか強力だが、ヴァルからすると鬱陶しいが些末なレベルだった。だからといって侮っていいことにはならない。ゆえにおとなしくしているのだ。

 しかし気になるものは気になるから、こっそり様子を探っている。

 ヴァルは無意識に目を眇めた。

「あいつ、堕ちるぞ」



 *


 貨物列車の通路口が開いたのはアナウンスから数分も経たないないうちだった。

 突如開いた扉に、ビッキーらの反応は悪くはなかった。平静を装いながら警戒心むき出しの視線を浴びせるも、相手も腹が据わっているようで動揺はどこにも見つけられない。

 鉄道憲兵隊の制服を着た男は戸口に立つ二人を順に見やって、

「パラデウムの方で間違いないですよね。現状報告したいんですが」

 顔に見合った低音で淡々と告げる。

「と、いうことはただの故障ではないんですよね」

「ええ、そうです。事件ですよ」

 ビッキーは男の顔を見返した。

 事件と言う言葉に驚いたからではない。男がさらりと冗談でも口にするように言ったからだ。しかし顔は笑っていない。

 直感的に、この人なんか苦手だな、と思った。

「事件、ですか」

「ええ、どうもうちの職員の中に過激な人物が紛れていたようで、運転室を乗っ取られてしまいまして」

「……応援要請ですか」

 いいえ、と男はきっぱり首を振る。

「現状報告です。現在先頭車両において打開工作が展開中です。我々は成功すると考えておりますが、万が一の場合、車輌を切り離しますので事前にお知らせに参った次第です」

 混乱に乗じて魔族に逃げられることがないようにしろよ――ありがたいご忠告だ。

「わざわざありがとうございます」

「仕事ですので」

 業務連絡終了とばかりにさっさと音が踵を返すのと、ヴァルが誰にも聞こえないように呟いたのはほぼ同時だった。

 何かが叩きつけられるような凄まじい音が前車輌の方であがる。

 沸き上がる乗客の悲鳴に三人の視線は一箇所に集う。

 運転室の方で何かあったのだ。

 もう嫌な想像しかできなかった。




 運転室へと向かった隊員たちは楽観視していた。

 それは鉄道憲兵隊員である自分たちへの自負からくるものだった。

 公社が抱える鉄道憲兵隊員はみな、世界のどこであっても通用すると噂され、その噂はあながち的外れでもない。

 しかし憲兵隊は大陸縦横断鉄道グランライン上でしか活動できないし、守るのは乗客の命と安全、列車の運行を妨げるものを排除するのが活動の主である。

 鉄道は魔族が不在の間に発展した交通手段であり、当初想定された危険に魔族は含まれていなかった。

 しかし封鎖を解くとなれば話は違ってくる。

 急遽対策を講じる必要が出てきたものの、それらはみな魔族がその場にいたなら机上の空論と笑っただろう。

 千年も経てば魔族など絵空事と同じだった。

 誰も本当の魔族を知らなかった。

 人間が堕ちる瞬間なぞ見たことがあるわけがなかった。


「――おとなしく投降しろ」

 

 運転室に立て籠もるエミールは隊員たちが扉を破って突入してきても穏やかに微笑んで座っていた。

 くるりと隊員らを振り返り、

「三人かあ……」

 くつくつ笑い始めたかと、それは哄笑までふくれあがる。

 思わずぞっとした隊員らは後ずさりそうになった。

 エミールの口の端が裂けたかのように吊り上がり、その影が風船のようにおおきく膨らんだかと思うと、ゴムベルトのように弾けた。

 あっという間の出来事だった。

 伸びたベルトは隊員二名に向かって直進して、その腹を抉るように打ち据えた。為す術もなく隊員らの身体は車体の壁を突き破り、ベルトの推進力で三両目まで運ばれていく。

 残された一人は眼前の存在に呆然と、いや、愕然とする。

(なんだこれは……)

 そこにいるのは乗車前に顔を合わせた、彼の知るエミールではない。

 大きく歪んだ顔には葉脈のように血管が浮かび上がり、中肉中背だった身体は風船のように膨らみ、まるで洋なしのようである。足下の影が帯のように枝分かれしてうねうねと床の上で躍っている。

 そこにいるのは人ではなかった。

 旧き時代を識る者がいたなら、これが魔人だと教えてくれただろう。

 エミールは変わり果てた自分の姿を感じ入ったように見つめ、

「ふひ、ひひひぃい、つ、ついにぼくも魔族だっ、魔族になったんだあ!」

 嬉々ととして喝采をあげる異形の者に、残された隊員の心は完全に飲みこまれていた。とんでもないことになった、それだけが彼の頭を支配している。

 自分は何をどうしたらいいのか、培われたはずの対処力がすっかり吹き飛んでいた。だからすぐそこに迫った自身の危機にも気づけない。

「――っ」

 吐き出せない悲鳴。永遠とも感じられる束の間に彼の身体は遠くへ移動する。通路の扉を背中に貼り付けたまま車輌の間を旅して、最後に貨物車輌に到達する。

 散乱する貨物の悲鳴。

 先ほど車輌停止では無事だった貨物が今度ばかりは悲惨な末路を辿る。砕け散った木片と硝子片、広がる酒精。

 影はしゅるしゅるとあるじの元へ巻き戻り、残された、驚愕を顔に貼り付けた隊員はすでに息をしていない。

「……」

 テオドールはそれが自分達の隊長だと知っていた。実力だって申し分なく知っている。

(なんてこった……)

 容易な案件かと思いきや、とんだ難物に自分はぶち当たったらしい。しかもこのままでは生きて戻れるかも怪しいものである。

 テオドールは傍らの女子二人を見た。恥や外聞など知ったことではない。なんといってもあのパラデウムの人間だ。

「……ご協力、願えますかね」

 使えるものは使う、生きていくとはそういうものだろう?

 隊長の瞼を閉ざしてやりながら語りかける。あんたは最初で選択肢間違えた。よくある事例だと見限った。だけどこれはそうじゃないらしい。

(まあ俺も、間違えてたわけだが)

 テオドールもまた、本物を見るのはこれが初めてだった。




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