ex.02(番外編・ミニィ)
※注意・本編既読を想定して書いてます。
『あなたは特別なのよ』
女でも男でもないこの身体を、両親は事あるごとにそう言った。一種の魔法だ。魔法はよほどのことが無い限り、いつか解ける。
特別だと言いながら両親の顔は、声は、どこか不安そうで。
ミニィは二人の言葉を信じ切れなかった。
それに、どうして特別だっていいながら「隠しなさい」って言うんだろう?
ひょっとして、この身体は特別優れているとかでなく、一等醜いのではなかろうか。
どっちつかずのせいか、歳を重ねても貧相な身体。外に出られないから同じ年頃の子を見たことがなくても、自分が何となく同年代の中に入れば浮くんじゃないかという確信めいたものがある。
……考えるほどに息が詰まる。
そっと窓を開け、ミニィは闇夜に身を躍らせた。
この日のために時間を掛けて窓の鍵を細工した。いないことにすぐ気付かれないよう、ベッドにも小細工した。
昼間は人目があるから、どうしても外に出るのは夜に限られる。
靴だと足音でばれるかもしれないと、素足に靴下を重ねた。踏んだ土から生きている感触が伝ってきて、身体が震えた。見上げた空は窓からのぞくよりずっと広く、壮観だった。夜気を意識して吸い込む。肺がすっと冷えるような、そんな感覚ひとつとってみても新鮮で胸が躍った。
ミニィはくるっと、今出てきた窓を振り返った。
(……夜明けまでには戻ってくるから)
ばれなければいいのだ、そう高を括っていたはずなのに。結局言い訳をして、ミニィは夜の散策に出かけた。
出会ったのは三度目の散策だった。
彼女は、ミニィが入り込んでしまった細い路地に、抱えた膝に顔を埋めて座り込んでいた。
出かけると言えば人目を避けるように母親に手を引かれ、病院に行くくらいのミニィだ。しかもそれは昼間のこと。
いくら街灯が夜闇を駆逐するように建てられているといってもそれにも限度があり、大通りから外れてしまえば数歩先も見えない闇が広がっているのは常識の範囲だ。だから通常、人は夜間外出しないし、どうしてもそうしなければならないときは懐中灯を提げていく。
月光を頼りにするなど、他者から言わせれば無謀を通り越して愚者の行いだ。
「……迷子?」
他者が近づく気配に少女が顔をあげる。
微かに笑ったようだった。
ミニィは彼女の声音と月光が露わにする柔らかそうな輪郭を信じて、勝手に彼女を「少女」と分類した。
「…………そうかも、」
少し考えて答える。現状、ここがどこだか分からないし、自分自身のことだって……よく分からない。
「……あなたは?」
「あたし?」
問い返されるとは思わなかったようで、彼女は小首を傾げ悩むような素振りをして、
「あたしは……家出中、かな」
「……家出」
ミニィはもう一度、その単語を口の中で転がしてみた。迷子より何だかそっちの方が格好良さそうだ。
「……隣、座ってもいい?」
「いいよ」
気安い返事にほっとする。思いつきで口にしたから、内心ひやひやしていた。
隣に座ってよくよく顔を見てみると、彼女の目が青を何度も塗り重ねたような不思議な色をしているのが分かった。
(……昼間だったらまた違うのかな)
見てみたいと思ったけれど、昼間は家から出られないミニィにそれは叶わない。
この日はお互い何を話すわけでもなく、黙って寄り添って夜明け前までそこにいた。初対面だけど沈黙がちっとも苦痛でなかった。少なくともミニィはそうだった。後に確かめたら、彼女も同じ事を言ってくれて、とっても彼女の事が好きになった。
別れの言葉だけを口にして、ミニィはその場を後にした。また会いたいなと思ったけれど、約束ほど不確かなものはない。自分にそれが守れるとは思えなかった。
だから四度目の探索で彼女にまた会った時は、偶然を運命みたいに感じた。
それからミニィは連日、家を抜け出すようになった。
やがて彼女の名前を手に入れて、それからはお互いぽつりぽつりと自分達が抱えるものを話すようになった。
彼女は、赤子の時分に孤児院の前に捨て置かれていたそうだ。十歳になる前の年、下見に来た親切そうな夫妻に引き取られた。ところがその家に着いて分かったことだが、男の妻はこの時のために雇われただけの女だった。男の家にいるのは十歳前後の子供たちばかりで、その奇妙さに彼女は足を踏み入れるのを躊躇ったが、無理矢理押し込まれてしまえば引き返すことも出来ない。男は子供たちをまんべんなく愛してくれたが、それには限りがあった。男には、彼だけにしか分からない線引きがあって、彼が飽きてしまった子供は彼の知り合いのもとへ引き渡された。泣いてごねても、決定は覆らない。
子供たちは引き渡された先で、彼がいかに、たとえ周囲からは歪といわれようとも紳士だったかを知る。
彼女は監視の目の隙をついて地獄のような場所から逃げ出した。
あそこから逃げ出せたら、きっと助かると思っていた。
だけど今は、どこに行けばいいのかわからない――。
「……ナイアも一緒だね」
「え?」
「迷子、そうでしょ?」
「……うん、そうだね」
泣いているように笑う彼女を見たら、いてもたってもいられなくなって傍にあった手を握り込んだ。夜気に冷えた指先を包むように、力を込める。だけど悲しいかな、彼女の方が手が大きい。
くすりと笑う彼女に、口先が尖る。
(……笑うな)
――もっと手が大きかったらよかったのに。
か細い月の下、あの日と同じ事を思っている。
ミニィは意識のないナイアを眺めて、己の無力さに腹を立て、唇を噛む。
呼吸はあるからいつかは目を覚ますだろう。
だけどその彼女は、ミニィに知る彼女だろうか。とりとめも無い不安が、妄想ばかり生み出していく。ひょっとしたら目を覚ました彼女はこれまでのことを覚えていないかもしれない。ミニィのことを「誰?」と訊くかもしれない。
「……ナイア」
怖い。
忘れられるのは怖い。
だけどもしナイアが嫌だと言わなければ、そばにいたい。
……お願いだからぼくを嫌わないで。
ナイアのためだったらなんでも出来る。なんでもするよ。あなたのそばにいたいと思ったとき、そう決めたんだ。
……ああでも、きみが要らないって言ったら、悲しいけど僕はそれを叶えるよ。あなたがちゃんと次の宿り木を見つけられたら、何も言うことはない。
(……うそだ)
そんなの嫌だ。
だってそしたらぼくはどこへいけばいい……?
「……ナイア、起きてよ」
どんなに悩もうとも、全てはそこからだ。
握りしめた彼女の手が微かに反応した。
「ナイア……?」
おそるおそる呼びかける。
ぴくりと瞼が震え、ゆるりとその目が開かれた。茫洋とした瞳が、ミニィに焦点を合わす。
「……ミニィ……?」
たった一言、己の名前を呼ばれただけだというのに、死にそうなくらい胸が締めつけられた。
「そうだよ、ナイア……」
ぼくはここだよ。
ミニィは笑った。笑おうとした。そんなことを意識したのは生まれてこの方初めてで、ナイアがびっくりしていたのも気付かない。
ぼたぼた、目の奥から滴が溢れてくる。
「……なに、これ」
拭っても拭ってもおさまらない。
ぼくは何の病気に罹ったんだろう。
ぬぐい取るよりあふれ出る方がはやくてまごついていると、ナイアの腕がミニィの頭を胸元に引き寄せた。
「ごめん、ごめんね、ミニィ――」
その瞬間、ミニィの中の、何かの糸が切れた。
「……っ」
堰を切ったように、嗚咽する。
その背中をナイアがゆっくり撫でてくれる。とくとくと、生きるものの奏でる音に気がついた。
「……ナイア、」
……ぼくを置いていかないで。
言葉の代わりに涙が零れる。
ナイアの鼓動を感じながらミニィはまた、泣いた。




