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混沌の娘  作者: 霞初月
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26


 *


 本来薄暗いはずのそこは、魔法で屋外と同じくらい明るい。

 駅舎の片隅、簡易拘置所の一室を占領する魔族をビッキーとユニは格子の向こうから確認する。受けた説明によれば、客が興奮して小さな騒動に発展したため原因となった魔族をひとまず拘置所で隔離することにより事態の収束を図ることにしたらしい。

 狭い空間で窮屈そうに身体を丸めるBBは湯気の立ち上るカップの中身を一口啜ってから、床でひっくり返っている帽子の中にそれを納めた。影を消すように明度の上げられた部屋だというのに帽子の中は闇を閉じ込めていて、カップの行方は分からず、ビッキーたちの不安を煽る。

「やあお嬢さん方、遙々すまないな」

 尖った歯に光が反射する。

「……いえ、仕事ですから」

 ビッキーは預かった鍵で格子を開けた。

 BBはこんな所にぶち込まれてはいるが、なにも悪さをしたわけでなかった。旅をしようと列車に乗り、フィエンナを通り越し、国境を跨ぎ、ある駅で降りた。目的がはっきりあるわけでない、そこで降りたのも計画にないことだ。

 たまたま前を過ぎった集団に目を向けると、何かひらりと飛んできた。

 拾い上げるとただの布きれではなく、ハンカチだと分かった。目がいいBBは誰の落とし物かちゃんと見えていたから、持ち主を追いかけて渡してやろうと思った。

 そこまではよかった。

 肩を叩いて「お嬢さん、落とし物だ」そう声を掛けた瞬間彼女があげた甲高い悲鳴は、BBにとって残念な事にその場の人間たちの注目を集める結果になった。

 爬虫類のようなぎょろっとした目、わらうとのぞくぎざぎざした歯。それ以外にも人間と異なる部分が多いBBだ。ビッキーたちは彼を見慣れているが、初めて彼を見る者、特に気の弱いものならば悲鳴をあげたとしてもしょうがないだろう。

 けれどそこで反抗するでなく、おとなしく拘置所に入ることを選択した彼は賢明だ。

「災難でしたね」

 ユニの労りに言葉に「うむ」とBBが頷く。

「おかげでまた西へ逆戻りだ」

 公社はBBに旅の中止を求めてきた。そしてパラデウムに改善策を要求し、彼の身柄の引き取りを要請した。

 人々の神経がささくれ立っている今、旅の継続が人間と魔族の双方によい結果をもたらすとは思えないし、引き返すにしても単独行動は避けた方がいい。

 公社が守るのは列車の運行と客の安全。

 ならばその客に魔族は入っていないのか、と問われればそんなことはないと公社は回答する。けれど公社を形作るのは人間、優先されるものが何であるかは自明だ。

 そして、パラデウムには責任がある。

 パラデウムには人々から魔族に対する不安を取り除く義務がある。

「しかしこれも旅の醍醐味というものだろう?」

 BBは天井の低いそこから這い出るように外に出た。

 はたして彼は答えを求めているのか、量りかねてビッキーとユニは黙って視線を交わした。

 


 パラデウム方面へと向かう列車の最後尾、魔族専用車輌の中は空席ばかり。

 ボックス席を占領し、腕組みをして目を閉じているBBは、その様子だけ見ると居眠りしているように見える。

 ビッキーたちは通路を挟んだ隣の席に座っていた。進行方向を向いてビッキー、背を向ける形でユニが座っている。

 現在パラデウムが把握している魔族はこの一車輌に詰め込んでおつりが来る。かつて世界中を席巻していた魔族も今は稀少生物と変わらない。にもかかわらず稀少生物と違うのは、彼らを捕まえ利用しようと企む輩が現れないことだろう。いや、敢えて言うならパラデウムはその奇特な企む側である。

 魔族の保護、といえば聞こえはいいが、やっていることは飼い殺しできる力があると世界中に見せつけるにほかならない。

 魔族を従いきれている、ほんとうにそうだろうか。

 たとえばこのBBという魔族は、ヴァルと比べてどれだけの強さを持っているのだろう。正確なところを計る術を人間は持たない――少なくともビッキーはそうだと思っている。彼らが素直に真実を述べているか、それを判断することもまた、人間にはできない。

 もしBBが拘置所に入らず暴れていたら、ビッキーたちは彼を粛正せねばならなかった。だが、自分達にそれは可能なのだろうか。ベレルカでヴァルと対峙したからこそ、ビッキーは考えてしまう。

 自分達が優位であると信じきってしまえばおそらく、人間は終わるだろう。優位でありたいと願い続けることが明日を繋ぐ。

 そんな綱渡りをどうしてパラデウムは、いや、メイヤーは選んだのだろう。

 考えても考えても、ビッキーには学長の真意など分からない。祖母と孫でありながら、この数年は事務的な会話しかしてこなかった。それ以前にビッキーは祖母が苦手だった。まっすぐ目を見て会話をしていると足下が覚束なくなる。それすら彼女には見透かされていそうで怖かった。いつお前はいらないと放り出されてしまうのか、不安はつきまとい続ける。

 血縁でありながら一枚壁を挟んだ向こうにいる遠い人。それがビッキーにとっての祖母だ。

 車窓にうつる自分の顔に微かに眉を顰める。記憶の中の母に似た物を探し損ねて、戸惑う。年々母の顔がおぼろげになっていく。それを補おうと思って祖母をみても、記憶が鮮明さを取り戻すことはない。

 感傷を断ち切るように目を閉じると、なぜかナイアとの会話が蘇った。

『どこか出かけるの?』

 数日前、久しぶりに母に手紙を出しに行った帰り道で彼女と出くわした。

『いえ、帰るところだけど……?』

 確か、ナイアと言っただろうか。名前を思い出しながら、ビッキーは彼女の姿を検めていた。以前、といってもたった一度の邂逅だが、あの時と彼女はなにも変わらないように見えた。

『そう。……ねえ、もしどこか出かけるんだったら列車はやめた方がいいよ』

『え?』

 戸惑うビッキーを前に、彼女は意味深に笑う。

『ふふ、……じゃあね』

 言うだけ言って去ろうとする。引き止めようとする手をさらっと躱して、ナイアは笑った。

 追いかけることも出来たのに、痺れたようにビッキーはその場から動けなかった。行動を制限するような魔法は掛けられていない。少なくともビッキーはそうだと思っている。

 思い返すにそう、あれは本能的なものだった。

 知っていることは名前だけ。

 前触れもなく現れ、意味深な言葉だけを残していく。それが不審者でなくてどうすると言われればそうなのだが、ただの不審者ならビッキーはナイアを追いかけて話を聞いていただろう。

 ナイアにあるのはそれよりもっと深い、得体の知れなさだ。謎と言っていい。けれどどこか親近感のようなものもあって、それを形容できぬもどかしさがより彼女をビッキーの記憶に印象づけている。

「……」

 ちらとBBを盗み見る。

 得体の知れなさといえば魔族もそうだが、ナイアのそれは、彼らとは別種のような気がする。

(まだ二度しか会ってないのに……)

 けれどその短い時間でそう感じさせるのだから、彼女は他とは違うのだ。

(……他とは違うってなに)

 ビッキーは自分の考えにおかしくなった。

 自分が言われたくない言葉を他者に向かって使うとは皮肉で滑稽だ。

 全ては自分の思い過ごしであればいい、そう思ってビッキーは目を閉じた。車輌の揺れを感じ取るように意識をそこへ向けていると、気疲れしていたらしい、いつのまにか船を漕いでいた。




 BBは意識して欠伸をする。

 闇のものと人間は身体の構造が違う。闇のものもそれぞれ身体のつくりが異なる。だから眠らないものと眠るものがいる。

 眠るといっても人間のそれとは違い、少なくともBBは夢を見ないし、欠伸も出ない。

 けれどBBは欠伸をする。人間の真似だ。敵ではないと主張するためでもある。

 BBはヴァルのように人間を怖いとは思っていない。けれど恐ろしいと思うことはある。それを正しく説明する言葉を持っていないし、誰かにどうしても伝えたいということもない。自分が理解できていればいい些細な違いだった。

 数回瞬きして、起きてもすることはないなと思ってまた目を閉じる。とはいえやっていることは所謂、寝たふりという奴だ。

 水月邸に戻るだけであれば、本当は列車など乗らずとも、魔法を使えば簡単に距離を飛び越えられる。それをしないのは自分がいるのが人間の作る社会だと理解しているからだ。

 人間が好きかと訊ねられたら、興味深いと応えることにしている。

 BBの判断基準は何ごとにおいても興味を持てるかそうでないかだ。それを好きか嫌いかと言うのだ、と言われたら納得はしないが面倒なので適当に頷くだろう。

 自分が未だにこの世にあることは、この適当さ加減によるものだとBBは自己分析している。

 アルブムで自分以外の闇のものたちが元の闇へと還っていくのを感じ取りながら、特に何か働きかけたりはしなかった。闇のものたちは互いに仲間意識が低い。だから誰かが消えていこうが知ったことではない。自分より上位者が消えたりすると多少何かしら考えたりもするが、だからといって行き場のない者に何が出来るだろうか。

 少なくとも、BBはそんな考えで日々を過ごしていた。そうしているうちに自分も消えてしまうかも知れないが、それはそれで受け入れるほかない。

 そんなある日、異変は起こった。

 BBが感知できる範囲に新しい反応が生まれたのだ。

 生まれたものが発する存在感は生まれたてにしては無視できないもので、BBは久しぶりに何かに興味を持った。

 気になる余り篭もっていた住み処を出てそれに会いに行った。外に出るのは久しぶりで、相変わらずの荒天に落胆したのを覚えている。

 そこにいたのは端々の特徴さえ隠してしまえば人間によく似た、新しい闇のもの。

 生まれたばかりのそれの傍には堕ちた人間がいたが、それにはちっとも興味を惹かれなかった。

 人間のうたう自然の摂理とやらを鑑みれば、消えゆく者がいれば新たに生まれるものがいる、それ自体はおかしなことではない。けれどアルブムは封鎖された場所だ。

 外に出ていけるわけでないのに生まれても無意味でないのか。

 らしくもなく、BBは考える。

 彼が生まれることに意味はあるのだろうか。

 闇のものは人間のように信仰をすることはないが、神の存在を疑うことはない。目に見えるわけでなく触れることも出来ないが、漠然とそれがあることを生まれたときから識っている。無意識にその存在に抗えぬ事をすり込まれている。だから人間のようにそれに願うなどという無意味なことをしない。

 ――らしくもなく、BBは考える。

 彼が生まれたことには意味があるのではないか。

 自分達の手には終えない、人間がしばしば使う「運命」とかいう言葉のような抗いがたいもの背負わされているのではないか。

 そこまで考えてから、BBは己を嗤った。もしそんなものが彼にあるとしても、そんなことを自分が考えることに何の意味がある。もしも彼が生まれた意味があるのなら、それはもうとっくに動き始めていて、あれこれ考えてもどうしようもない。かやの外だか渦中だか分からないが今更考えても無駄だ。抗うことなどできるわけがない。

 まして、そんなことで頭を悩ませるのは自分ではない。

 行動基準はいつだって単純。

 興味が持てるかどうか、それだけだ。それで身を滅ぼしたとしても後悔があるはずがない。

 欲に忠実、それが闇のものなのだから。




 *



 腸は煮えくりかえっている。身を焦がす内なる炎が触れる物に燃え移り、焼き尽くすことが出来たなら少しは気が晴れるだろうか。

 けれど何もかも壊したいわけではないのだ。

 許せないことが、どうしても譲れないものがある、それだけなのだ。

 憤りに歪む顔に笑顔の仮面を貼り付け周りを欺くことにも近頃は慣れてきて、誰も彼もが自分を疑うことなく信じていることに笑い出したくなる。

 ――いいや。

 彼は仮面の下で、彼は嗤っていた。


 もうすぐだ。

 必ず目を覚まさせてやる。






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