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前デッキへ続くドアを開けたビッキーたちは、前車輌の後部デッキの光景に目を疑った。
車掌室の前に男が二人いる。
一人が懐中灯で戸を照らし、小柄なもう一人が分厚い手甲を嵌めた手をそこへ打ち付ける。
がん、と鈍い音を立てるも、戸はびくともしない。
異様な光景に一瞬立ち止まってしまったが、事情を聞くべく彼らの方へ近づいた。片方には見覚えがある。着ている制服からも分かる、彼らは鉄道憲兵隊員だ。
「あの、何が起こっているんですか?」
そこでようやく彼らはビッキーたちを見た。
「……うわあ、テオさん。予言的中かも」
「……言うな」
ぼそりと二人だけに分かることを言う。何だかしらないが、碌な事ではないとビッキーは直感で分かった。だから聞こえなかったことにした。
テオドールがビッキーたちの傍らで浮遊する光球を見やった。
憲兵隊員はどちらかというと肉体強化を優先するので、パラデウムのような魔法に特化した人間が少ない。使える魔法は大体、魔法具による補助的なものだ。手品のように明かりをともしているのをみると便利なもんだとやっかみ半分で考えてしまう。もちろん、ビッキーたちが何でもなさそうにやってのけていることにはちゃんとした下地があることは、頭では分かっているのだけれど。
「車掌と連絡つかなくて困ってるんですよ。いるはず、なんですけど」
潮は言って、再び戸を殴りつけた。やはりびくともしない。
ビッキーはユニに目配せした。ユニが軽く頷く。
「失礼しますね」
ユニが戸の前に立つのと入れ替わりにさがった潮がテオドールに言った。
「あっちの様子、見てきます」
「ああ」
潮は自分の懐中灯を点けてからドアを開け、通路へと駆け出した。
この車輌の乗客には落ちつくようにと声を掛けていたからか、ざわつきはするものの興奮し暴れ出す客はまだいない。
だがそれも時間の問題だろう、テオドールは車掌室のほうへ視線を戻す。
ユニが右手を戸にかざした。手のひらが淡く発光し、それを押しつけるようにする。ぐっと肩に力が入る。
ばき、めり、と音がして戸板に、手の触れているところから真横に線がはしっている。ユニは手を離して、戸から少し距離をあけた。身体を斜めにし、勢いをつけて踵をねじ込んだ。いわゆる回し蹴りである。
美少女の華麗な一撃に、状況も忘れてテオは口笛を吹きかけ――露わになった惨状に息を呑んだ。
何だ、これは。一同の視線は一点に集中した。
車掌の胸にはナイフが刺さっていて、彼女の座る椅子の下には真っ赤な血だまりが出来ている。
入室前は確かに生きていた。歩いてこの部屋に入るのを、テオドールは潮と二人、この目で見た。
「おい、」
爪先が血だまりを踏んで、滴の撥ねる嫌な音を聞く。触れた首筋から伝わる温度は低く、耳を当てるが呼気は感じられない。傾いだ身体を受け止めて、背中から刃先がにょっきり突き出していることを知る。
(自殺か……?)
なぜ? どうしてこんなところで?
疑問と罵声がない交ぜとなり、けれどどこに問うていいのかもわからず、出口を見失って頭でとぐろを巻く。
ともすれば念仏のような声が聞こえたのはその時だった。
室内に踏み込んだビッキーが車掌の手を取った。そこでようやく念仏が彼女の口から発せられているのだとわかった。
ビッキーを中心とするように周囲が淡いい光に包まれる。
けれどその光が車掌を囲むことはない。握られた手の先から、まるで光そのものが拒否しているように伝わない。ビッキーが顔をしかめた。
「……ごめんなさい」
ビッキーはそっと手を離した。
アーカイヴにあるはずの瀕死からの回復術は、彼女にはまだ早すぎるのか引き寄せることが叶わず、とっさにできるかぎりの力で光子に呼びかけてみたけれど、だめだった。
「いや、ありがとう」
テオドールは静かに車掌を床に横たえた。魔法を万能だと錯覚することはしばしばだし、もしやと思わなかったら嘘になる。だけどもともとテオドール自身にそんな力はなかったわけで、脈を確かめた時点で助からないと分かっていた。
助けたいと願っていたら違うだろうか。
(……まさか、ありえない)
信じる神を持っていないテオドールがなにより最初に思ったのは、何てことをしてくれたんだという憤りだった。生死はおまけだった。あとで事件をつまびらかにするためにはこいつには生きてもらわないと困る、そう思っただけのこと。
だけど、傍らの少女は違うようだった。
人命を救えなくなったことを本気で悔いている。そんな顔だ。
「え、」
びくりと、ビッキーが肩を震わす。
テオドールは首を傾げ、自分が彼女の肩に手を置いていることに気付いた。
「……気にするな、どうせ助からなかった」
ビッキーは唇を引き結だけで、何も言わない。傷ついたような顔で「分かってます」と瞳で訴えている。
パラデウムの方針とやらは知らないが、こんな繊細そうなのをほったらかしでいいのか。
テオドールはまるで昔なじみの近所のおじさんのような目で彼女を見ていた。
デッキからデッキへ。ドアを開けて通路を進み、客の動揺を沈めながら先へ進む。
通信機へ問いかけても同僚から声は返ってこない。向こうから連絡も来ない。自然と焦りに駆られ、潮の足は速くなる。
通り過ぎてきた箇所ではもう何も起こるまい。嫌な確信めいたものがある。テオドールがいるし、あのパラデウムの少女たちもいるのだ。仮に何かあっても片付けてくれるだろう。
一両、二両、三両と遡り、四両目。
開け放った扉の向こう、潮を押しのけるように客が飛び出してくる。暗がりの中、明かりを目指す虫のように、一斉にデッキへとなだれ込もうとする。
潮はわけが分からないままたたらを踏んで、ドアを開けたままにしておいた後続列車に向けて、予備の懐中灯を投げた。そうしてデッキの壁に張り付く。
明かりの方へと客たちが走って行く。
「押さないで、落ちついて」
罵声や悲鳴に混じって、同僚の注意喚起の声がする。
人の勢いが弱まったところで、中に飛び込んだ。通路の向こうで避難を呼びかけている同僚を見つけた。
「この状況なに? なにが起こってる?」
「潮、」
同僚は声の方へ灯りを差し向け、潮の姿を認めるとほっとしたような泣きそうな顔をした。潮はそれを見て、そういえばこいつ年上だけど自分より後輩だったなと思い出す。
「先輩が、中でダリオとやり合ってる」
「え? ダリオ?」
「分かんないよ。真っ暗になったと思ったら前の方から悲鳴が聞こえてさ。俺たち先頭へ行く途中だったんだ。今先輩が食い止めてて、俺とアーサーとで客の誘導してる」
言葉の勢いを殺すような話し方。いつもは穏やかな同僚が冷静さを欠くような、そんな事態がこの先で行われているらしい。
「先輩は今どこ?」
「一両目。アーサーが二両目にいる」
「分かった。……あとでテオさんが来るから、がんばれ」
「……ああ」
同僚の肩を叩いて潮は駆け出した。
先輩、というのは同僚の愛称だ。誰が言い出したか分からないが「おまえってなんか先輩って顔だよな」というところを端にする。本日の交代要員の中で一番年嵩、経験も上でもある。
(……まあ、ほぼ同期だけど)
言い出した張本人は自分が所以になっていることを忘れている。
懐中灯を頼りに先へ進むと、がらんとした車輌の所々でうずくまって震えている客がいる。一人一人に声をかけてやるべきなのは分かっていたが、潮は彼らを無視した。
ずんずん突き進んで前から三輌目の車輌、その前方デッキに出たところで同僚、アーサーの姿を見つけた。おまえが憲兵隊員だって、嘘だろ――と目を疑いそうになるひょろっとした男だ。
アーサーのいる前車輌の後部デッキに移る。
「先輩は?」
「まだ生きてる」
「……そう言う言い方やめてよ」
「でも事実だ」
「あー、はいはい。で、向こうはどうなってるの?」
潮はアーサーの背後、暗闇の先を顎で指した。
「客の避難はさせた。この先には誰もいない。ダリオが暴れてるのは一輌目だ。あいつに客が何人か持ってかれた」
「……あいつなに血迷ってるの……」
「さあな」
疲れたようにアーサーが吐き捨てる。その肩を潮は軽く叩いた。
「お疲れさん」
「……気をつけろよ」
背中に投げかけられた言葉に潮は振り返って笑った。
ドアを開けるなり、強い血の臭いが鼻についた。
(なにこれ)
思わず潮は顔をしかめる。
車輌内、薄い光が局所的に照らしている。光源を探して天井に、本来は手に下げる明かりの柄が突き刺さっているの見つけた。おそらく咄嗟にぶん投げたのだろう。
明かりの下では先輩とダリオが刃を交えて暴れていた。その周囲には一目で事切れたと分かる客の姿が点在する。血臭のもとはそれに違いなかった。
二人の視線が潮に注がれた、けれどすぐ逸らされた。新たな登場人物に構う余裕がなかったのだ。
潮は唇を舐めて湿らせた。
(ああああ、もう! 列車でなんてことしてくれちゃってんのさ)
得物を両手に召喚する。憲兵隊員の多くは術を会得して、己の得物を持ち歩かない。潮もその一人だ。
双剣を手に潮は二人の間に踊るように割って入った。
テオドールが駆けつけたとき、ダリオと交戦していたのは潮一人だった。
「先輩、」
「……ああ、見ての通りだよ」
入り口脇の壁によりかかった彼は口頭説明するかわり、現実をさして顎をしゃくった。
「お前、機関車の方行ってくれるか。あいつらはああだし、ほんとはガエルのとこに行かにゃならんのだが……」
裂傷を無数におった先輩をよくみると制服の右腿から下がじっとり濡れたように変色している。
テオドールは顔をしかめた。
「……機関部の故障じゃなさそうだな」
「ああ。おそらく故意だよ。……ところでそちらは?」
今気がついたように、彼はテオドールの背後を見る。
「あのパラデウムの、ですよ」
「ああ……そりゃ心強い」
笑った先輩の背が壁伝いに滑る。
「おい、」
伸ばした手を遠慮なく払われる。
「俺は大丈夫だ、行ってくれ」
「……わかった」
ビッキーに目配せすると、頷くのが見えた。ついてくるのを気配で感じ取って先へ進む。治療だろう、ユニが先輩の元へ残るのが見えた。
「潮」
呼びかけると、ちらと視線だけ返ってくる。何も言わずとも意図を汲んで、潮はダリオを客席側へ追い込んだ。その隙に通路を駆ける。ダリオが吠えたが知ったことではない。むしろまだ仕留めていない潮をぶん殴ってやりたいところだ。
いや。
(……あいつ、わざとだろ)
げんなりしつつ、ちゃんとついてきているか背後に視線を向ける。確かにビッキーはついてきているが、視界に入る死体にいちいち痛ましげに眉を顰めている。
テオドールはこっそりため息をついた。どうにも心配せずにいられない自分に嫌気がさす。
機関車は、運転室と車掌室、それから機関部で構成されている。
車掌室は簡単に戸が開いた。使用者のダリオが何か仕掛けているかと思いきや、そんなことはない。ただの無人空間だった。これといった私物も見あたらないから見切りをつけ、次へ。
通路の突き当たり、運転室の戸を普段と変わらぬ仕草でテオドールは叩いた。
手のひらで覆えるような硝子の小窓から微かに明かりが漏れている。ほかの場所は非常灯までも消えているというのに、この中は違うらしい。
「ガエル、いるんだろう」
今度は強めに叩く。
返事はない。無視なのか、それとも……。判断がつきかね、とりあえず押し入ろうととしたものの、内鍵が掛かっている。
開かない戸を強打するテオドールの背後、ビッキーは前の、エミールの件を思い出していた。
闇に堕ちた人間。
考えたくはないが、これは機器の故障でなく、そういう事態ではないのか?
(……早合点するな、わたし。まだそうと決まったわけじゃない)
結局ビッキーは、堕ちた人間が元に戻れるのかどうか知らないままだ。機会はいくらでもあったのに、調べもしていない。
だけど頭のどこかで、きっとそれは「ありえない」のだと気付いていた。
がん、がん、とテオドールが全力で戸を打ち鳴らす。
内鍵程度ならテオドールの打撃で充分壊せたはずだった。しかし戸はびくともしない。
さきの車掌室と同じかもしれない。
テオドールはビッキーを見た。視線に応えるかわり、ビッキーは一歩進み出て、戸に触れた。
すっと息を吸い込む。
「アーカイヴ、応えて――」
ビッキーの全身が淡い光に包まれる。その輝きが熱のように触れた手のひらから戸の表面へと移る。
傍目にテオドールは綺麗だな、と思った。照明がおちていることもあるのだろうが、光に包まれた彼女はある種の侵しがたい雰囲気をまとっている。
めき、と戸が悲鳴をあげた。空耳のように微かな音が加速し、弾けた。四角い枠が歪んで、鍵が外れる。隙間から明かりが漏れている。そこへテオドールが手を突っ込んで、力任せに戸をこじ開けた。
操縦桿を握る男がぎょっとしたように振り返った。
ざっと見たところ、漏れていた明かりの正体は男が個人的に持ち込んだらしい魔法の簡易灯だった。天井に一つ、つり下げられている。
「……ガエル、おまえ」
テオドールが唸ると、男がびくりと肩を震わせる。
これが運転士か。ビッキーはこんなときだというのに、彼がまだ人の姿であることにほっとしていた。
いいや、こんな時だからだろうか。
さっきまで人間だったものと対峙するのは精神的にきつい。それに人間なら交渉の余地がある。
「ガエル、これはおまえの仕業だな」
確認するようでいて、断定である。返事がないのはテオドールの想定のうちだ。
「分かっているなら、今すぐ止めろ」
勧告に、ガエルは操縦桿をぎゅっと握りしめたまま駄々をこねる子供のように頭を振る。が、ガエルはとっくに成人した男だ。テオドールの胸に沸き上がった感情は、呆れと苛立ちだ。
とにかくこいつをどかそう、テオドールはそう考えた。憲兵隊員は操縦法も叩き込まれている。
それを察したのか、
「――っやめろ!」
ガエルが大声を張り上げた。




