30
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ドアを開けると同時に部屋の暗闇が光に払われ、室内がぱっとあかるくなる。いつもどおりの過程に満足して、レガートは自室に踏み込んだ。
自室と言うがここは自宅でなく、パラデウムの校舎であり官舎だ。同じ階にシャルルの部屋がある。
ドアを閉めてローブを脱いだ。裏地の橙色を何とはなしに見て、入ってすぐ右の、壁のフックに掛ける。
室内にある大きなものは執務机と書棚くらいで、簡素な部屋だ。棚は作り付けで机を挟むように壁に接している。机は入り口と対面するように、部屋の奥に置かれていた。その後ろに窓が一つ、今はカーテンが引かれている。
レガートは椅子には座らずに、窓の前に立った。カーテンの隙間に手を差し込んで、向こう側をのぞく。
暗闇に、レガートの顔がぼんやり映り込む。
レガートの顔は無表情だった。多くの生徒から慕われる男の顔はそこにない。
何かに焦がれるような目で、闇をその瞳に映している。
「もうすぐだ」
誰も聞く者はいないのに、彼はわざと口にした。言葉の響きに酔おうとするかのようにもう一度、繰り返す。
「もうすぐだ」
腸は煮えくりかえっている。身を焦がす内なる炎が触れる物に燃え移り、焼き尽くすことが出来たなら少しは気が晴れるだろうか。
けれど何もかも壊したいわけではないのだ。
許せないことが、どうしても譲れないものがある、それだけなのだ。
憤りに歪む顔に笑顔の仮面を貼り付け周りを欺くことにも近頃は慣れてきて、誰も彼もが自分を疑うことなく信じていることに笑い出したくなる。
いや、硝子に映るレガートはもう、笑っていた。
「――学長、あなたは間違っている。どうして魔族を許したりしたんだ」
*
「ルイス、ルイス」
繰り返される自分の名に顔をしかめた。
(……うるさいな)
とはいえあまりにしつこいので目を開けた。列車の振動に眠気の誘発され、抗うことなく身を任せてからどれだけ経っただろう。
ルイスたちは休暇でパラデウムに戻る途中だった。
薄目を開け、飛び込んできた暗闇に戸惑った。
(ここどこだ)
列車の中じゃないのか。いや、振動が消えたわけじゃないから、場所は変わっていないのか?
「ルイス、起きた?」
訊ねる声が聞こえた方を向く。
「ルルロロ? いるのか」
「いるよ。きみが起きるのを待ってたんだから」
「それは……ごめん。ところでまだ列車の中? 何が起こってる?」
「うん、ぼくらまだ列車にいるよ。何だかね、どうも非常事態みたいだよ」
ルルロロは、ルイスが寝ている間に起こったことを説明した。
列車が駅を通り過ぎたこと。突然の停電。悲鳴。憲兵隊による避難誘導。わざと周囲が暗いまま話しかけていること。それから――。
ルイスたちは四両目の真ん中辺りの席に座っていたのだが、人よけの魔法をかけていたために憲兵隊員も素通りしていってしまった。任務中でないのだから人よけの魔法は別に要らないわけだが、のんびり旅をしたい心がなんとなくルイスにそうさせた。
「なにそれ、もっと早く起こしてよ」
全てを聞いたルイスはそう言わずにはいられなかった。寝ている場合じゃない。するとすかさず「起こしたよ!」と返ってきて、ルイスはいたく反省した。こんな時にルルロロは嘘なんかつかない。
客が避難する脇でぐうすか寝ていた自分が恥ずかしい。なにが選抜だ。
「……ごめん、ルルロロ」
これからでもまだ間に合うだろうか。
*
ガエルが立ち上がった拍子、操縦桿が操作卓から抜けた。
仕組みを知らないビッキーは、目にした瞬間頭が真っ白になった。声も出ない。
知っていれば何てことはない、操縦桿はそういう風に出来ている。が、ビッキーがそうではない。彼女が正気を取り戻す間に、ガエルは操縦桿を無造作に足下に捨てた。落下の勢いで一度弾み、惰性でくるくる回転しながら隅の方へ転がっていく。
「……っ」
瞬時に反応したテオドールが手を伸ばそうとしたが、飛びついたガエルがそれを阻止した。のし掛かられてテオドールは無様に床に尻を打った。
「こ、んの……っどけ!」
退かそうとするが、テオドールの倍はある巨躯は簡単にはちょっとやそっとで揺らがない。ガエルは自分の体重の使い方を心得ていた。
「いやだ、退くもんか。誰にも邪魔させないんだ……っ」
「くそ、が」
テオドールは伸ばした手の先をにらみ据えた。虚しく指先が床を掻く。視線のとっと先に操縦桿が転がっている。だけど腕はこれ以上動かせない。
頼みの綱のビッキーは思考停止中らしく、固まっている。
(……早く来い、潮)
ぎゅっと拳を握る。おとなしく潰されるつもりはないが、無駄に暴れても体力を消耗する。
意識して息を吸う。自分の頭蓋の強度を信じて、ガエルの頭に打ち付けた。
「――!」
声にならぬ悲鳴をあげ、痛みにガエルが仰け反った。その隙にテオドールは彼の下から這い出る。靴底をガエルの顔面にお見舞いすることも忘れない。
「お嬢さん、そいつを拘束してくれるか」
はっとしたように我の返ったビッキーが頷く。
魔法の枷が手と足を拘束する。ガエルは運転室の床で芋虫のように転がされた状態だ。
操縦桿をはめ直そうとするテオドールを後ろで見守りながら、ビッキーは大いに反省した。突発的なことに思考が止まるのはままあることで、よくない癖だと分かっているのにこれがなかなか直らない。
「あの、操縦できるんですか?」
「こういうときのために教えられてる」
すんなり嵌まった操縦桿を握り、テオドールは減速しようとした。
「……動かない」
「え?」
操縦桿はテオドールの操作を受け付けようとしない。ためしに前後に揺すってみるが反応はなく、がちゃがちゃ音をたてるだけだ。
後ろのガエルを振り返れば「ふひ」豚みたいな声で嗤われた。気持ち悪い笑みは二人の不安を煽った。
テオドールは操作卓へ向き直って非常停止のボタンを探した。透明な覆いのついた赤い丸ボタンだ。見つけてすぐ、力の限り押し込んだ。押した感触は想像よりずっと軽くて、テオドールの不安はいや増した。
見守るビッキーにもそれは伝染した。
列車は加速したまま、止まらない。
(なにが起こってるの)
ビッキーはガエルの頭もとに片膝をついた。
「あなた、この列車に何したの?」
「ふひ、なにって、ぶつけてやるのさ」
「ぶつける?」
問い返したビッキーを、ガエルは鼻白んだ顔で見た。
「おまえらは間違った」
言葉を咀嚼するようにビッキーは目を瞬いた。ガエルの顔を見る限り、冗談でないのは分かった。だが意味が分からない。
「どうして大封鎖を解いたんだ。どうして魔族を受け入れる? 世界に闇はいらないんだ、必要なのは光、光だけが正しいんだよ。どうしてそれが分からないんだ」
思わず立ち上がったビッキーの背に何かが触れた。振り返ればテオドールがそこにたっていて、どうやら支えるために添えられた彼の手らしいと気付く。
そんなに頼りなさそうだったのだろうか。
むっとしないでもなかったが、振り払ったらそうだと言っているみたいだ。
こんな時でなければ黙ってさりげなく躱して、それで終わっていた。だがここは空間自体にも限りがある。ビッキーは手の存在を無視した。
「ぶつけるって、まさかパラデウムに……ってことなの?」
「ふひ、そうだよ」
でも、と言いかけたビッキーをガエルは気味悪い嗤い声で遮った。
「パラデウムまでは線路がないよねえ?」
大陸縦横断鉄道は世界中の要所に繋がるように線路を設置しながら、パラデウムはそこから孤立していた。
「でもそんなの関係ないんだよ! 線路なら、女神が用意してくれる! この列車はもう、ぶつかるまで止まらないんだよ!」
そう言うとガエルは狂ったように嗤って、終いにむせた。
だが二人はそんな男にいつまでも見入ってはいなかった。
虚言めいているがおそらく本当のことなのだろう。女神が何なのかはさっぱりだが、ガエルの頭の中の幻想に違いないと二人は相談したわけでもないのに結論づけていた。
直面した事態を考える余りビッキーは瞬きを忘れ、テオドールは頭痛を堪えるように顔をしかめた。
潮が蹴った座席のヘッドレストをダリオの剣が切り裂いていく。
座席の上を後ろへ後ろへと飛んで、今度は通路向かいの列へと飛び移る。通路を歩いていたダリオが座席の座面にあがった。
「逃げんな、よ」
跳躍しながら斬りつけてくる。それを身体を捻りながら躱し、潮は通路へ降りた。後ろへ飛んだ直後、重たい一撃が床にめり込む。散らばる破片が潮の手の甲を掠めたが、気が立っているせいで気付かない。
そのままデッキ側へと後退る。
列車がなかなか減速しない。一体テオドールは何をしているんだろう。
(……ひょっとして、しないんじゃなくて、できないとか)
自分の思いつきにぶるっと身体を震わす。
「なに、いまさら怖じ気づいたとか言わないよな」
せせら笑う声にばっかじゃないの、そんなわけあるかと思ったが、勘違いを訂正するのも面倒だ。
潮はすっと構えを取った。
一言で表すと、潮は鉄道が好きだ。言葉を尽くしたとしても、最終的にはそこに落ちつく。
列車の中で暴れるというのは許されざる行為である。一般的に見てもそうだし、潮にとっても好きなものを汚されたようで、許し難い。
そんな潮には悪い癖がある。暴れている人間をすぐに取り押さえず、遊ばせておくのだ。
(だけど遊ぶのはもうおしまい)
この先でテオドールが待っている。呼んでいる。たぶん、そんな気がする。
静かに床を蹴った。
ダリオが不敵に笑むのを冷めた目で見る。
ぶつかりあう刃と刃が火花を散らす。
「ようやく本気か」
いちいち煩いな。黙れよ、と胸の内で毒づく。ダリオは元々憲兵隊の方にいたから、直接の知り合いではないが噂なんかは耳にしたことがある。戦闘にはストイック、だっただろうか。そのせいかもっと寡黙な人物かと潮は思っていた。実際喋ってみたらそんなことはなくて、拍子抜けしたのを覚えている。
踏み込んで、右手を突き出す。
「――っと、」
難なく躱したダリオが下から弧を描くように斬り上げる。
ダリオと潮の武器では必要となる間合いが違う。双剣だが短剣の潮は相手に近づかなければ当たらないし、両手剣のダリオは潮の間合いの外から斬り込むことができる。
肉薄して一気に仕留めたいところだがダリオも素人でないから、すぐ躱されてしまう。これ以上戦闘を長引かせたくはないのだが――。
(あーどうしよう、絶対テオさん怒ってるよなあ……)
最初のほうで遊んでいた自分を殴ってやりたい。
反省しているところへ突然、風が吹いた。
「――っ」
後部デッキから吹き込んだ白い突風に、潮は思わず目を閉じていた。
白、いや、風が淡く光を孕んでいたからそう見えただけ。
きっと魔法だ。
ぐえ、とカエルの潰れるようなうめき声に、まさかと思いながら目を開ける。力なくダリオが頽れる瞬間を目撃した潮は、デッキの方から歩いてくる少年二人組に気付いた。
列車そのものを球に見立てて、レールの上を加速させて飛ばす。
ガエルが言いたいのはそういうことなのだろう。
だがビッキーはパラデウムが魔法によって守られていることを知っている。ぶつかっても被害があるのは列車だけで、パラデウムは無傷で済むだろう。
「……こちらから客車を切れますか?」
「今は無理だ」
「……じゃあ、こっちが勝手にやっても構いませんね」
テオドールができるのか、という目を向けてくる。そんな目をされては、やれるだけやれますとか、中途半端なことは言えない。言いたくない。
「応えて、アーカイヴ――」




