31
*
目の前が眩しい。
実際その場にいるわけでもないのに思わず目を閉じてしまうような、そんな強さの白い光。
バリーは目の前の光景に見入っていた。ある意味、酔っていた。他者の視界を想像することは出来てもあたかも自分が見ているように体験することは普通、できないからだ。
興味深い体験である。
といっても真に体験しているBBも、己の座席からあちこち魔法で目を飛ばして状況を眺めているだけ。気が向いたら人間に手を貸すかもしれないが、おそらく彼はしないだろう。バリーは自信を持ってそう言えた。
BBは、どこか人間ぽいヴァルとは違う。
おもむろに、ヴァルが立ち上がった。
「ヴァル様どうしました?」
「……ちょっと行ってくる」
「行くってどこ――」
慌てて立ち上がろうとして、二重の視界のせいで失敗した。ヴァルがからかうような笑みを浮かべ「座ってろ」とバリーの眉間を指の腹でぐっと押した。
「続き、俺の代わりに見ておけ」
問答無用で座らされる。
「……ヴァル様、あの、」
戸惑うバリーの身体がうっすら黒く染まる。先日預かったのよりずっと軽いがヴァルの力が身体の中を駆け巡るのに、バリーはぶるっと身体を震わせた。
ただ出かけるだけなのに何故こんな事をするのだ。
「夜明けまでには戻ってくるから」
ヴァルはドアを使わずに出ていった。瞬きの合間を狙ったように、その姿はもう部屋の中から消えている。
「……あとでちゃんと教えてくださいよ」
連れて行って貰えないのは足手まといだからだろうか。
取り残されたバリーは、託されたんだからと気を取り直して、列車内の光景に頭を集中させた。それでもどうにも胸の内はすっきりしない。
肌表面がぞわぞわするぞと、ヴァルは自分の腕を擦った。
夜闇は得意で、安心すると言ってもいい。淡い月光はヴァルの好物だ。
なのに。
(……こういうの、なんて言うんだっけ)
確か、人間は興奮したり恐怖したりすると肌が粟立つと言うんだったか。そんなことを頭の片隅で考えながら、ヴァルは夜の街を歩く。
人間の姿はどこにも見あたらない。
暗いからいないのだ。ヴァルが来た場所には街灯がない。パラデウムの中央部は要とあって街灯で煌々としているが、外周から少し内に入ったところだと街灯の間隔が広くて光の当たらぬ場所もある。
だがそういう場所は必ず人が寄り付かないし、住居や施設もない。
BBから強制的に視界を繋がれたが、ヴァルにとってそこの光景は所詮他人事だった。だってそうだ、その場にいるわけじゃないし、そもそもヴァルは人間じゃない。
人間がやっていることなら、人間が解決するべきだ。元よりヴァルはそう考えている。
だからベレルカでのことは今でも悔いている。ゆえに今回は傍観すると決めていたし、自分の出番はないと思っていた。
だが、そうもいかなくなった。
視られていると気付いた時、ヴァルはぞっとした。
繋げられた視界を介して何かがこちらを覗き見ている。
人間でも、闇のものでもないもの――本能的に正体が分かってしまった。
そんなものはただひとつ。
気配のする方向へ、ヴァルは歩いていく。一息に向かうことも可能だったが、相手の出方も分からないのにそんな無茶は出来ない。
近づくごとに、ぞわぞわするのが強まる。
足も何だか重い。
(……そうか。俺は怖いのか)
今までさんざん人間が怖いと口にしてきたが、それとはこれはまた、別のものだ。
根源に植え付けられた恐怖というべきか。正直そんなものを自分がどうこうできるとは思わない。だけど無視しておけなかった自分は度しがたい愚か者なのだろう。
月明かりの下、佇む少女を見つけてヴァルは足を止めた。
就寝にはちと早い時間が、それでも少女が一人で出歩くような時間ではない。
まるで来るのが分かっていたかのように、彼女は腰の後ろで手を組んで悠然と佇み、ヴァルを見ている。
なんだか落ち着かない気分にさせられる目だ。
「……」
くすんだ金色の髪が夜風にそよいだ。
人間なのに、夜闇に埋もれぬ存在感がある。
「……おまえ、暗いのに俺のこと見えるんだな」
いくら月が出ているといっても、満ちはじめたばかりの光など微々たる物。しかも手で触れあえる近距離でもない。
少女はくすくすと笑う。
「あなた面白いこと訊くのね」
「……そうか?」
単純な疑問をぶつけただけのヴァルには、彼女の方が不思議だった。
もう少し彼女の方に歩み寄るべきか、それともこの場に留まるかで迷う。目の前にいるのは人間の少女なのに、近づいたらぱっと手が伸びてきて取り込まれそうな得体の知れなさが全身から滲みだしている。
「――そうだね、近づかないのは賢明な判断かな」
頭の中に声が落ちてきた。
言葉そのものが契機のように、ヴァルは身体の自由を奪われた。
*
レガートはカーテンを閉めて、額を窓に押しつけた。くつくつと腹の底から込み上げるおかしさに肩が震える。
正直、パラデウムに列車をぶつけるなど、莫迦なことを企てるものだと腹の中では笑っていた。それでも不満を訴えたいという気持ちにだけは賛同できたから、手を貸してやった。
これは終わりではない、はじまりだ。
大封鎖をといたパラデウムに不満を持つものは世界中にいる。
きっとあとに続く者が出てくるだろう。そうすれば学長も考え直すはずだ。
やはり魔族を解き放ったのは間違い立ったと。
ドアがノックされて、レガートははっとした。
こんな時に一体誰だと、湧き上がった苛立ちをのみ込んでから「どうぞ」と返事した。ここを訪れる者はその肩書きを当てにしてやってくる。むげに追い返したり、対応を誤ると信用に響く。
「夜分、失礼します」
そう言って入ってきたのは選抜のアリーとジェイだった。
「こんな時間に、どうしたんだい?」
アリーがジェイに目配せする。彼はさっとレガートの背後に回り込んで、その腕を捻りあげた。
「いっ――……な、なにをする……!」
ひねり上げられた手に、強制的に魔法を使用不可にする腕枷を取り付けられるのを見て、レガートは青ざめた。
アリーはそんなレガートを冷たい目で見やり、
「魔法具の製造と密売容疑が固まりましたので、これより学長のところまでご同行願います」
*
自分の身体なのに力が入らない。
膝から力が抜けて座り込みそうだというのに、ヴァルの足は歩いて少女の方へと向かう。
「やっと見つけた」
自分の口から勝手に言葉が飛び出した。
それを聞いた少女がくすくす笑う。
「ほんとうに探してくださったの?」
「もちろん」
腕が少女の首へと伸ばされる。細い首にまわる指。少女はそれに抗わない。指の腹が柔い肉を圧迫する。
少女は気道を圧迫されながらも笑っている。
「ぼくらの妹、もう終わりだよ」
「いやよ、いや」
「いいや、もう眠るんだ――」
親指にぐっと力を込めると、少女が白目を剥いて気を失う。
ふっと自由になった身体でヴァルは彼女を抱きとめた。
「…………神さまも喧嘩するんだな」
「……喧嘩?」
「……これってそうなの?」
「さあ、言われてみたらそうなのかも」
「そういうことにしようか」
*
混乱する列車の中から乗客が一人いつのまにか消えていたが、人々は自分自身のことに精一杯で気付かない。
ミニィは気がついたら列車ではなく、暗闇の中にいた。
「え? ……ナイア?」
男がぐったりしたナイアを両腕に抱えている。
ここはどこだとか、疑問や言いたいことはいくらでもあるが、それよりなによりナイアだ。ミニィは小さな身体ながら、男からナイアを引ったくった。当然支え切れず、よろけてその場に座り込んだ。
「ナイア、ナイア」
呼びかけて、呼吸を確かめる。
返事はないが、息はある。……よかった。ほっとして息を吐き出したら、傍にしゃがみ込む気配を感じて、そちらへ視線を向ける。
覚えている、いつぞや列車で会ったやつだ。
「……まだいたの」
「邪険にすんなよ。……そいつの中にいたやつ、消えたぞ」
「……知ってる」
自分の中からも消える感触があった。
正直なところ、あれがいつからナイアの中にいたのかミニィは知らない。ミニィにとってはどの彼女もナイアだ。嫌いになったりしないし、離れる気もない。
「……ボクらのこと、突き出すの?」
「されたいのか?」
もちろん、できるならされたくない。
「……言ったところでほとんどのやつは気付いちゃないさ。根っこに神が絡んでるなんてな。わざわざ説明してやるとか、俺そういうの面倒だから」
だから、しないぞ。
表情が、目が、そう言っている。
「……やっぱりへんなやつ」
「まあ、人間じゃないからな」
なに言ってるんだ、とよく見たら、男には尻尾があった。ミニィは目を瞬いた。……ああ、本当に人間じゃないや。混沌を通して知っていたのに、再認識させられた。
「じゃあ俺行くな。そいつと、元気でな」
そう言うと、立ち上がった男は幻のように消えた。ミニィはしばらく彼のいたところを見つめた。
これが長い長い夢の終わりならいいのに。
***
副学長レガートの辞任は、本人の口からではなく、学内掲示板を用いてひっそりと伝えられた。
一身上の都合、という理由を疑う学生はいなかった。それだけ彼の外面に騙されていた者が多いということでもある。
遊びでは済まされない強力な魔法具が巷に出回っている。メイヤーは自分の子飼いともいえる選抜にその実態を探らせた。
行き着いたのがレガートだった。
尋問によって彼が熱心なルクス会信徒だというのが判明した。
大封鎖が解かれたことに不満を持っていた彼にある日、声を掛けてくる者があったそうだ。
『あなたの力を貸してくれませんか』
訝しむレガートの心を透かし見たように、それは不満を言い当てた。その上で、協力してくれるならそれを解消して上げましょうと言ったのだそうだ。
捕らえられたダリオとガエルは公社本部に送られた。
鉄道敷地内で起こった事件は公社が取り調べ裁く権限が与えられている。
ビッキーの活躍で暴走列車はパラデウムに辿り着く前に、停止させられた。その後、二人は憲兵隊員にあっという間に取り押さえられた。
ダリオとガエルの供述調書を見れば、どちらも頭の中で声がしたと口にしている。
公社は彼らの精神状態が普通ではなかったとみなし、特別房へ入れた。ダリオに関しては乗客を手に掛けているため、おそらく外にはもう出られないだろう。
一連の事件に混沌が関わっていることを知っているのはごく限られた人間だ。
学長室でメイヤーは一人、届いた調査書類を順に読んでいき、最後にビッキーの報告書に手をつけた。
……いつかの日か真実を知った彼女は、その時わたしのことをどう思うだろう。
レガートのこと、混沌のこと。
何が起こるのか、メイヤーはみんな知っていた。だけど言うわけにはいかないから知らぬふりをする。でも決して平気なわけではない。
それを分かってくれとはこちらから言うつもりはない。
ビッキー。
跡を継ぐのはあなたには重いかもしれない。
それでもあなたには助けてくれる存在が隣にいる。どうかそのことを忘れないでほしい。
メイヤーは読み終えた報告書を大事に引き出しにしまった。
**
玄関を開けると、水月邸の庭で魔族たちがいつぞやのように茶会を繰り広げている。
大きな日傘の下、ヴァルとBB、それからビッキーが初めて見る顔がひとつ。おそらく水月邸を間借りする魔族だろう。
用がなければ訪れることはないビッキーたちは、ここにいる魔族の全てと直に面識があるわけではない。
今日ビッキーたちは教授からの催促で、列車での出来事を話すためにやってきていた。事件そのものに魔族は絡んでいないのだが、一応あそこにはBBもいたということで教授が知りたがったのだ。
「もう帰れるのかね? 持って帰るといい」
傍を通りかかったところでBBが声を掛けてきた。脱いだ帽子に手を突っ込む。
「「!」」
頭上から何か降ってくる。ビッキーとユニは慌ててそれを両手でうけとめた。
正体は、赤いリボンで口を結んだ小袋だ。
「……もらっていいんですか?」
「あやつの問答に付き合うのはなかなかに骨が折れるだろう? それとも甘いものは嫌いかね?」
「いえ、」
ビッキーは頭を振った。
「「ありがとうございます」」
図らずも声が揃って、ビッキーとユニは笑った。
門の外へと消えていく二人を眺めて、ヴァルは茶を啜った。バリーはその背後で執事か何かみたく、立って控えている。
「……そういやおまえ、もう東には行かないのか?」
「ふむ、そうだなあ……」
BBは考える素振りをした。途中で水を差されてしまったから、どうも腰が重くなってしまったのだ。
「…………じゃあ、俺らがいくか」
あるじの言葉にバリーは目を瞬いた。
「そうか、行くなら土産を期待しようぞ」
「覚えてたらな」
ヴァルが適当な返事をする。
バリーに尻尾があったなら、ばたばた激しく揺れていただろう。
(これは……本気だ)
出立がいつになるか分からないし、目的地も曖昧だが、出かけるのは間違いない。世界情勢やら情報を仕入れねば。
それにしても、とバリーは思う。
人間が怖いと引き籠もっていたあの日々は何だったのだろうか。
「……おまえ、なんで笑ってるんだ?」
「え?」
自覚はないが、どうもそうらしい。
「……なんか腹立つな」
ヴァルが不愉快そうに顔を歪める。
「ま、いい。……気が変わらないうちに行くぞ」
「東へ? 今からですか?」
「違う。教授のとこだよ。どこがいいか訊きにいくぞ」
カップをソーサーに戻し、ヴァルが席を立つ。それをバリーが追いかける。BBたちがそれを見て、犬みたいだと笑う。厳密にはバリーは狼だ。
……東へと列車の旅に出たヴァルたちに何が待っているのか、それはまた別のお話。




